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才能の本質がわかった(かも、、、)

今日も私の勝手な妄想の話です。


取り止めのない話になるのでその前提でお付き合いください。


「才能とか強みというものが、誰にでもあります」と言う人がいます。


私も言います笑


あると信じることがまず大事で、自分に才能なんかないと思うといつまで経っても見つからないという傾向があります。


しかも人間は一人一人違っているから才能や強みも千差万別だ、ということも話としてはわかるし、経験的にそうだなと同意はできるんです。


しかし専門家によるとその才能とか強みを特定する遺伝子はまだ見つかっていないそうです。


そこで最近考えるのは、持って生まれた固有の才能なんて本当はないのかもしれない、、、ということです。
(もちろん身体的な特徴はあります)


実際、正しい方法でトレーニングを続けることのほうが才能云々よりも重要だという意見もある。


これを突き詰めていくと結局才能は「刺激と反応の結果でしかない」んじゃないかということです。


Aさんが成長過程でいろんなモノやコトを見たり聞いたりして、その中から「これをやってみよう」と思うコトを実際にやる。


それをずっとやり続けることでそれがその人の「上手にできるコト」になり、結果として才能とか強みと呼ばれるようになる。


例えば「神童」と呼ばれるピアニストは、もともと天賦の才能があったと思われがちです。


しかし実はそうじゃなくて、たまたまどこかで聞いたピアノに興味を持って、正しい方法で練習を続けたから結果的に早くに抜きん出る存在になった、とは言えないだろうか。


これはあくまでもピアノを聴くという「刺激」に対して「自分も弾きたい」という反応を起こした。そして実際にそれをやり続けたということ。


そもそもピアノの才能を特定する遺伝子は見つかってないし、もし本当に生まれつきの才能があるんだったら「二十歳を過ぎたらタダの人」なんてことにもならないはず。

本当は生まれつきの才能なんてないんじゃないか。

単に刺激を受けて、その中から自分のやりたいことを選んでいる。

あるいは選ばされている。

それをやり続けたから結果的に「才能」とか「強み」と呼ばれるようになった。


この仮説のキモはこうです。


もしこれが本当ならできるだけたくさん刺激を受けて、その中から「やってみよう」と思うことを選べば良い。


そしてそれをやり続けるだけで才能とか強みになってしまう。


もちろんそこに「喜び」とか「楽しみ」とか「好き」とかいう感情が伴ったほうが幸せだけど、実はそれも必要ないのかもしれない。


ただ選んで、やり続けるだけ。


なんとなく味気ない感じもするけど、希望も感じますよね。


自分には才能があるのか、ないのかと悩むこと自体がナンセンス。ただやり続けるだけで良い。


もちろん良い指導者に出会う必要があるけど、持って生まれた才能とかは関係ない。


むしろ今までの人生経験の中で、何にどのように取り組んできたか、ということだけが才能や強みとして認識されるということ。


これは子育てにも応用できる考え方かもしれません。


取り止めのない話になってしまいましたが;;;、最近はこんな感じで才能や強みをとらえてます。


また変わるかもしれませんが。




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