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親子について
僕には、子供がいない。
できなかった。
ついてない、と、思う。
だから、僕は未だに究極は、子の、気持ちしかわからない。
だけど僕は、人間だから想像することが、出来る。
親の片方、母親が子を生んでから、ある時期まで、親と子の、需要と供給が、一致している時期がある。
それは、子が、自分一人では生きることが出来ない、時期のことだ。
その時期は、母親が子を生んでから、初じまる。
そして、子はある時期から、自分で生きようという、自覚が芽生え初める。
その自覚は、子が、成長するにつれ、どんどん、どんどん、大きくなる。
親は、その大きさに合わせて、その供給を、少しずつ、少しずつ、フェイドアウトして、いかなければならない。
そうでないと、人間は一人前に、成らない。
親子の需要と供給が一致している、人間のこの時期は、通常、子は幼い。親子の時間のなかで、それは、短い時間だ。
その光景は、この世で、最も、幸福で、美しい。
でも、その時期、親子は多忙で、その、自分たちにとって、この世で、最も幸福で、美しい時間が、流れていることに、気づくことができない。
気づかないから、親子は、この幸福で、美しい時間を、その時を、自覚することができない。
親子はみんな、ずっと、ずっと、先に、親として、子として、成長してから、思うのだ。
あの、この世で、最も、幸福で、美しい時、のことを。
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