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ADHD、不安型愛着障害、白黒思考…人にはそれぞれの辛さがある

「愛着障害を乗り越える」というnoteにも書いたが、私は子供の頃から虐待を受けたり、みっともない親の姿を見たり、裏切られたりという経験をしてきた。

父との親子喧嘩では何度も命の危険を感じたし、自分が加害者にならないように常に意識しながら父と戦っていた。喧嘩の原因は母や弟を想って私が意見したからだ。娘に本気で殴りかかり、力でねじ伏せようとした父のことは憎い。顔も見たくない。消えて欲しいと思いながら生きてきた。縁を切りたいと心の底から思っている。

弟は兄弟喧嘩になると武器を手にしていた。素手では私に敵わないからだろう。私の身体には鉛筆やシャーペンで刺された跡が今でも残っている。喧嘩のたびにエスカレートするので、家中の武器となりそうな刃物を回収しながら喧嘩していたのを鮮明に覚えている。弟が包丁を手にした時は焦ったが、それを目撃した母は追われている私を叱った。弟のことは嫌いではない。周囲からは仲良しだと言われる。しかし、両親が弟ばかりを可愛がり差別していたこともあって、よくよく考えると弟のことは好きでも嫌いでもない。

父との喧嘩中、母は離れたところから「止めなさい」と声をかけるだけだった。負けて怪我をした私に「どうして怒らせるようなことするの?放っておきなさい」と毎回注意されるのは私だった。私が命の危険を感じて離婚を頼んでも別れてはくれなかった。泥酔した母を家まで必死に連れて帰ったり、嘔吐物を片付けたり、怪我の手当てをしたりは小学生の頃からしていたと思う。酔っ払って他の客のオヤジとベタベタする姿や、大きな声で話す姿はみっともなくて恥ずかしかった。外食で食べきれないほど注文して、食べきれない分をこっそりカバンにしまうのも嫌だった。

最近、改めてこの過去を思い出し、現在の自分を作り上げた要因を探った。家族を信じられない辛さ、苦しさ、孤独感、嫉妬・・・相談にのってくれる友達には聞かれれば大まかに説明した。しかし、その友達から返ってきた言葉は「まだ良いほうだよ。ウチの娘はおかしくなって大変だった。もっとひどい状態になったら、きっとお母さんも気づいてくれるよ」と・・・。

彼女にとっては理性が働いている私はまだ良い状況なのだと言う。本当に辛かったら理性は働かないと・・・。

私は子供の頃から理性だけは失わないように心がけてきた。それは、理性を失った両親を見て育ったからだ。理性を保つために自分の感情を殺すように生きてきたし、お酒に酔っても酔ってないフリが出来るところで留めていた。だからこそ、どんなに辛くても、悲しくても、表には出さないし、母とも弟とも仲良しを演じてきた。

他人から見れば私の我慢が足りないのかもしれない。大人気ないのかもしれない。でも、今、私は孤独や依存から解放されるための努力をしている。まだまだ何十年も生きるであろう人生を豊かにするために。この苦しみを繰り返さないため、自分らしく生きられるために・・・。

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