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【短編小説】くす玉

「私たち、結婚する運びとなりました!」

 町の不動産屋に春が来た。
 一ノ瀬不動産の息子、一ノ瀬和樹(いちのせかずき)が結婚することになったのだ。
 お相手は、客として一ノ瀬不動産を訪れていた北村彩香(きたむらあやか)さん。
 
 彼女は親が所有する駐車場のことで、しばしば一ノ瀬不動産を訪れていた。
 そこで仲良くなり、このたびの婚約発表となったのだ。
 

 一ノ瀬不動産は丸井商店街に入っている。
 丸井商店街のメインストリートにおいて、婚約発表の特設会場が作られていた。

「おめでとー!」

 商店街の店主や、お客から祝福され、拍手も鳴り響いていた。
 くす玉までもが用意されていた。

「えー、僭越ではありますが、私から一言、申し上げます。丸井商店街のエース、一ノ瀬不動産の和樹くんが、このたび、めでたく結婚されることになりました! おめでとうございます!」

 呉服屋を経営する大山田高行(おおやまだたかゆき)が挨拶のため、ビールケースの上に立った。

「それでは、二人の結婚を祝しまして、万歳三唱をお願いします」

 一ノ瀬和樹と彩香は恥ずかしそうだったが、まんざらでもなかった。

「バンザーイ! バンザーイ!」

 周囲も一斉にバンザイをした。
 同時に大山田が二人の頭上にあるくす玉のひもを引っ張って、くす玉を割るように促した。

「バンザーイ!」

 最後の万歳三唱が終わると、和樹はくす玉のひもを思いっ切り引っ張った。
 くす玉が割れて、垂れ幕と紙吹雪が広がり、さらなるお祝いムードに包まれると思われた。

 だが、くす玉は割れなかった。

 それどころか、丸のままゴトンッと落下して、和樹の頭に直撃した!
 ゴンッという鈍い音がしたと思いきや、和樹はボクシングでKOを食らったかのように、気を失って倒れてしまった。
 くす玉は地面に落下して割れると、中からは真っ黒なボウリングボールが一つ、ごろんと出て来た。

「キャーッ」

 彩香の叫び声がこだまする。
 周囲は和樹に駆け寄った。

「お、おい!」

「大丈夫か!」

「救急車!」

「何てこった!」

 口々に叫ぶ人々。大変なことが起きたということは、その場にいた全員が理解していた。

 ただ、その輪の中に一人だけ、にやけている男がいた。

 呉服屋の息子、大山田光五郞(おおやまだみつごろう)である。
 光五郞は和樹をライバル視していた。
 小学校の頃の同級生で、誕生日も近かった。
 和樹の両親とも交流があり、父親の高行はなぜか自分の子供よりも和樹の方をかわいがっていた。

 光五郞は、中学受験、大学受験、収入、結婚と、和樹にすべて先を越され負けていた。

 光五郞は悔しくて悔しくて仕方がなかった。

 しかも、和樹のお相手の北村彩香さんのことも光五郞はいいなと思っていた。商店街を利用する客として、たびたび見かけてはいたが、まさか和樹の婚約者になっていたとは。

「ふざけるな!」

 言いようのない悔しさが光五郞には込み上げていた。
 光五郞の父親も父親だった。
 まるで、自分の子供が結婚するかのように、喜んではしゃいでいた。

 そこで今回、くす玉が割られると聞いて、中にボウリングボールを仕込んでおくことを光五郞は思いついたのである。
 思い通りの展開になった。
 和樹はいまだ意識を失ったまま倒れている。

「くくっ、ざまあみろ!」

 八つ当たりもいいところだが、光五郞は笑いを隠すのに必死だった。そして、周囲が右往左往している中、一人、棒立ちでにやけているのであった。



 一ノ瀬和樹は一命を取り留めた。だが、頭蓋骨陥没骨折により入院を余儀なくされた。

「和くん・・・」

 病院に婚約者の彩香が見舞いに来ていた。

「ありがとう。大丈夫」

「よかった。どうなるかと思った」

「心配かけて、ごめん」

「ううん、早く良くなることだけを考えて」

「そうだね。で、誰の仕業かはわかった?」

「まだ調査中みたい。警察も捜査してるよ。和くんのところにも来ると思う」

「犯人はわかってるんだ」

「え?」

「あいつしかいないよ」

「え、誰? 誰なの?」

「言わないけどね」

「・・・」

「仕返しをしたいけどね。今回ばかりは死ぬかもしれなかったから」

「どうするの?」

「警察に突き出すよ、もちろんね」

「証拠がないんじゃない?」 

「防犯カメラは警察が確認していると思うから、そこに映っていなければ・・・どうしようね?」

「危ないことは止めてよ。またこんなことされたら」

「さあて、どうしたものかな」

 和樹は不敵な笑みを浮かべた。



 警察は殺人未遂事件として捜査していた。
 しかし、犯人も用心深い性格なのか、証拠は出てこなかった。
 そこで警察は、吊り下げられたくす玉に残っていた指紋から、呉服屋の主人、大山田高行に目星をつけるほかなかった。ボウリングボールからも、指紋は出なかったのである。

「お、親父・・・」

 早朝、大山田家に警察がやってきた。この家の主人、高行を連行するためである。

「何かの間違いだ。すぐに戻る。それまで、店を頼んだぞ」

 高行は息子の光五郞にそれだけ言い残すと、警察へ連れられていった。

「お、俺・・・」

 光五郞は何か言いかけたが、言えなかった。父親の背中を黙って見送るしかなかった。
 光五郞はぐっと手を握りしめ、こぶしを作った。こんな思いをするのは、すべてあの一ノ瀬和樹のせいだ。一ノ瀬和樹がこの世にいる限り、自分たちがこんな思いをしなければならないのだ。

 光五郞はそう考えた。

 そして、今度はあいつを仕留めてやろうと考えた。
 今回は単なる脅しに過ぎなかった。次は本気で狩ってやる!
 ものすごい形相で光五郞はそう決めたのだった。


 次の日の夜、
 病院に到着した光五郞は、駐車場から裏口を見張ることにした。
 関係者出入口から侵入するためである。
 ご丁寧に白衣まで用意しておいた。
 幸い、呉服屋を経営しているため、様々な衣類が手に入る。白衣など、たやすいものだった。

 そこへ、けたたましいサイレンを響かせながら、救急車が入って来た。

 チャンスである。

 救急車を出迎えるために、病院の関係者が出て来ていた。これに準じて中へ侵入すればいい。
 光五郞は素早く白衣を羽織ると、急いで関係者出入口に向かった。病院スタッフは運ばれてきた患者に気を取られ、光五郞のことに気がつかなかった。
 光五郞はまんまと侵入できたのである。


 そんな光五郞を和樹はすでに予想していた。
 光五郞は和樹のことを憎んでいる。どういう理由かはわからないが、昔から和樹のことを疎ましく思っているらしかった。

 お門違いもいいところである。

 過去には光五郞の運転する車にひかれそうになったこともある。その時、車に乗っている光五郞からは殺意まで感じた。
 以来、和樹は光五郞のことを警戒していた。

 そして、今回の事件である。
 おそらく、光五郞はとどめを刺しに来るでしょうと、和樹は警察に相談していた。

「私を内緒で警護してくれませんか?」

 そうお願いしていた。
 是が非でも犯人を逮捕したい警察は、わかりましたと言ってくれた。
 あとは、犯人がいつ来るか、だけだった。和樹にとっては命がけのオトリ作戦だった。

”奴が来たぞ”

 警察のインカムに声が流れた。
 防犯カメラの映像により、裏口から犯人と思われる光五郞が侵入したという情報が入ったのだ。
 警察はチームで和樹の警護に当たっていた。
 和樹にもその情報は入った。

「避難しますか?」

 警察の問いかけに、和樹は、

「いえ、このままでお願いします」

 ベッドの上で眠ったふりをすることにしたのだ。

 病室にも隠しカメラが5台も設置してあった。犯人を逃さないため、証拠を取るのである。
 しかし、光五郞は病室になかなか来なかった。
 白衣を着て侵入したことは間違いない。
 だが、誰も彼もマスクをしているので、光五郞がどこにいるのか、警察は見逃してしまったのだ。

”作戦中止、中止だ! 避難させろ!”

 オトリ作戦の中止命令が出た頃、和樹の病室に一人、入ってきた。

”誰か入ってきたぞ!”

 暗い病室に一つの影がうごめいた。

”誰だ、誰だ?”

 よく見ると、女性のようである。

”女だ、女だ!”

 しかも、女性の看護師だった。 
 極度の緊張感の中、警察官たちは、よかった、女性看護師だと、ほっと胸をなで下ろした。
 看護師は点滴の液剤を換えに来たようだ。定期的な業務だ。看護師が液剤を変えようとした、その時!

”その看護師を捕まえて! 早く!”

 突然、誰かが叫んだ。
 警察が耳につけていたインカムにその声が鳴り響いた。
 それを聞いた隣の病室で待機していた警察官たちは、すぐに和樹の病室に入った。

「やめろ!」

 暗い病室に警察官がなだれ込んできた。
 電気をつける。
 そこにいたのは、看護師の女だった。

「な、何でしょう?」

 看護師の女は何事かという顔をした。

「その液体を置いてください」

 なだれ込んできた警察官の一人が指示した。

「え? これですか? ただの点滴ですよ」

 見れば、ここの本物の看護師のようである。警察官の間に、おかしいなという空気が流れた。

「ちょっと、調べさせてもらっていいですか?」

「え、ええ、どうぞ」

 警察が液剤を受け取り、調べてみるが、おかしいところはどこにもなかった。ガセだったようである。

「すみませんでした。どうぞ、取り替えて・・・」

”おかしいわ! まだ点滴が残ってるもの!”

 インカムにまた声が入った。
 看護師の女は点滴を交換しようとしていた。
 しかし、インカムで言われた通り、まだ交換前の点滴は大量に残されていた。

 やはりおかしい!

 看護師の女が交換しようとしたところ、警察がその手を掴んだ。

「あなたを逮捕します!」

 その女は点滴の液剤を持ったまま固まっていたが、ぷるぷると震え出すと、その場にしゃがみ込んだ。
 そして、泣き出した。


 女はこの病院に勤めている本物の看護師だった。
 名前は大山田美紗(おおやまだみさ)。呉服屋である大山田高行の娘だった。つまり、光五郞の妹である。

 大山田高行とその妻は15年前に離婚している。
 高行が光五郞を引き取り、妻の方は美紗を預かることにした。

 今回の犯行は、光五郞が美紗に頼んだのだという。
 光五郞は白衣を着て病院内に侵入すると、美紗と接触。
 打ち合わせをし、美紗は警察が見張っていることを兄に報告した。
 美紗は兄のために自分がやると協力したのだ。

 点滴に消毒液を混ぜて、和樹に投与する。

 そうすれば、証拠もなく和樹は死ぬだろうと踏んでいた。
 だが、それを防いだのはインカムの声だった。

 その声は・・・和樹の婚約者、彩香の声だった。

 彩香は和樹のことが心配で、病院内でカメラ映像を見張りながら待機していた。そして、点滴がまだ大量に残っているのに、なぜ看護師が交換に来たのか、疑問に思ったのだ。

 お手柄である。
 これを受けて、大山田高行は釈放された。同時に、息子の光五郞が2件の殺人未遂容疑で逮捕された。
 妹の美紗の方は現行犯で逮捕された。
 光五郞は離れて暮らす妹すら巻き込んで、殺人計画を実行しようとしたのである。
 父親の高行は事件の真相を聞き、がっくりと肩を落とした。
 そして、釈放されたその足で、一ノ瀬不動産の店の前に立つと、土下座をして謝罪した。

 和樹は回復した。
 何とか後遺症もなく、無事に完治できた。
 ただ、歩くときにはまだふらついた。
 両親に見守られながら、婚約者の彩香が手を携えて、和樹は退院していった。
 一方、大山田呉服店は店をたたみ、丸井商店街から逃げるように去って行った。

 その後、大山田家がどうなったかは、誰も知らないという。




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