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AIの進化で揺れる推薦・総合型選抜入試。その必然と制度の脆さ【制度の堅牢性を無視した結果?】

生成AIの進化が、学校型推薦入試、総合型選抜入試に影響を与えているようです。課される内容から考えると必然的な流れでしょう。

朝日新聞の記事がよくまとまっています。

(プレゼント機能を使っています。7月18日 9:49まで読めます)

総合型選抜入試を評価しておられる方の意見は、納得する点も多いものの、私は人間の「悪」の側面を真剣に考えておられない印象も持ちます。人間は、そんなに美しい存在ではなく、「楽をして、見栄えのいい大学に行きたい」という、人間は負の思考をもつ存在でもあるという点を軽視してはいけないとも思うので、現状は制度の甘さを感じています。

入学した学生のGPAが云々とは別にきちんと制度を整えるできだと思います。

記事の中にある

中国地方の国立大の担当者は「特に使用を制限することはない」と明言する。これまでも事前提出書類は周囲の大人の手が入っている前提で審査していたといい、書類選考後の面接や小論文は電子機器を使えない環境で行うため、評価基準を大きく変える必要はないと説明する。

太字は筆者による

という点は、運営側として織り込んで当然だろうと思います。その点において、生成AIの影響を受けない入試制度はとても重要だと感じます。

小論文を重視する推薦・総合型選抜入試は、制度としての堅牢さに欠けるという点は、このような社会の変化で簡単に揺らぐことからも指摘せざるを得ないのではと思います。

一部の私立大学は、このような「周囲の大人の手が入っている」提出書類の存在を知っていながら、見て見ぬふりをしていたことは明らかでしょう。この生成AIの登場で制度の脆弱性を考えないといけないレベルに至っている。問題は、最初から存在していたと私は理解しており、生成AIの進化は、そのことが露見したということだろうと思います。

少子化で経営不安を持つ、私立大学にとって、学生の早期確保の手段としての学校型推薦入試や総合型選抜入試は、経営を支える重要な制度となることは避けられません。それは理解できます。

だからといって、学力を無視し、形骸化した入試制度を放置することは、社会的に許されることでもないのではと感じます。

特に総合型選抜入試が未来の入試制度のデフォルトになると信じている方々こそ、この入試制度の脆弱性を真剣に受けて止めて欲しいとも思います。

私は、当面は現行の学力重視の一般入試+αで制度の方向性を探るのがいいと思います。言い方を変えると、どうしてそこまで学力を問うことに抵抗を示す人がいるのかがイマイチよく理解できません。

大学は勉強するところでしょう?その入学の可否を高校で習う内容の学力を問うて何が悪いのか。

創造性が大事というなら、大学に入ってしっかりと教育をすればよい。
現在の高校生の学習カリキュラムに創造性を育む点は、乏しいのですから、創造性を重視するというのであれば、高校のカリキュラムを変更して、創造性を高める教育プログラムを実施すればいいのではと思います。







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