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多くの人に届く物理教育の必要性【欠落する物理の視点と日常】

コロナ禍において、理解したことの一つが、一部のお医者さん非科学的な思考でしょうか。
・PCR検査の否定
・マスクへの無理解
・コロナは風邪と考える思考

など、正直なところ「ここまでか!」と思わざるを得ないところもあります。

その背景に何があるのだろうかと考えることがあるのですが、一つの仮説として、社会がどの程度「物理学的な視点を獲得しているのか」ということはあるのかなと感じます。

マスク否定のお医者さんの言い分としてよく出てくるのが、不織布マスクの網目よりウイルスは小さいので通り抜けてしまうという意見です。

これは、↓のメラレウカさんのご指摘にもあるように、間違った認識です。

物理学の一つの特徴は、「直観と反する真実が存在する」ということでしょう。

アインシュタインが提唱した光量子仮説は、その典型で
「光は波動であり、粒子である」というのは、それが正しいとわかっていても、直観的に受け入れることが難しい。

これを若い時に学びとして理解することの効果は結構大きいのではと思っています。

上記のマスク不要説についても、このあとメラレウカさんがツリーで解説されている点まで理解ができなくても、

物質は、振動している。
質量の軽い物質は、ブラウン運動をする。
帯電している物質にはクーロン力がはたらく。

などの高校の物理の教科書に載っている程度の知識を咀嚼する力があれば、そんな「単純な話」ではないことがなんとなくであっても理解できるのではと思います。

少なくとも、マスクの網目が粗いのでスイスイとウイルスが通過するという「直観」をドヤ顔で主張することはないはずです。

また、プレハブ工法が検討されている大阪万博についても、物理の視点について気になるところがあります。それが↓のツイートです。

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スーパーゼネコンが懸念しているのが、軟弱地盤である会場地の杭打ちの難しさで、だからこそプレハブ工法をと言っているのですが、

支持している政党を擁護するためとはいえ、構造物をどのようにして支えるのかについての「視点がない」のはやはり気になるところです。

工学は総じて、応用物理の側面が強いこともあり、私たちの日常にはいろんな「物理学」が入り込んでいます。そのすべてを理解する必要はありませんが、ある程度の基礎知識はあった方が現代社会ではいいのかな感じなくもありません。

先日、TBSがやる気スイッチホールディングスを買収したという報道について書きましたが、

幼児や小学校低学年時の科学教育は、まだまだ市場として開拓できる余地があるのかもしれません。

科学への興味は可能な限り、子供のころに醸成させておくことは私の生育過程でもメリットを実感するところではありますね。

手塚治虫は、日本人の浪花節根性が大嫌いで、少年漫画に科学を持ち込み、合理的な思考を子供たちに授けたいと思っていたとされています。

しかし、日本人はどうしても感情に傾く傾向をなかなか脱することが難しい民族なのかなと感じます。

論理的な思考をする人を冷たいと感じる風潮もその一面かなと思います。

しかし、私たちの日常には科学はいろんなところに入り込んでいます。その土台となるが物理学で、その意味で物理を中心とする科学教育はとても重要ではと思います。

ただ、その物理教育は、高校くらいになると多くの離脱者を生み出していますが、これは教育の失敗なのではと常々考えています。

多くの高校生は、物理が理解できないのは、自分が悪いと考えがちです。それは、自己肯定感を下げるだけでなく、科学的な思考に背を向ける結果になっているのではと思います。

物理教育に携わる関係者はもう少し謙虚に自分たちのやっていることを見直すべきではと思います。

物理の視点を獲得するメリット、獲得しないデメリットを踏まえ、多くの高校生に届く物理教育としてのアプローチを高める努力は一層必要では思っています。





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