【短編小説】初仕事
「ないんだよ、もう。俺にはお前を殺したときのような度胸がないんだよ」
佐藤雅弘(さとう まさひろ)の墓前で杉原照紀(すぎはら てるき)はつぶやいた。
墓にすがりつきたい思いだった。
思い起こせば、1ヶ月前――。
人通りのない寂れた商店街を杉原は佐藤をまるで引きずるように足早に連れていった。そして、店舗と店舗の間にある塀で囲まれた空き地へと引きずり込んだ。狭い隙間から佐藤を空き地の中へと追い込んだのだ。
地面が土になっている空き地で佐藤は横になって倒れた。
「ほら、立て!」
杉原は佐藤の服を引っ張って、ひざまずかせると、佐藤の顔面に向けてサイレンサー付きの拳銃を構えた。
佐藤は杉原の目をじっと見つめていた。真っ直ぐに見据える真剣な眼差し。言葉は発しないが、強烈に訴えるものがあった。
杉原はその目を嫌い、一旦、目をそらした。そして、杉原は目を合わせないようにして、すぐに佐藤の心臓めがけ、引き金を引いた。
サイレンサー付きの拳銃なので、周囲に銃声は響かなかった。ただ、ブシュッという音とともに、佐藤はゆっくりと倒れていった。
杉原は大きく息を吐いた。
これでやっとほっとできる、そう思った。
あれから1ヶ月。
ところが、杉原は佐藤を殺したことを後悔しない日はなかった。
初めて人を殺した。何のためらいもなかった。殺し屋として、華々しくデビューしたはずだった。だが、どうだろう。押し寄せてくるのは後悔の念ばかりだ。
あの目だった。死ぬとわかってからの、佐藤のあの目。杉原の脳裏に焼き付いて離れない。毎晩、あの目を思い出しては飛び起きた。最近、ろくに眠ってもいない。
あの時、佐藤は言葉を発しなかった。殺されるとわかっていて、命乞いもしなかった。すべては目で語っていた。
「お前はそれでいいのか?」
あの目はそう語っていた。どこか悲しげな、あの目。
1人目の殺人など、あっさりと終わらせるつもりだった。これから殺し屋として名を馳せていくための布石にすぎなかった。
それがどうだ。殺し屋としてやっていくどころか、何も手につかない。殺し屋として失格だ。たった1人の殺しで、今後どう生きていったらいいのかすら、わからなくなった。
拳銃を握りしめたまま、何度、自分の頭をぶち抜こうとしたか。
最初はネットの掲示板からの依頼だった。
殺し屋として生きていく、第一歩として手っ取り早くネットの掲示板を利用した。そして、すぐに人を殺してくれという依頼が入った。
何という世の中だろう。自宅に居ながらにして、殺しの依頼ができるのだ。
杉原にとって、そんなことはどうでもよかった。自分が殺し屋としてやっていければ、他人のことなどどうでもいい。
さらに言えば、自分が殺す相手のこともどうでもいい。依頼さえあれば殺すだけだ。
100万円の前金を振り込んでもらい、殺しを実行した。安すぎると思ったが、初めてのことなので、この程度だろう。
杉原は、殺しのプロとして、順風満帆な殺し屋人生を歩もうとしていた。ほんの1ヶ月前の話である。杉原はやる気に満ちていた。
これから殺し1本で身を立てていく、そう決めた。海外で拳銃を扱う技術を学び、狙撃まで訓練してきた。銃撃することに関しては自信があった。
決して失敗しない。
そんな触れ込みで知られる殺し屋にあこがれていた。
はずだった。
だが、実際に殺してみて、自分がしたことの重大さを痛感するとともに、圧倒的な後悔が杉原の心を支配した。
「なぜ、あんなことをしてしまったんだ?」
自分を責めない日はない。
「あの日に時間を戻してくれ!」
何度、そう思ったことか。
あの時の俺にこう言ってやる。
「そこに未来はない」
「佐藤という男は、どういう人生を歩んできたんだろう?」
殺し屋にとってはターゲットの人生を考えるというタブーを犯していた。杉原自身、止められなかった。
「佐藤に家族はいたんだろうか?」
「佐藤はどうして殺されなければならなかったのか?」
「佐藤、佐藤、佐藤・・・・」
頭の中は、佐藤のことでいっぱいだった。
「佐藤は幸せだったんだろうか? 俺があいつの人生を終わらしちまった。おそらく、40代くらいだっただろう。両親は健在に違いない。なのに、俺が息子を殺した。人生を奪った」
杉原は、自分に佐藤の人生を奪う権利はあったのだろうかと考えていた。あるわけがない。
「佐藤はどんな顔をして笑ったんだろう?」
いつも思い出すのは最後のあの目だ。真っ直ぐに見据えた、あの目。
「佐藤は結婚していたんだろうか? 子供は何人いたんだろう? あの日、父親が帰って来なかった。子供たちは悲しんだだろう」
杉原の馳せる思いは止まらなかった。
「佐藤の子供たちにとって、父親の死は一生引きずっていくはずだ。何せ殺されたのだから。どうして父親は殺されなければならなかったのか、一生考えても答えは出てこないだろう。そうやって、引きずりながら生きていくんだ」
1人の死。
それは、とてつもなく多くの人間に影響を与え、一生を変えていくものである。
杉原の肩にはずっしりと重いものがのしかかってきた。
杉原に家族はいない。天涯孤独である。
両親は小さい頃に亡くなった。記憶もない。
杉原自身は施設で育ったので、施設の記憶しかない。兄弟姉妹もいない。
結婚もしていない。
今年で36歳。
実は、杉原には彼女がいた。一生に一度、愛した女性だった。
誰にでも優しい女性で、小学校の教師をしていた。
だが、彼女は殺された。一方的に彼女に好意を寄せていた同僚の教師が、振り向いてくれない彼女に対して腹を立て、殺したのだ。何の罪もない彼女が一瞬にして、この世から消えた。
彼女といる時間はこの上なく幸せだった。
彼女の笑顔ですべては救われた。
しかし、殺されたことによって、彼女との思い出は悪夢に変わった。
それ以来、杉原は変わった。世の中を恨み、人生を呪った。
殺し屋になろうと決意したのは、その時だった。
そして、逃げるように海外へと渡った。
人生を終わらせるには早すぎる。何かを始めるのに遅すぎることはない。
3年前、一念発起して殺し屋になろうと決意したのだ。
このすさんだ世の中がイヤになった。誰も信用できない、誰も助けてくれない、そんな世の中に見切りをつけた。
いいことなんて何もない。一番の思い出は、施設での誕生日会。それも自分だけ祝ってもらったことはない。みんなで一斉に祝ってもらっただけだ。それが一番うれしかった思い出だなんて、悲しすぎる。
「クソ食らえだ」
そう言って、海外に飛び立って3年が過ぎたのだ。
技術は十分、身につけた。あとは実戦あるのみ。殺しの技術を磨いて世界に名を轟かせようと意気込んだ。
それがどうだ。
たった1人、たった1人でつまずくことになるとは。
何もやる気が起こらない。食べ物も喉を通らない。ただ、手だけが震えている。生きていることを実感するのは、悲しいかな、手の震えだけである。
杉原は佐藤の墓の前に来た。墓があるということは、佐藤には家族がいたんだろう。
「俺よりずっとマシな人生だよ」
杉原はつぶやいた。
「あんた、夢はあったのかい?」
杉原は、無意味に思える質問をした。
「あるよな。誰でも夢がないと生きていけないものさ」
そう言って、杉原はふっと笑った。
「俺が、その夢、奪っちまったな」
杉原は拳銃を佐藤の墓に置いた。
「俺はやめるよ。殺し屋稼業は性に合わない。殺したのは、お前さんが最初で最後さ」
するとそこへ、
「人殺しーっ!」
振り向くと、杉原の真後ろに小学校高学年くらいの男の子が立っていた。
男の子は包丁を構えていた。
「お、おい、落ち着くんだ」
「ボクは毎日、通ってたんだ! 必ず、必ず、パパを殺した犯人がここに来ると思ってた!」
「!」
佐藤の息子であろう男の子は、包丁を構えたまま杉原に突進した。
杉原の腹に包丁はもろに突き刺さった。
「ううっ!」
男の子は刺した後、急に恐くなったのか、後ずさりしながら、走って逃げていった。
杉原は、腹を押さえたまま、佐藤の墓にもたれかかった。
杉原の息は荒かった。
「あんた、息子がいたんだな、へへっ」
杉原は刺さった包丁を引き抜くと、手に握りしめた。腹からは血がドクドクと止まらない。このままでは出血多量で失血死である。
「へへっ、安心しな。あんたの息子を殺人犯にはしねーよ」
杉原は佐藤の墓につぶやくと、腹を押さえながら歩き出した。よろけながら、車を駐車しているところまで何とかたどり着いた。
意識が朦朧としてくる中、運転席に乗り込んだ。
震える手で包丁を助手席に置き、エンジンをかけた。
何とか発進させる。
杉原の車は蛇行していた。
ただ、目的地には着実に向かっていた。
海である。
付き合っていた彼女が好きだった海。
胸のポケットには彼女の遺骨の粉が少量入っている。
彼女と一緒に海へ飛び込むのだ。
思えば、彼女が殺されたときに、自分も死んだのかもしれない。
人を殺すことによって、自分を生かそうとしていただけだ。
他人を殺すことで生きながらえようとした。
完全に間違っていた。
俺はどうすれば、よかったんだろう?
杉原はもう何も考えられなくなっていた。
彼女との思い出だけが、よみがえってくる。
アクセルを踏み込んだ。
車は脇目も振らず、猛スピードで海へとダイブした。
車の後部から着水し、ずぶずぶと車は沈んでいった。
杉原は穏やかな表情をしていた。
その後、目撃者の通報により、落ちた車が引き上げられた。
車内には身元不明の遺体が一つ。
不思議なことに、警察がどれだけ調べても、遺体の身元は判明しなかった。
言わば、この世に存在しない人間だった。
杉原は、殺し屋になったと同時に自分の存在を消していたのである。
跡形もなく。
自分が死んだところで、誰も何も思わない。
ただ、存在しない人間がいなくなっただけだ。
警察は自殺と断定し、無縁仏として処理した。
終
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