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帯は捨てる派なのだけれど

本の帯は基本的にすぐに捨てる。

文庫本を裸でカバンに突っ込んでいると、まずダメージを受けるのがこの帯だから。
真ん中あたりから無残にも破れ、あげく切り離された帯の欠片は、カバンの奥底に沈みゆき二度と発見されない。

かといって折り目にそって綺麗にたたみ直し本に挟んでみると、表紙だけが微妙に膨れてどうにもかっこ悪い。

それになんといったって、本棚に並ぶ文庫本の文字列は、きれいに揃っていてほしい。

そう、こんなふうに。講談社は一面黄色で素敵。でも、新潮のカラフルさも好き。

ところが、最近買ったなかで一冊だけ、いまだ捨てられない帯がある。

『推し、燃ゆ』である。
(感想は以下の投稿で!奇しくもここでも帯の話をしていました)

写真ではどうにも分かりづらいけれど、ホログラムみたいになっていて、光を反射してキラキラと輝く。
まるで作中の「推し」=上野真幸がステージで跳ね回るような華やかさだ。
(いや、上野くんはそうは描かれていなかった、もうちょっと斜に構えた感じだったけど)

とはいっても華美過ぎず、適度なキラキラ。
私はこれがすっかり気に入ってしまって、お気に入りのぬいぐるみを決して離さない子どもみたいに、帯をまとわせたまま『推し、燃ゆ』を持ち歩いた。そして、案の定その一部はくしゃとつぶれ折れ曲がり、みじめな切れ端となりカバンの奥底へと沈んだ。


(蛇足)

宇佐見りんさんで思い出したが、『かか』も最近読んだ。

愛ゆえに一体化して、痛みや喜びを(肉体的にも)共有するようになるという、『推し、燃ゆ』とも共通のスキームが見て取れる。

なんといっても書き出しの「湯船を泳ぐ赤い金魚」の話が印象的だ。
光がゆらめく水の中で(コンタクトを外した私が)目を開けたときのような前後不覚に陥る。
最後まで貫かれる「かか弁」の効果もあって、まるで自分とは別の世界の、別の時代の、遠いどこかの話のように思えてきたところで、さも当たり前のように現れる「携帯」「小田原」といったワード。
物語が現実世界と一体だったのだと気付くそのころには既に、読者は宇佐見ワールドに引き込まれている…。

てな感じで、おもしろかったなぁ。

2023-10-15



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