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将来的な国の人口推計についての心構え

公共財,社会全体のメリットを国や企業でどこまで出せるか.

おそらく企業が前のめりになる将来の人口推計.
いかに少ない人員で利益を出すかが将来的に企業に求められると同時に,増えていく高齢者が将来的生存の充実度を満たせる社会を目指すのが当然の社会になるのではないか.


代謝と将来への対応~過去の記事から~


以前(結構前だが)書いた記事は「情報端末を使えないというのは人権問題となるかもしれない。」という記事だ.
書いたのは2019年,今を予期したような内容も我ながらちらほら見かける.今現在AIであったりそれ以外のデジタルについても規制が見受けられる.公共物としてのデジタルであり,企業に課せられた使命としてデジタルの万遍ない普及と,記事から公共物としての成功について考えていたようだ.
最後の段落を記しておきたい.

公共物となるサービスは多くの人が求めているからこそなったわけです。グーグルやアマゾンなど、GAFAと言われているサービスは多くの人が求めるサービスを提供したから今の立場に立っている。30年後ということですが、30年経ったときに何が公共物となっているかは様々な立場の人さまざまに考えておく必要があるでしょう。便利でより良い暮らしのために、どうなっていくことが理想なのか。

情報端末を使えないというのは人権問題となるかもしれない。2019年3月14日

デジタルを考えてもモビリティを考えても,進み方は似ている.

老いとは,未来へ繋がる考え方の指針とは

興味深い連載がある.毎日新聞の「神への挑戦―人知の向かう先は」だ.
詳細については毎日新聞を読んでいただきたい
人間は老化するが,将来的には老化は病気の様に解消していく,ということなのかということや老化に対抗するのは人間の生物としてよろしくない方向に向うのか,などを個人的に考えた.
毎日新聞の人口推計データの検証記事もあった.

悲観的な将来推計の中に感じるのは,社会がどうすれば将来的に維持向上が可能なのか,ということが皆明確ではないまま時代は進み,皆は走り続けている.それを考えるのは我々成人であるおとなであって,子どもたちの未来を考えなければならない.
しかし未来は将来的に暗澹としている…

社会のせい,政治のせい,国の推計は,それは確かにそうである.
今の政治家に国を任せて本当にうまくいくのか.
しかしデータや社会環境の変化や推計は将来的にはこうなっているからといって,それを批評することで終わってはむしろ丸投げであり,それを言えば社会は変わるのか,といえばそういうことでもないだろう.

現代のテクニカルな分野を貪欲に取り入れ将来推計が的確だったとき,どのような社会になっていればその将来が皆にとり良い時代になっているかを考えることは大事だ.
しかし社会を考えるうえでテクニカルなものであったりイデオロギーであったり,様々に考慮する必要はある.
その上で将来的な推計は的確であっても「昔あったあの悲観的な論壇は間違っていたね」という将来の批評は喜ぶべきものだろう.
だからと言って批判的な論壇は将来を考えるうえでは大切なことでもあろう.

生存競争と知恵~traditional~

では将来的なビジョンの方向性について考えてみたい.
まず私の自己紹介でも書いたが,私は独り身だ.
しかし独り身は私だけではない,将来的に今回の人口推計は,私に限らない日本中の独り身を選んだ日本人数多くが考えていかなければならない.30年後はざっと1083万人.
将来を考えるうえで独身家庭が存在しそれが日本の問題である以上日本の課題として一人であることをフォローできるつながりがなくてはいけない.
そして子どもにとっても子持ちの親にとっても独身世帯の人間にとっても住みやすい将来は何かというビジョンが必要だ.
先に出た毎日新聞の連載記事等見て,それは余計に感じる.

神への挑戦―人知の向かう先は(毎日新聞)

繰り返しになるが,今の批評等が悪いわけでは決してないし,将来を考えるうえで必要である.
しかしそれらの中の悲観的な批評は空振りでなければならない.それは天気予報と同じだ.

私が今一番将来を考えるうえで必要なものは漢方薬のような歴史的伝統的に出来てきた人類の知恵の結晶であろうと考える.
それは思想であったら古いものと考えるものは多いであろう.
しかし伝統的な知見は将来的な人類の生存に向けて長い歴史を培った知恵である,それ故必要不可欠なものではないか.

どのような分野でもそうであるが,今を先取りし追いつこうとするあまり,将来的なビジョンのない時がある.
伝統的思考は歴史を考慮するうえで必要不可欠だ.それは長い人類の他者や他の生物との生存競争において培ってきた人類としての経験則であるからだ.
今を考えることはもちろん必要だが,伝統的な,保守的に比較的近い考え方も頭に入れていく必要があろう.

進化の過程と具体的事例~漢方薬とJTC~

漢方薬やJTC(Japanese traditional companies)は時代とともに変容してきた.
漢方薬で言えば病院での処方や漢方薬エキスの市販化,そしてドラッグストアでの販売という流れで市販薬の地位を確立していった.
実際効く.もちろん薬であるから療養の際は体に合うか合わないかは確認しながら飲むことが必要だが,その中で葛根湯をはじめ私は漢方薬に助けられたこともある.くれぐれも安全性は最重要である.

JTCを出したのでここから将来の日本における突破口を考えていく.
企業は将来的なビジョンが無くては立ち行かない.
それはなぜか.

企業は年長の者もいるが,壮年層の将来的に自分の企業が残ってもらわなければならない人間もいる.いわば社会の縮図だ.
それを考えると今の転職を目指す若者の将来ビジョンは客観的には身体における代謝と言えるのかもしれない.
それに対し社会の縮図たる企業は以前よりポジティブに考えるようになった.
実際JTC,日本の伝統的企業は変化に対応しつつある.

企業文化や組織風土の変革は数年単位の時間を要する課題だが、けっしてたどり着けないゴールではない

日本経済新聞 「昭和っぽい会社」の変身 ためらわず着実に前へ 2024年4月7日

将来への動機づけと変化への対応

社会,そして企業は人口推計をポジティブにとらえるべきだ.
若年層壮年層が減り,高齢者の割合が増える.生活資金の不安も確かにあるだろう.しかしそれでも人は生きるのだ.

生きるからには充実した生活を送りたいのは人の欲求だ.
欲求があれば満たすものもある,それもまた昔から考えられてきた思想の一つだ.技術的にも社会的にもポジティブに将来的ビジョンを見据える時だ.
2050年にテクノロジーが発達し皆が充実した生活を送ることの出来る社会を目指すためにどうすべきか.
それについて考えていきたい.

情報端末を使えないというのは人権問題となるかもしれない。|smart000003 (note.com)


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