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一番嫌いだった上司の話

「おい、あれとこれはやってみたのか?」

「はい」

「で、どうだった?」

「反応はいまいちでした」

「いまいちってなんだ?ちゃんとデータ出せ!」

「すみません、とってません」

「バカ野郎!データがないと何もわかんないじゃないか!」

「、、、、」



私は会社員時代に4回転職して5社に勤めました。


私の世代にしては多い方だったと思います。


元々飽きっぽい性格だし、組織の中でうまくやっていくのがそんなに上手なわけでもありませんでした。


だから愛社精神(死語?)なんて育たなかったし、むしろ嫌悪してました。


上司の中には素晴らしい人もいたし、助けてくれた同僚もいたけれど、それも会社に居続ける理由にはなりませんでした。


じゃあいつもカンタンにやめてフラフラと次の職場に移ったのかというとそんなことはなくて、それなりに自分の将来のことを考えて転職していました。


きっかけになった出来事についてはここに書いています。


20代の後半のある時、経営コンサルタントという仕事があると知り、ぜひやってみたいと思うようになりました。


あれこれ調べて、転職活動などもやりながら30歳になる直前にあるコンサル会社が採用してくれました。


ところがこれがどうしようもないブラック企業で、社内の雰囲気は最悪、自社の経営そのものもうまく行ってませんでした。


まあ、最初の転職は大失敗だったわけですが、特にその時の上司Kさんがかなりクセの強い人でした。


年は40代前半、中小企業で叩き上げの営業マンになり、その後このコンサル会社に入ったとのことでした。


いわゆるストリートスマートで、動物的なカンの鋭い人。


仕事はできる人でしたが、とにかく口が悪いし、愚痴っぽい。


それに気が短いからスグにキレる。


私は毎日頭ごなしに怒鳴られたり、社長の悪口を聞かされていました。よくつぶれなかったと思います。


ああいうのって、確実に社内の空気を悪くします。


ものが飛んでこなかっただけマシだったと今は思いますが、当時は嫌で嫌で仕方がありませんでした。



しかし実際のところ、当時の私は本当にわがままで仕事の取り組み方も雑だったので、全く使い物にならない社員だったのも事実です。


その一例が冒頭のやりとりですが、改めて書き出してみると、なんかフツーです笑


でも当時の私にとってはこんなやりとりが連日続くので、かなり参っていました。


顔を見るのも嫌だし、できるだけ関わらないようにしていました。


結局私はそのコンサル会社を2年ほどで退職し、事業会社の社員に戻ることになりました。


ところが、後になって気づいたのですが、私は仕事で難しい場面になると、いつもKさんを思い出すんです。


「Kさんだったら何て言うかなあ?」とよく自問します。


「お前、あれはちゃんと調べたか?」


「おい、”わかりました”って言ったな?じゃあお前の口で説明してみろ!」


「お前、アタマがこんがらがってるぞ!顔洗って出直せ!」


ああ、書いてたらだんだんドキドキしてきました汗


でもこういうフレーズを自分に問いかけると、意外と解決の糸口が見えるんです。


あと、こんなのもありました。


「いいか、プレゼンはな、ヤルかヤられるかだ!」


みょうにドスの効いた声で物騒なセリフが飛び出します。


特に私が大事にしてるのはこれです。


「いいか、絶対に手ェ抜いちゃダメだぞ。ゼッタイ手ェ抜くな!」


ああ、面倒くさいな、と思った時はいつもこのフレーズが頭をよぎります。


そして、ありがたいなあ、と思います。


何より自分が未熟だったし、本当にパワハラ上司だったと思うけど、一番嫌だった上司の言葉が今の自分を支えてくれているのは不思議なめぐり合わせだと思います。

もう会いたくないけどね。










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