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自治とデータ(第7回定例会の振り返り)

滋賀県内の自治体や企業らが集まり、スマートシティのあり方を一緒に考える研究会。7回目となる今回の定例会でフォーカスしたのは「自治とデータ」というテーマです。

未来の可能性を地域が見せる

今回のテーマを扱うにあたり、岡山県西粟倉村へ1泊2日の取材を行ってきました。

西粟倉村は土地の約93%が森林という、人口1400人弱の小さな村です。ここでは人口減少の波を踏まえて動き出した持続可能な村づくり「百年の森林(もり)構想」を推進すべく、村の自然環境や地域資源を生かしたマーケティングを行い、様々なローカルベンチャーを創出してきました。さらに2018年には西粟倉村として「生きるを楽しむ」というキャッチコピーを策定し、むかしからこの地域で暮らす住民さんとそこで移り住んできた人たちとがともにテクノロジーを通じて育みあうリビングラボを立ち上げ、実践をしています。

さて、前回の定例会で「コモンズ」について取り上げたとき、友人や家族という「ケア」が行われる社会資本の層を厚くすることによって、自分たちのもとに自治を取り戻せるのではないかという話をしました。会の後半でしたが、概ねこんな話でした。

資本主義の浸透、PCやインターネットの普及、メディアやモビリティの発展などによって、共同体の束縛から個が解放され、個が自由を感じられる社会になった。でも生活者として「便利でラク」な自由を求めすぎるがあまり、自分自身に関する情報なのに、情報(データ)を持つ企業や行政の方が詳しくなってしまい、意思決定や行動のコントロールを企業や行政に委ねてしまっているのではないか。
世の中は生活者としての本人とサービス提供者としての企業や行政という二者だけの関係で成り立っているのではない。その間に家族や近所や友人らによるケアの仕組みが存在しており、その関係(社会資本)を形成する「コモン」としての層の厚みをつくることで、自治のコントロール権を取り戻していくことができるのではないか。そして、それが地域の持続可能性に繋がるのではないか。
そのうえで、意思決定や行動に必要となるデータについて、いかに本人や友人らというコモンが主権を持って持ち合える仕組みをつくれるかが、これからの自治で重要になっていくのではないか。

しかし中心にいる「本人」自身は、果たして誰しも「ありたい姿」を描けるものなのでしょうか。取材のなかで、この村のリビングラボとして活動している「西粟倉むらまるごと研究所」の猪田さんと江角さんという方にお会いしたのですが、そのなかで研究所の方が仰った言葉が印象的でした。

その人にありたい姿がないとダメだっていうのは、行き過ぎた自己責任論だと思うんです。
個人に任せるのではなく、未来の可能性を地域が見せることが大事で、そこからいろんな「ありたい姿」を膨らませることができると思うんですね。

西粟倉むらまるごと研究所のなかを拝見して面白かったのは、工作機械だけでなく、工作後の作品であったり、いますぐ乗れる次世代モビリティが置いてあったりしたことでした。この日もこの建物2階にある学童保育に来ている子どもが、研究所のスタッフさんと一緒に棚の工作を行っていました。

ただ道具があるだけではなく、誰かがつくった作品から想像力を膨らませて、「何か作ってみよう」と思えるように工夫されているのです。そしてその作品は村の人や村に関わる人たちがつくったもの。また、西粟倉むらまるごと研究所では毎月第4土曜日には「オープンデー」といってスペースを開放し、地域のデータやいろんな道具に触れることのできるワークショップを開いています。

「未来の可能性を地域が見せる」とは、誰か特定の人に委ねるわけでもなく、でも個人へ自己責任的に委ねるわけでもなく、地域のなかでいわば「中動的に」ありたい姿を考え、つくりあう、そんな姿であり、その実践の場がリビングラボなのかなと感じました。

未来の可能性をポジティブに捉えるデータとは

リビングラボの定義は様々ですが、滋賀県でもいくつかリビングラボとして活動を始めている動きがあります。そのいずれにも共通しているのは、「何やら」思いを持っている人たちが、何かしらの場で出会い、その思いを共有することをきっかけに、「何やら」いろんな取組みが生まれていることなのかなと思います。その規模の大小を問わず、その中動的で自律的な試みの連鎖こそが、人のつながりをつくり、ケアしあえる関係を多発的に生みだしているのだと捉えています。

大津で試みが始まっている「Otsu Living Lab」ではそんなつながりにデータを活用しようと、Otsu Living Labに関わる人たちのデータベースをみんなで作ることによって、コミュニティどうしのつながりを作り、お互い連絡を取り合えるようにしていく、そこから新たなイベントをつくったり事業を実装させようと考えているそうです。

自治に必要なものを「お互いが中動的または自律的でいられる関係性」だと捉えたとき、関係性のなかで営まれる自治の潤滑油として「データ」をつくり、使っていくものなのだろうと思います。

しかし将来を予想するデータなどはネガティブになりそうななか、ポジティブになれそうなデータってどんなものなのでしょうか。東京や世界から発信される情報以外に、地域として見せることのできるポジティブなデータとはどのようなものなのでしょうか。

振り返り

以下、今回の振り返りコメントのうちいくつかを紹介します。これまで取り扱ってきた「パーパス」や「ウェルビーイング」というテーマが、少しずつ繋がってきた感じがします。

「未来の可能性をその地域が見せることが大事」という言葉がとても印象的でした。どのような未来の可能性を見せてあげられればいいのかは私ではすぐに思いつかなかったのですが、その地域で過ごしていてなにかワクワクする、言葉にはできないけれども「なんかこのまちいいな」と思ってもらえることが必要なんだと思いました。
どんな行政サービスを行うのかを先に考えるのではなく、地域の人がわくわくするのはどういうことなのかという観点で行政が動き方を考えられれば、なお良いなと感じました。

「未来を見せてあげるのが自治の役割」というお話がありましたが、地元に住んでいると(あるいはいるからこそ)地元のことは勘と憶測で判断しまってしまう人が多いのではないかと思いました。例えば「◯◯小学校が廃校になった」「●●祭りが中止になった」などネガティブニュースは広がりやすいので、若者はやっぱり東京に行かないと厳しいんじゃないかと判断してしまうなど(私もその一人でした)、そのために必要なのが自分や周りの地域データの可視化なのかなと考えを整理して聞いていました。

「未来の可能性はその地域が見せる」という言葉は心に刺さりました。
人が抱える課題からビジネス解決はあるべきと考えてきましたが、「地域」が持つポテシシャルの軸とそれに共感した集まり(コモン?)に、パワーを感じました。思いの軸ができることによって生まれる「ちょっとやってみよう」「みんなにちょっと聞いてみよう」、こんな西粟倉村の風通しの良さ、居心地の良さを、画面の先から感じさせていただきました。

「未来の可能性を地域が見せることが大事」という研究所の方が仰られていることは非常に大事かなと思います。
企業自体もビジョンとそれを実現するための戦略を描き、従業員自身がその中で自分がありたい姿(キャリア)を考えて、ワクワク感をどう感じられるかが大事なので、地域がどう住民にそれを見せれるか一緒に考えられたらと思いました。
なかなか難しいところなので、世代世代が模索しながら作り上げていくために関係する方々のそれぞれの役割共有、連携しながら試行錯誤で進めていくスキーム作りが必要と改めて思いました。共感ですね。

全国でスマートシティの取組みについての状況をお聞きするなかで、「自治体でデータを準備した」とか「データ連携基盤を構築した」という話はよく聞くのですが、そのデータを利用したサービスは概して行政視点であったり企業視点であったりするものが多いので、住民視点でデータからどういうサービスを生み出せるかというような活動について、非常に興味深く聞かせていただきました。

地域の場を提供したり束ねる立場の者が、まず自分自身のウェルビーイングをちゃんと大事にしているというのは、今後必ず求められていくマインドになりそうだなと思いました。

私も福祉領域出身の人間でして、「ひととひと、ひとと地域のつながりの接点の持ち方」について考えさせられました。
周りの人のことを気にしたり、地域のことを考えるひとが増えていくといいな、と前向きな気持ちになりました。そういったひとを増やすための機会を自然?につくっていくことが大切だと思いました。

ケア、福祉のお話がありましたが、私も母親が介護に関わる仕事をしています。最近、祖父母が介護が必要な状況になったのですが、当時特段困ったことが起こらなかったのは、それは母親が介護に関わる仕事をしていて情報を持っていたからだと腑に落ちました。もし私の親がいま介護が必要な状況になれば、同じようにはいかないだろうと思いました。
また、ありたい姿・あるべき姿については、思いがある人のものは吸い上げられる、ない人には示してあげられるような環境は大切だと感じました。
子供たちが夢をみられる環境について、ネットが普及してる中、他の都道府県や地域の様子を見ることは簡単にできると思いますが、やはり実際に自分の住んでいる市町で体験することが大切だと思いました。