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SDG史 #2 公害がほしい、からの対話

 皆が一つになるには、キャッチ―なコピーが欠かせません。例え、中身がないとか、スローガンに過ぎない、と言われようと言葉があることで、深まっていくわけですかけがえのない地球(Only One Earth)は、まさにその役割を果たしたと思います。

  「SDGs史 #1 "かけがえのない地球 Only One Earth" 1972年6月」
をご参照ください。

 先進国は、「公害」というだけでは内政干渉になる可能性がありましたが、地球という観点でまとまる可能性がありました。

 しかし、大きな問題が立ちはだかりました。途上国が猛反対したのです。その論理は明快で、公害対策なんかしていたら、貧困問題は解決できない、という理屈です。元上司いわく、「都市化や開発が進むなら、むしろ公害がほしい」と公然と話すような状態だったそうです。いわゆる南北問題です。

 ここで、国連事務総長のウ・タント氏、議長となるモーリス ・ストロング氏が地道な交渉を続け、開催にこぎつけるわけです。その際、かけがえのない地球(Only One Earth)人間環境(the Human Environment)いうキャッチコピーが拠り所になったようです。

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ちなみに、ウ・タントは、アジア人初の国連事務総長です。
渋谷の青学の前にある国連大学の創設に尽力し、「ウ・タント国際会議場」の名で日本では知られています。

 開催はされたものの、「南」側は、大きな不信感を抱いていたようです。「北」側からの環境政策要求に対して、新植民地的でまったく非合理的なものという烙印を押しました。当時、環境保護の論議はすべて「北」の豊かな先進国の問題でした。「南」の国々からみれば、自国の経済成長を最優先課題だと考えていたのもうなずけます。

 インドの首相であったインディラ・ガンディーの演説の一部を紹介します。当時の状況を踏まえれば、とても納得できる主張です。

「私たちはこれ以上環境を貧しくしたくはありませんが、しかし、大勢の国民のおそろしいまでの貧しさを一瞬たりとも忘れることができません「貧困と欠乏こそ最大の汚染源」ではないでしょうか。(中略)貧困状態の中では、環境は改善されることはできません。また、科学技術を利用することなしには、貧困は根絶されることはできません。」
(『人間環境宣言―改訂版』金子熊夫編より)

 同時に「南」側は、会議において「北」側に主導権を握られることは、どうしても避けたかったのも事実です。「南」側は、貧困問題を最重要問題に据えることで、「北」側に対抗しようとしたんです。

 これが、SDGsで、ゴール1でまっさきに「貧困をなくそう」が位置付けられることにつながるんですよね。

 もう一つこぼれ話です。社会主義諸国は、環境問題を資本主義と帝国主義の問題であると宣言し、会議への参加を拒否しました。さらに公害なんてないと吹聴していたようなんです。でも、実際は、社会主義諸国も「公害」にも「貧困」にも苦しんでいました。元上司は、それを一般紙で発表し、話題を呼んだとよく話していました。

 こんな状況の中で、国連は、「環境」と「開発」による「貧困」脱却に真正面から取り組むことを決意します。そして、「かけがえのない地球 (Only One Earth)」というキャッチコピーで各国を何とか議論の土俵に乗せ、合意に向かわせたのがストックホルム人間環境会議でした。

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アポロが撮った地球は、実際に地球はひとつだという共通認識に。
「スティーブ・ジョブズから始めるSDGsの歴史」をご参照ください。
©WHOLE EARTH CATALOG

 補足して伝えたいのは、政治的な思惑はたくさんあった一方で、この時点で、「公害」、「貧困」、「かけがえのない地球 (Only One Earth)」をめぐる専門家の知見はすでに多く蓄積されていたことです。
 そうでなければ、成果にはつながらなかったでしょう。

 次回、元上司の当時の書籍を手掛かりに、具体の成果の中身を記事にします。今につながる芽がここで撒かれたんです。50年前に!

 お読みくださり、ありがとうございます!!!!

 これまでの文章は、『サステイナビリティ私観』をご覧ください。
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サステイナビリティ私観 (5)

「世界を変えるお金の使い方(Think the Earth Project編)」に基づいて100円単位~数万円単位でできること、50項目を実行し、その報告を記事にします。 「毎日使う100円玉にも世界を変える底力があります(P11)」 応援、ありがとうございます!!!!