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煎茶道と売茶翁

最初に思ったのは、そういうのが一番嫌いそう。

茶道に対する煎茶道の存在のこと。

茶道には千利休という有名人がいて、煎茶道には売茶翁がいる。売茶翁のことはほとんどの人が知らないと思うけど、知れば知るほどかっこよくて千利休が霞む。ごめんなさい。ちなみに読み方は、ばいさおう。茶を売る翁。おじいちゃんだからね、ひねりなし。

この人のことを調べていると、ハイパー癖強だっただろうなしか思い浮かばない。めんどくさい系。そうでなかったら、おとなしく禅僧として成功?してるだろうしね。

いつでも自分のことを貧しいと言うけれど、おそらくそれは清貧のこと。自分の死後、道具が辱められないようにと焼いたくらいの人気者で、得ようと思えばパトロンなんていくらでもだったと思う。

でもそうはしなかった。風光明媚な場所に出かけて茶席を設け、一銭でお茶を売る。型破りな生き方や世界観に惹かれる人が跡を絶たなかったらしい。これという考えがあって、それを出たくなかった人、かっこいいよね。そんなおじいちゃんのしたことを煎茶道とくくるんだと言うから、ふ〜んと思ったのです。

型破りな人を型にはめる
茶道具を辱めることと大差ない

んじゃないかな。大きなお世話だけど。

しかし売茶翁の死後、煎茶道はその弟子たちによって茶道具に対する崇拝、血統、体系化された儀礼、独自の作法や美意識といった形式に支配されカルト化していった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/煎茶道

売茶翁の死後にカルト化していったとされる煎茶道。生前の売茶翁も"道"を謳って、人を囲っていたのかな。そんな面倒なことしなそう。するなら、名のあるお寺の住職になった方が早い。

煎茶道の一派の茶会をテレビで観た時は、美しい畳敷きのお部屋にて玉露碗らしき器で玉露より少ない、小さじ1杯分くらいの浸出液を飲んでいた。私には堅苦しく見える。売茶翁の売り文句に当てはめると、その小さじ1杯で1銭。そうなの〜?残された茶道具や絵、漢詩を見ると、基本が野点。お客は往来。いろいろ適当だったんじゃないかな。

"道"の始まりが売茶翁ではない煎茶道もあるだろうしね。煎茶道をどこかで体験してみようかしら。お話も聞いてみたい。

景色の良い場所に店を出していたという売茶翁。当時は営業許可とかいらなかったのかな〜と今はそんなことを思った。

売茶翁の碑が建っているところがナイスだった。

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