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売茶翁の「舎那殿前の松下に茶店を開く」を見に方広寺大仏殿跡へ

売茶翁の茶席を辿る、推し旅の続き。

『売茶翁偈語』には書かれていて気になっていた大仏殿にも行った。

舎那殿前松下開茶店 | 舎那殿前の松下に茶店を開く

売茶翁偈語

近くまで来て向かっている間、気になってはいたのだけど松がない。

この大仏のことは知っていて、かつては奈良より大きく、でも現存しない。絵を見ると舎那殿もかなり立派で、周辺には松の木がたくさん生えていたらしい。

『東山名勝図会』4巻(分冊7 コマ22)
京都府立京都学・歴彩館 デジタルアーカイブ [URL]

豊国神社に向かって伸びる広い参道を歩くのだけど、松がない。さらには方広寺はもう山門も参道もない。今思うと、入口の脇道のような場所にあった古い石垣が絵の絵の中の石垣の残りなのかな。

その石垣を入ると、イメージは地方のお金持ちの農家の庭先みたいな、道なのか歩いてはいけない場所なのかも不明なひっそりとした脇道を通って、大仏殿を目指す。すぐに見えた巨大な鐘。これはあの家康が怒った鐘事件の鐘なのだけど、普通にかかってる。つけるのかな?同じく観光に来たらしいご夫婦が見ていたので写真は撮れなかった。

さて、その鐘楼の脇の小道を通って大仏殿跡へと歩く。絵に描かれた栄華の面影はない。そして大仏殿。

なう。

大仏も大仏殿も今はないことは知っていたけど、まさかここまでただの公園だとは。草ボーボーの小さな一角で幼稚園児が遊んでいるだけだった。それはそれで平和な景色だったけど、ここ以上に諸行無常と夢の跡を感じた場所はないかも。

松の木が本当の本当に1本もない。抜いたの?戦火?西洋文化?売茶翁がいた頃は人気の観光地で松の木も美しく、お金を使うたくさんの人がいたんだろうなと思うことにする。

特に何かがある訳じゃないので案内板でもと読んだら、発掘調査の出土品は埋めたらしい。えっ、そうなの?で、当時をイメージできるように地面に印があるらしい。草ボーボーで全然わからなかった。なんかもったいないけど、そんなものなのかな。

大仏餅を食べたかったけど、ちょうど修学旅行生のバスが停まったのでやめた。

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