学校の本来の姿
学校の本来の姿とは、どんな姿なのだろう。
先日、「Most Likely to Succeed」を観た。
そこには、私が見てきた学校の姿とは全く異なる姿があった。
大事なことは、学校がどのような場であるべきなのかということを問い続け、試行錯誤し続けているということだと感じる。
先生も生徒も保護者も葛藤している。全員にとって自分ごとである。
神奈川県茅ヶ崎市の小学校が通知表をなくしたというニュースがあった。
「通知表をなくす」ということは、あくまで手段である。
通知表を渡す=手段
その手段を通して、実現したい子どもの姿(状態)が存在する。
おそらく、多くの学校において、通知表を渡すという手段が、その目指すべき状態のための最適解にはなっていない。さらに問題なのは、その事実が問題であると分かっているにも関わらず、手段を変えようとしていないということだ。
とはいえ、スクラップには、相当な体力と時間がいる。
教員が不足していて、管理職のマネジメント能力が低い現状、困難な部分もたくさんある。だからこそ、若い人の力、家庭や地域、外部組織の力など、たくさんの力を合わせなければならない。
4月から株式会社教育と探求社に転職し、外側から教育に携わると決めた。そして、SchoolVioceProjectにも関わらせていただくようになった。日本全国の想いを集めて、先生と生徒の笑顔を増やしたい。
つじつまがあったシンプルな教育が実現を目指そう。
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