二つのニューストピックをつなぐ点と線【急いで求められる衰退局面を前提とした新しい思考を創造できる人材】
ここのところ、気になっているのが、あるニュースのトピックです。
それは、短大閉校とデパート閉店です。
それについては、↓で記事にしています。
なぜこの2つのニュースが気になるのかというと、衰退局面における「脆さ」です。
と書いたのですが、あまりに数字と結果の因果関係がリンクし過ぎていると感じます。まるでアルゴリズムのような動き。
短大閉校にしても、あまりにあっさりと土俵を割っている印象は否めない。
資本主義が跋扈する時代とはいえ、そんなに簡単に白旗を上げていいものかという違和感は強いです。
短大の存在は、資本主義の猛威にさらされた弱者を学びを通じて市場的な価値を育成する側面があり、「儲かりませんから閉校します」でいいとは思えない。
私学が難しいのであれば、公教育が短大を存続させる必要性はあるのではと思います。
このようなニュースに接すると、「しょうがない」と考える人があまりに多い。それが一番の違和感かなと思います。
衰退局面でなんとか知恵を絞ることができる人が社会にほとんどないということが最たる理由なのでしょうか。
しかし、今この国は、急速な勢いで衰退しています。名目GDPではインドに抜かれています。このような「しょうがな」思考でいいはずもないでしょう。
衰退局面がデフォルトなのであれば、そこで問われる能力もまた違うものになることは当然のことです。
これまで、優秀な人の定義は「上昇局面で有効な手立てを講じることができるか」だったのでしょうが、これからは、「衰退局面でいかに局面を打開できるアイデアを出せるか」なのではと思います。
パラダイムが変わったことにあまりに無自覚な自称優秀な人の、現状肯定の意見など、なんの意味もないと最近強く感じます。
そのことにすら気がついていない人を見ると、現実の厳しさに震撼させられます。
「○○について解説します」が何の役に立つのか。
すでに、水面下では新しい思考が求められているのではと思います。
ただ、それができる人は限りなく少ないのも事実でしょう。
少なくとも現状では、エリート層から出てくるのは難しいかもしれません。このような方は「現世利益」にあずかれるので、世代によっては、逃げ切ることが可能だと考えられるからでしょう。
教育を変えるべきという意見も正しい側面を多く含みますが、ある程度要素を確定させてからでないと、教育はシステムなので機能しない。
少なくとも、教育で「実験」などできない。
ゆとり教育はその有効性を担保しなかった見切り発車の問題があったと思います。
まずは、衰退局面で有効な発信ができる大人が求められているのは、間違いないところではと思っています。