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さようなら日高線 前編 砂上の鉄道

1週間後の2021年4月1日に廃止となる日高線・鵡川ー様似間の廃止によせて

2016年3月 日高へ

2016年3月末,札幌での所要を終え帯広を訪れたあと,その足で日高へと向った.その前年の2015年,日高線は度重なる高波によって路盤が流出し不通となっていた.その姿を眼で確かめておきたかったからだ.

帯広からは国道336号(通称,黄金道路)を南下.観光名所の襟裳岬を回り込むことはせず,そのまま国道336号の追分峠を越えてえりも町に入った.

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国道235号と日高線不通区間(2016.3月)

それまで十勝地方は厚い雲に覆われていたが,日高地方に入ると一変し好天に恵まれた.様似を過ぎると日高線と並走するレールが見えるようになる.しかし,レールは光の反射もなく輝きを失っていた.不通にして1年.完全に錆び付き,まさに廃線のような形相となっていた.

敷設されている場所は,波打ち際の汀線から数百メートル程度.防波堤もなければ防砂林もない.短期で錆を加速させ,金属を腐食させるには十分な環境が整っている.

2015年1月 冬の嵐

2015年1月7日.この日は低気圧の発達に伴い北日本は猛吹雪に見舞われた.北海道えりも岬では台風並みの最大瞬間風速43m/sを観測.北海道の玄関口となる新千歳空港の空の便は乱れ,軒並みに欠航となった.

遅い正月休みを北海道で過ごしていた帰省客や旅行客は足止めを余儀なくされた.さらに暴風雪で千歳空港からの列車ダイヤは乱れ,動くに動けなくなった乗客1,500人が空港で夜明かしするほどの混乱をもたらした.日高線もこの日の正午から運休とし,冬将軍の嵐が通り過ぎるのをじっと待つしかなかった.

翌日,この暴風雪をもたらした低気圧は千島列島へと去っていった.午前8時にJR北海道の保全員によって点検が始まると,すぐさまに厚賀~大狩部間の海岸部で盛土流出を認める.

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日高線 厚賀~大狩部間67k506m 付近における盛土流出について【PDF/1,735KB】

一連の点検調査は1月13日に公表された.幸いにもこの厚賀ー大狩部の区間以外は大きな破損はないように見受けられた.そして,厚賀ー大狩部の区間は過去からも度重なって被害を受ける場所となっている.やや時間はかかるかもしれないが,今回も復旧するのではないかと思われた.

ところが,JR北海道は試算で工費が約50億円近くことをかかるとし,事実上の復旧断念を暗に示した.情報の非対称性を利用してJR北海道は完全に幕引きに出た.

2015年9月 二つの台風

その後も地元の陳情も右に左へと流して時間をかせいでゆくであろうと思われたが,半年後,日高線は再び災害に見舞われる.

同年9月,ミッドウェー沖で台風17号が発生.子午線を超えて,台風17号は西へとゆっくりと進んできた.珍しい挙動ながらも,日本へ直撃する恐れもなさそうな進路であったため,ニュースのトーンもやや穏やかな感があった.

ところが,数日後に新たにフィリピン沖で台風18号が発生した.こちらは勢いよく北上してくる予想進路を描き,メディアは明らかに直撃する台風18号にフォーカスして動向を詳しく伝えた.

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一方,遅々としていた台風17号は,台風18号で覚醒されたかのように日本に接近するにつれて勢いを増した.加速された様子からは一時は二つの台風が衝突し,前代未聞の融合するのではないかとも思われた.

その後,互いの巨大台風は磁石同士が反発して弾かれるように進路を変え,台風17号は北上,18号は東海地方に上陸しつつ山陰方面へとぬけていった.

この二つの台風に挟まれた関東・東北は直撃こそまのがれたものの,近年にない大量の雨が北関東を襲った.最も被害が大きかったのは茨城県の常総地域で鬼怒川が決壊.その他にも,東日本各地に深い傷跡を残した.

内地のニュースがこの鬼怒川の決壊を全面的に取り上げる中,JR北海道は9月14日に日高線の運休区間で台風17号による被害があったことを発表する.

台風の進路は,北海道では直撃はまぬがれたので被害はさほどではないと高を括っていた.しかし,プレスリリースで発表された資料をみて息を呑んだ.写真には日高線の数カ所で路盤が崩壊し,波の藻屑と消えた様子が写しだされていたからだ.1月の暴風雪のときよりも被害規模が拡大していること明らかで,素人目にみても「終わった」と思わせた.

台風の影響が及ぶことが稀な北海道に,この年に限って大型台風が接近し,日高線は1年に2回の高波による被害を受けた.同じ年に二度の罹災は異例の中の異例ともいえるが,近年の異常気象という言葉で片付けるには,あまりにも酷(むご)い仕打ちとなった.

高波と津波

高波という自然現象は,災害としての脅威が伝わりにくいが,高波のその威力たるは津波に匹敵する破壊力をもつ.かつて,江戸期の東海道における災害史でも,「津波」と解釈されていた被害が「高波(もしくは高潮)」であったと考証される事例もある.

残された古文書で記されているその被害の様子も,また傷跡も一見すると津波とは区別がつかない.一つの地域だけでなく広域での各種の古文書を突き合わせて,地震の記載がったならば津波,季節的な暦からも照らし合わせて台風であれば高潮・高波と判断されるが,両者は極めて似通っている.

砂上の鉄道

無防備に海浜を走る軌道が日高線の車窓風景の見せ場でもあり,かつての軽便鉄道の名残を残す魅力でもあった.それが仇となったのが2015年の災害であった.

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流された鉄路

並走する国道は全くの無傷でありながら鉄道は壊滅的となった.この差は何だったのかと日高線の災害区間を地形でみれば,崖下の砂浜の上に敷設されている脆弱さにあるとみることができる.

「砂上の楼閣」という表現を借りれば,まさに「砂上の鉄道」.明治・大正の軽便鉄道+拓殖鉄道時代からの100年間を防波堤もなく,よくこれまで持ちこたえてたというほうが適切なのかもしれない.

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砂上の鉄道:日高線

廃線に向かって

その後の対応については,当初からJR北海道はバス路線(BRT)への転換や廃線も視野にいれた流れへと誘導し,復旧する素振りはみせることはなかった.復旧には50億円近くみこまれる日高線に傍から見ても復旧させることはまずないことは明白であった.

そもそも,今のJR北海道は黒字を確保することすらままならない状況となっている.全線が赤字という収益構造と,さらにこの年に開通した北海道新幹線が,皮肉にもより重たい赤字を生む状況をつくりだした.

「ローカル線が赤字の元凶」という声も虚しく響く.この日高線を廃した所ところで北海道全線の赤字の止血にはならないからだ.

”復旧を望むならば関連自治体は資金を出せ”.供出するかといえば,人口減少が続く地元自治体も懐事情は同じで無い袖は振れない.仮に拠出できたとしても駅舎までが関の山.路線全体の資産についてを自治体に拠出させるには,税の利用においては不可ではないが無理がある.

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終着 様似駅(さまに)

そして,建設中の苫小牧から高速道路である日高道が着実に伸びてきていることも影を落としていた.高速ができれば日高線のさらなる輸送の客足は落ちるのは必至,復旧をするにはポジティブな要因は何一つもない状況となっていた.

あとは,着地点へどのようにランディングさせるか.過去の事例からも唯一の方法が,復旧をせず時間をかけて寄り切ることぐらいしかないのが未来予想図であった.

日高線もその未来予想図のシナリオで進み,被災から6年目の2021年1月5日,不通となっていた鵡川~様似の廃止を2021年4月1日とすることが正式に告知された.


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