私とサッカー⚽️大学時代〜リハビリ編〜
ありがとうございます😊
女子フットサル選手の金森彩加です。
現在、
私の人生の中心であるフットボール
その中のまずサッカー⚽️時代から現在にかけての記事を書いています。
(フットボール人生⚽️というマガジンにしています。)
前回記事(大学時代スタート編)はこちらです!
今日は、大学時代の中の『リハビリ編』をお送りします。
本来なら、色々と学年分けたり、話が前後したり、同時に裏方としてのことや運営のこともいれていきたいところですが、
それらを混ぜると長くなると思うので、運営編は次回に回して、
選手としての怪我の側面からお送りしたいと思います👍
※時系列はそれぞれのタイトルの中でのストーリーになってるので、全体としては混ざっております。
長いリハビリの始まり
前回話したように、私は大学1年の終わりの出来事から手術をする事になりました。
それが私の、長い長いリハビリのスタートとなったのです。(それまでに短期的なリハビリはした事はありました。)
本来、半月板なら半年くらいをみてれば良かったのだと思うのですが、
私が試合に出れるくらいまでに復帰したのは、大学2年の11月頃。
約1年近く離れる事になったのです。
リハビリがスタートした時、
それでもまだ私は下は向いてなかった。
どんなに辛くても
怪我のショックが大きくても
絶対にピッチに立つ❗️
試合に出る‼️
その気持ちの方が強かった。
だから、こんな怪我早く治してやるんだ‼️
そう思ってたんだ。
でも、もしかしたらその気持ちが私を焦らせていたのかもしれない。
与えられたリハビリメニュー
私は、病院のリハビリの先生から出されたリハビリメニューよりも、少しでも早く復帰してやるぞ❗️
その思いで、そのペースよりも少しでも…
と追い込んでたんだ。
体重をかけても良いということになってから
そこからは自分なりに少しずつかけれる比率を上げて行く
(さすがに写真に残ってなかったが、メニュー表があった。)
片足立ちとか
アヒル歩き?とか
スクワットとか
後は、歩きからダッシュに至るまでの
地道なステップ
それが、だいたいこのくらいの期間でこのメニューができるように
という期間とメニューとがあった。
私はよくわかってなかったのだろうか?
いや、我慢強かったのだろうか?
多少の痛みは仕方ないと思ってたから
どんどんやってったんだ。
このくらいの痛みは我慢できるからやれる。
けど、今思い返すと
もっと確実に、
ゆっくりでいいから確実に
治しとけば良かったってすごく思うよ。
だって、その怪我が約8年くらいたった今も私を悩ませてくるのだから。
そうやってやってく中で、
けど、どこかで痛みが出るところとかあって
そうなると、正直ショックだった。
こんだけやってんのに、なんで痛いんだ?
そう思ってたよ。
今はわかるよ。
もっとこうしたら良かったのにって思うことたくさんあるよ。
でも、その時は知らなかったんだ…
だから、必死だった。
とにかく早く復帰したかった。
そして、遅れを取り戻したかった。
繰り返すリハビリ
そして私は、やっと練習に入れるようになった。
メニューは練習のアップまでとか
対人以外とか
ゲーム以外とか
って感じにどんどん入っていけるのも徐々になんだけど、
けど、
そのゲームに参加できるようになるまでに
また痛みが強くなったんだ。
だから、再びリハビリに戻った。
そしてまた、アップから…
そうやって何度も繰り返してるうちに
月日はどんどん流れてた。
やっとゲームができるようになって
試合に出れるようになって
でもまた、痛みが出て…
(その間の出来事は省略するが…)
やっとトップチームにも上がれるようになって
その中でできるようになった✨
これからだ❗️
そう思った矢先、
また痛みが出て来て
リハビリに戻る。
そしてまた、サテライト(セカンドチーム)からのスタート。
このサイクルをいったい何度繰り返したのだろうか。
ほんと、リハビリが私の定位置かよ?
と言いたくなるくらいだ。
(写真は練習後のアイシング)
氷水に下半身🦵浸かって…笑
仲間との関わり
それだけリハビリにいると、
色んな選手がリハビリにきて、復帰して行く過程をみてるわけなんだけど、
ほんといつしか
メンタルの先生みたいな役になってたのかもしれない。笑
(良いように書きすぎたか。笑)
けど、ほんと色んな仲間の声をたくさん聞いた。
そして、一緒にがんばってきた。
そんなね、リハビリ中
色んなサポートもした。
ボトルの水がなくなってたら水を汲み、
夏場は氷も入れ
冬はみんなが熱くなって脱いだ服を
端に運んで畳んで置いておいたり
凍りそうなくらい寒い時は
部室の暖房をかけてその中に置いたり
マーカー拾いやコート準備の手伝い
そして、ボール拾い
走れるようになった頃は
副審もしたり
色んなことをした。
私の場合は、
練習の時間はなるべく
そういったサポートができるようにと
いける日は練習が始まる1時間から日によっては2時間近く前からグランドに上がって
自分のリハビリをして
練習時間は横で色々やりながらもサポートできるようにしてた。
でも、そんな事まで考える人はそうそういないだろう。
リハビリ仲間の中には
練習をみたくないから練習に出たくない選手もいた。
理不尽な扱われ方や
サポートする事が当たり前のような態度をとる仲間に対して腹を立ててた仲間もいる。
自分らだって、リハビリせんといけんのに…
そうも思うだろう。
扱われ方も結構雑だったりもあったから。
イライラする気持ちもわかる。
自分も安定してない時も時にはあった。
だから、逆にいうと
そういう気持ちもわかって
サポートしてくれるリハビリメンバーに対して
いつも
『ありがとう✨』
そう声をかけてくれる仲間がいるだけでも、なんだか救われた気持ちになったりもした。
そしてそれは、
自分がリハビリから復帰して
選手に戻った時に
絶対に大切にしよう❗️
そういう思いにもなった。
サポート側の気持ちって体験しないと分からなかったりするさ。
それを体験させてもらえた事は、貴重な経験だったのかもしれない。
だからほんと
色んな選手をみてきた。
それはリハビリにきた選手だけじゃなくて
リハビリの選手が悩むように
中でやってる選手だって
悩みを持ってたりする。
リハビリしてるメンバーからしたら
できてるだけで羨ましい。
それだけでも…
と思うだろうが
中の選手だって、悩んでたりするんだ。
外からみてると
あれ?今日元気ないな
とか、
なんか〇〇らしくないな。
とか、
色んな姿がみえてくるんだ。
だから、声がかけれそうな時はしれっと声をかけてみたり
相談してくる人は相談してきたりした。
みんなそれぞれに葛藤してた。
でもね、
葛藤するって事は
本当はこうしたい✨
っていう気持ちがあるからなんだよね♪
じゃなかったら、
葛藤なんかしないし
とっとと辞めてしまってるさ。
でも、そうじゃないから
みんな悩むんだよ。
だから、
悩みや葛藤があることって
悪いことじゃないんだよなぁ♪
プラス金森(笑)
当時、大学のゼミの先生がメンタルの事も専門でされてて、色々と学んでたのもあり
あの頃の私の口癖は
『ハイエフィカシー✨』笑
誰だ?そう呼んだきたの⁉️笑笑
色んなことの見方を変えたり
起こった事を、プラスに、プラスに…と捉えるようにしてた。
そして、ポジティブな言葉をいう。
だから、私にプラスを求めて来る人もいた。
普段の会話はそんなできるわけじゃないけど、悩み相談にはのれる人だったのだろう。
リハビリ中も後輩の悩み聞きながら
一緒にグランドを歩いたり、走ったり
そんな事もあったなぁ。
あの時、どんな事話してたのかなぁ?
もう選手辞めようか…
でもね、そんな私ももがいてた。
リハビリから復帰して
やっと思いっきりプレーできるようになって
よっしゃ!これからだ!
ってなった矢先
また痛みが出てリハビリに戻る。
そのサイクルの中で
医者に言われたのは
再手術…
別のところから軟骨を移植させて膝にクッションを作るというものだった。
でも、その手術をしたら、復帰まで1年半かかる。
今から1年半考えたら、もう大学時代が終わってしまう。。。
だんだんだんだん
選手としての自分が
わからなくなっていったんだ。
こんなんだったら、
もう選手やめて裏方に専念しようかな。
学生トレーナーにでもなろうかな。
(当時、夢はトレーナーになる事だったのもあったので)
そんな事を思って、
その時、チームのトレーナーをしてくださってた方とグランドの周りを歩きながら、
そんな事を話したんです。
そしたら、
その人が言ってくれたんです。
『今、選手辞めてトレーナーになっても、将来自分と同じような選手が目の前に現れた時、その子も同じように諦めるよ。』
と。
それだけは絶対嫌だ‼️
だって、
トレーナーになりたいって思ったのは
そういう選手の力になりたい✨
そう思ってるからなのに
その子が諦めるようなことを自分はしたくない。
だったら今、
自分がここ乗り越えなきゃ‼️
そう思えたんです。
そう思ってからだったかどうだったか
そのくらいの時期に色んな出会いがありました。
ゆる体操との出会い
(ゆる体操についての詳細は、『ゆる体操』で検索してみてください。)
これもまた、大学のゼミの先生がされてた事から教わったのですが
初めて教えてもらってゆる体操をやった日
私は感動したんです❗️
《身体ってこんなに軽いの‼️✨✨》
今まで、疲労が抜けなくて
そんな中に練習が積み重なる。
おそらく身体は悲鳴を上げていたのでしょう。
そして、
学校に沢山ある階段や坂がキツくてキツくてしんどかった。
なのに、
ゆる体操の後は
身体がすごく軽くて
階段や坂が楽で
何これ❗️
最高✨
っていう感動を味わったのを今でも覚えています。
それから、週一くらいのペースで先生からゆる体操を教えてもらうようになって、
そんな仲間もだんだんと増えていきました。
私はゆる体操に出会ってから
疲労が抜けるっていう感覚を知れて、
これまで身体の使い方を間違っていた事を知って
正しい位置に身体があると
身軽で動きやすい事を知ったり
ゆるんでた方が当たりが強くなったり、
良いプレーがたくさんできるようになったり
足が早くなったり
ボールが足につくようになったり
相手の間をスルッといけるようになったり
たくさん色んな経験をしました。
(そんな感動を味わったからこそ、たくさんの方に伝えたくて、卒業後にゆる体操講師としての道を歩んでいた訳ですが。)
そしてね、ゆる体操がもたらしてくれた事はそれだけじゃなかった。
私の内面も変えてくれたんだ。
今まで生真面目で
なんでもやらなきゃ…
とか自分を追い込みがちだった内面に
ゆとりが持てるようになって
コミュニケーションの取り方も変わるようになって
性格も明るくなって
なんかね、人生が楽しくなったんだ。
その頃ほんと、人が寄って来るようになった。
身体がゆるむと心がゆるむ
心がゆるむと身体がゆるむ
そんな関係性を強く感じるようになった。
そして、
今まで努力して…
とか、
これでもか!
ってくらい追い込んで
ガンガン筋トレしてたんだけど
筋トレ以上にゆるめることの大切さを知ったんです。
そして、ゆるんだ方が身体の動き
(例えば関節の可動域が広くなったり)
も良くなるし
軸、センターが通る
筋トレよりもゆるんだ方がパワーが強いんだ。
わかりやすく説明すると、
身体がバネになるから
相手の力がそのまま相手に跳ね返っていくってこと。
そこから私は
今までしてた
間違ったやり方で
ただガムシャラにやってた筋トレをやめて
ゆる体操を大切にするようになった。
そこから、プレーも良くなっていって
トップに上がって
試合に出る…
というところまで繋がるようになったんです。
他にも色んな出会いがあったのと
色んな出来事もありますが、
リハビリ編はここまでにしたいと思います♪
次回は『裏方として駆け抜けた日々』です👍
今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございます😊
私の自己紹介はこちらから
そして、
おもいと今の挑戦をまとめた動画
ホームページはこちらにリンクとして貼れなかったので、動画の概要欄からみていただけたら嬉しいです。
興味を持ってくださった方は
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どうぞよろしくお願いいたします✨
今日も最後まで見てくださって
本当にありがとうございます😊
女子フットサル選手
金森彩加
現在、夢と色んなおもいを持って挑戦を続けている。
2018-2019シーズンにスペイン🇪🇸へ単身で渡り、一度帰国する事になったものの、再びスペインへと挑戦を決め歩んでいる。
怪我との葛藤も多く、『引退』が近いことも医者に宣告されながらも、なおかつそれを乗り越える方法を探し、可能性を導こうと歩んでいる。
それはきっと、夢を諦めたり、自分を否定したりしてる、また同じように怪我で諦めようとしてる、そんなあなたに届けられるものがある!と信じています。
『可能性は無限大∞』
『道は必ず切り開ける❗️』
私はそう伝えたい。
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Muchas gracias 😊
Hasta la próxima 👋
女子フットサル選手。過去の経験から今がある!ことに感謝して、夢に向かって歩んでいます!そんな私の活動を応援していただけたら嬉しいです✨