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既成社会離脱権   の 提案






人間は、みんな、赤ちゃんとして生まれて、
その時、自由意思は、
無い。







ただ、
かわいい。










すばらしい




自分の  食いぶち




地球上に、すべての、国家が所有していない土地が、まだ存在するのか、どうかは、僕は知らない。



しかし、もし、そういう土地が、存在するのだとしたら、その土地を、自由の土地、として、全ての、国家の暴力を、集結して、その自由を、守る、という行為の実験を、人間は、やってみたらどうかと、僕は、思う。




その、自由の土地、へ、入るには、条件が、ある。




その条件とは、自分は理性的で在る、という自覚、自信と言っても良いと思うが、そういうものを、持っている人間である、ということだけ、だ。



それは、人間同士の話し合いで、相手と譲りあい、すべての事柄を、決めることができる、ということで、ある。




その、逆の行為をした人間は、すべての、自由の価値を共有する、国家の暴力で、自由の土地からの、強制排除を実行する、というのが、自由の土地での、ただ一つの、法律の、実行だ。



排除された人間は、母国へもどり、その、理性を、再び発揮できる、自信と自覚が、できた時に、その土地に、再び入場を、許される。



もし、誰も所有していない土地が、この、地球上にまだ、存在するのであれば、その土地を、人間の、自由の居場所、として、すべての、国家の暴力で、守ってみては、どうだろうか?




やはり、
そこには、裁判、と、暴力、は、必要だと、思う。



しかし、行政、と、立法、は、存在し無くても、良いかも、しれない。





そもそも、自分は理性的な人間だ、という、自覚と、自信のある人間の、集まりだからだ。




話し合って、譲りあえる可能性は、高い。



しかし、みんな人間だから、失敗することも、あるだろう。



その時は、やはり、最悪、暴力が、必要だ。



その場所では、相手を尊重できる人間、でありさえすれば、良いから、




すべて、人間同士の話し合いで、決める。





僕は、みんなの暴力で、一つの、理想の土地、と、観念、を守ることは、人間は、できるような、






気がする。





地球上に、
存在する、




すべての、人間は、






繁殖に、







男と女、が、







必要、だ。







だから、






個人の、






究極の、自由など、







存在、






し、






無い。










社会には、かならず、ストレスが、存在する。






ストレス、など、無いほうがいいに、決まっている。




暴力を、自分で、コントロールできる理性を、自分が持っている、自信の在る人間、自分が、相手を思いやれる、こころ、を、持っている、自信のある人間、





だけが、






入場できる、
土地。









もしかしたら、
それに、
名乗りをあげる、










人間は、






そういう、
人間では、








無いの






かもしれない。






しかし、世界のすべての国で、その自由の居場所の自由を、守る、




世界のすべての国で、一つの場所を、守るのであれば、








人間は、できる、のでは、






ないか?





僕は、実験してみる価値は、






在ると、







思う。


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