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【読書】瀬尾まいこ『夜明けのすべて』

どっかの文芸誌の対談で、宇佐見りんさんが「今でも最低2日に1冊は本を読むようにしている」と話していらっしゃるのを見かけました。
(宇佐見さんは河出書房のイメージなので、たぶん『文藝』だったかな…?)
作家として書くことに命を燃やしている人ですら、ペースを保って活字と向き合っている。自分よりも随分と若い宇佐見さんのその姿勢に、いたく感動したのを覚えています。

私はもの書く人ではないし(でも、文章で何かを表現できる人になれたらいいなとは常々思っている)、30過ぎて今更何を、みたいな思いも去来しないわけではないけれど、やっぱり量をこなしてこそ見えてくることもあるわけで…。

ってなわけで、1日1冊のペースで本を読んでやろうじゃないか、となぜか奮い立ってしまったのです。きょうの日中の、仕事中に。

帰ってさっそく、先達の意見を頂戴したくインターネットの大海へ…。
以下の記事を見つけました。

さらっと「やりきった」と書いてあります。
でも、このさらっと感は、ほんとうにやりきった人にしか出せないさらっと感(さらっと感ってなんだ)。
いわば、軽々と超絶技巧ピアノを弾く先輩を見て、憧れ・好意と、自身の才能の無さを直視したことによる絶望をともに抱える音大生のような、そんな気持ちになりました。


脱線甚だしいですが、思い立った以上はとりあえず無理だと分かるまでやってみなきゃ、というわけで、唐突にきょうから始めます、1日1冊。

さて、きょう読んだのは、瀬尾まいこさんの『夜明けのすべて』(文春文庫)。
来年映画化されるそうで、どこの書店でも文庫が平積みになっていますよね。つい手に取って持ち帰ってきてしまいました。

感想はいつも通り、ツイートにて失礼します。

PMS(月経前症候群)を抱える藤沢さんと、パニック障害の診断を受けた山添君。
それぞれの困難を抱える2人が、実はお互いに遠慮・葛藤しながら、相手のためになれることを手探りでやっていくお話。
でも、相手から見ると全然遠慮がちじゃなくて、むしろ図々しく映っているのが微笑ましくて。(この、微笑ましい、って気持ち、まさに2人の周りの人たちが彼女たちに向けている視線そのものだ)

ツイートにも書いたけど、「夜明け」のシーンは出てこないです。
あえてこじつけるなら、自分自身に絶望する暗い夜。それがいつまでも続くような気がしてもがく2人。それを救い出してくれたお互いの存在があって、2人は前へ進む。明けない夜は、ない。

みたいな感じなのでしょうけど、そういうダークさが迫ってこすぎないで、ちょいちょい挟まるコミカルな描写のおかげでほっこり読める。瀬尾まいこさんの作品はそういうところが好きです。

あと、2人に関わる周りのひとたちの目線が、とにかく温かい。
仕事に支障をきたすほどのしんどさを2人が抱えているとき、それを否定するわけでもなく、かといっていたずらに理解しているふうを装うわけでもなく、適度な距離感で見守ってくれる様が、もう本当に、いい。
私も栗田社長のもとで働きたい…。


(ところで、「夜明けのすべて」って、どこからどこまでを言うんでしょうね。たとえば、朝の気配のない真っ暗な午前3時は、「夜明けのすべて」に含まれるのでしょうか。
初日の出といえば、太陽が出てくる瞬間に加えて太陽が出てから―顔にオレンジが差し込んでしばらく―もその醍醐味だと思っているけど、「夜明けのすべて」には、この太陽が出きった状態は含まれるのだろうか)



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