ファンタジー短編小説「冒険者と魔物の一幕」

 口から派手に血を吐いた。毒が体に回りはじめた。蛇の魔物に噛まれて、その時に毒をくらった。近くの村で遺跡の魔物退治を引き受けたはいいが、先輩ともはぐれ、ひとりでこの場所をさまよっている。

「笑えないよ、ほんとに」

 足がろくに動かなくなり、うつぶせにぶっ倒れた。冒険者の命など儚いものだ。そう聞かされていても、自分の身に降りかかったのでは笑えない。

 頭から流れた血が視界を赤く染める。古ぼけた床がかすかに映るばかりで、ほとんど前が見えなかった。

「死にたくない……」
「助けてやろうか」

 かすかな苦悶の声に、答える者があった。
 
「私の言う通りにすればお前は助かる。蛇の毒にも負けないだろう」
 
 男性とも女性ともつかない声。うら若い少年にも思えるし、凛々しい女性にも思えた。だけど、今考えるべきことはもっと他にある。

「た、助かりたいです。でも、どうやって」

 自分の右手を誰かにつかまれる感触がする。蛇の魔物に噛まれたのは右手だったから、毒を吸い出してくれるのだろうか。でも、今更そんなことで命が助かるのか、疑問に思いもした。
 
 それにしても、右手から伝わるのは猫の肉球を思わせる柔らかな感触だった。ふさふさとした毛の手触りも感じ取れた。

「血の盟約だ」

 動物に噛まれる感触。その次に襲ってきたのは、心臓をえぐられるようなあまりに強い痛みだった。

「それぐらい我慢しろ。死ぬ時の痛みに比べたら、かわいいものだろう」

 長い間床の上で苦しみ悶えていた。声の主は心配する素振りも見せず、高圧的な物言いだった。

 視界がひらけてきた。痛みが引いていき、新米冒険者は命の恩人の姿をはじめて目にした。

「ね、猫……!?」
「ほう、ただの猫にこんな芸当ができると思うか?」

 命の恩人は心底呆れた顔を見せていた。二本の足で立つ姿は人間の子供のように見えたが、すぐにそうではないと分かった。猫の魔物だ。後ろ足で歩き、人の言葉を話し、魔法も使えると、子供の頃に聞いたことがある。

「ま、魔物!?」

 反射的に剣を抜く。猫の魔物は不機嫌そうにこっちをじっと見つめているだけで、反撃する様子を見せなかった。

「あのな、人間。魔物を狩る立場のくせに血の盟約も知らないのか?」

 先輩の言葉を思い出し、手が止まる。魔物を殺す冒険者なら、誰でも知っておかねばならない、一番の注意事項をついさっきまで忘れていた。

「私を殺せばお前も死ぬ。その逆はない。冒険者どもは、魔物と血の盟約を交わすぐらいなら死を選ぶ。そういう生き物だと聞いているぞ」

 冒険者人生最大の失態に気づき、がっくりと膝をついた。そんな様子は気にもかけず、魔物は顔をのぞきこんでこんなことを言い出した。

「今度はこっちの願いを聞いてもらう番だ」
「な、なんすか……」
「私はこの遺跡の外へ出たい。協力してくれ」

 魔物を退治しに来たはずが、魔物を野に放つ手伝いをする羽目になっている。先輩には何て説明すればいいだろう。あの人は魔物が大嫌いだ。魔物が嫌いだから、魔物を狩ると公言しているくらいだ。

「なんて説明しよう……」
「気を抜くな。女王の分体が私たちに気づいた」

 蛇の女王。村人たちの説明では、討伐対象のことをそう呼んでいた。そして、実物もついさっき目の当たりにした。女王の襲撃を受けて、先輩と離れ離れになってしまった。どうか無事でいてほしくて、拳を強く握りしめた。

それにしても、蛇の魔物を全部倒してくれと頼まれはしたが、猫の魔物は放っておいて良いのだろうか。なんだか依頼主を騙している気になって、さらに落ち込む。

 敵の気配を感じ取り、冒険者は剣を抜いた。曲がり角の向こうから蛇が這いずる音が聞こえる。

 小型の隕石が雨のように敵の群れに降り注ぐ。気づけば猫の魔物は空中を浮遊し、隕石をいくつも生成しては的に投げつけていた。

「魔物同士で殺しあっていいの?」
「別に珍しいことではない。女王を倒さなければ外には出られん。それに……」

 猫の魔物はそこまで言って口をつぐんだ。蛇の魔物たちを全て斬り捨て、冒険者は仲間との合流を、猫の魔物は出口を求めて先へ進む。

「人間、仲間と合流しようなどと考えるなよ」
「僕にはティトって名前があるんだけど」
「……ああ、人間は名前を持っているんだったな。便利なしきたりではある」

 ティトが不満げにそう言うと、猫の魔物は思いがけない返事をくれてよこした。

「私はニコラス。勝手につけられた名前だが、不便はないはずだ」

 風を切る音を聞き取った次の瞬間、一本の矢が猫の魔物を貫いた。

「ニコラス!?」
「こいつがお前の仲間か……ずいぶんと手荒い挨拶をしてくれる」

 ニコラスはうなるようにそう言って、自分の体に突き刺さった矢を引き抜いた。かろうじて急所は守ったようだが、傷は決して浅くないようだ。
 
 矢を放ったのは、身軽な装備をした冒険者だった。ティトよりも五歳ほど年上で、弓矢の達人だ。彼の獲物に逃げ道などないことも、ティトはよく知っている。

「次は外さん。心臓ぶっ潰してやる」
「せ、先輩……」
「分かってる。血の盟約を交わしたんだろ。そんで、名前も教えてもらった」

 魔物狩りのホーク。この先輩冒険者はそう呼ばれている。

 彼に頼めばどんな魔物も撃ち殺してくれる。まだ若いながら、腕の立つ冒険者だと評判だ。ティトも彼のようになりたいと思い、今まで鍛錬を積んできた。

「安心しろ、お前は撃たない。魔物の心臓を壊せばそれで終わりだ」
「で、でも! この魔物は討伐対象じゃないですよ!」
「こいつはもう人に危害を加えた。血の盟約を交わすことで魔物は人を支配する。人は魔物のために行動せざるを得なくなる。そんな生き方、悲惨すぎる」

 気づけばティトは猫の魔物をかばっていた。冒険者は自分の命を大事にすればいいとは教わっていたが、この状況では矛盾しているとしか思えなかった。自分だって少なからず魔物を殺してきたのに、自分の命がかかっているとなると、魔物すらかばうのか。
 
「名前を知ると情がわく。だったらその前に殺せばいい」
 
 ホークはそんな後輩を心から哀れんでいた。そしてその目は怒りに燃えていた。

「すまない、ティト。俺があの時魔物をさっさと撃ち殺していれば……」

 弓を引く音に、壁を勢いよく壊す音が重なる。巨大な影が土埃の向こうに現れ、それはホークに向かって巨大な手を伸ばした。

 彼は瞬時に回避行動をとり、鋭い爪は石床に突き刺さった。土煙が晴れ、蛇の女王が姿を現した。

「そっちからお出ましか。探す手間が省けた」

 見上げるほどに巨大な魔物。上半身は人間の女性を思わせるが、長い髪は蛇の群れ、足は大蛇の尾だった。

 隕石が女王の胴体に直撃する。一回目の襲撃の時よりも、傷の再生が遅い。繭のように、一人の人間が髪の中にくるまれているのが見えた。ホークとはぐれる前はくぐもったうめき声が時折聞こえていたのに、今は何も聞こえない。

 明らかに衰弱している。ずっと拘束されて、血の盟約のために生かされているだけなのだ。助けなければ。血の盟約に縛られていても、生きる道はあるはずだ。気づけばティトは駆けだしていた。
 
「馬鹿、前に出すぎだ!!」
「殺し合いはこいつの後にするぞ。でなければ全滅だ」

 ニコラスにそう言われたが、魔物にかける言葉はないとでも言うように、ホークは黙って弓をつがえた。ニコラスも特に気にした素振りは見せず、女王と向かい合った。

「あなたの庇護はもういらない。私はこの場所を出る」

 ニコラスはそう告げた。生気のない女王の顔がそちらに向く。

「今までのように、力ずくで引き止められると思うな」

 そう吐き捨て、ニコラスは女王に戦いを挑んだ。隕石を何度も落とされ、女王の体はえぐられていく。しかしいくら相手が衰弱しているとはいえ、血の盟約はまだ続いている。
 
 血の盟約が続いているなら、相手は生きている。ホークの援護射撃もあって、ティトは繭に接近し、繭をくるむ髪を切り離した。

「大丈夫ですか!? 今助け……」

 繭から引きずり出したのは、ついさっき事切れたであろう死体だった。村人の服装をした男性だった。極端にやせ細り、声をあげることもかなわなくなった。

 ずっと閉じ込められて、誰にも助けてもらえずに弱りきって命を落とした。すでに冷たくなった手を握ったまま、ティトは愕然としていた。

「ティト!!」

 先輩の声で我に返る。しかしその時には女王の腕が振り下ろされて、ティトは硬い床にまともに叩きつけられた。女王に付き従う蛇の子たちに噛みつかれる。

 ニコラスの体に大蛇の尾が巻きつき、きつく締め上げる。ティトは蛇の子を蹴り飛ばし、蛇の尾に斬りかかる。猫の魔物は戸惑ったような顔をしていた。

「あいつの血の盟約は尽きた。今なら勝てる」
 
 そんな言葉が聞こえた。目の前で小さな体は蛇の尾に押しつぶされ、見えなくなった。

 痛みをこらえる声、心底憎々しげな悪態が聞こえる。女王は力を得るべく、新しい血の盟約を求めていた。ティトは女王の手の中に先輩の姿を見つけた。蛇の尾は彼の体を締めつけ、髪が覆いかぶさって呼吸すらまともにできなくする。

「誰がアンタの言う通りにするかよ……」

 痛みをこらえ、傷をかばいながら立ち上がる時、ティトは先輩のくぐもった声を聞いた。体を大蛇の尾で締め上げられ、顔は怪物の長い髪で覆われている。

 ぎりぎりと嫌な音が響く。早く助けなければ手遅れになってしまう。ティトは剣を構え、蛇の女王のもとへと駆けだした。女王はこちらに目を向けた。

 繭の中に閉じ込められていたのは、女王が血の盟約を交わさせた相手だ。つまり今は血の盟約を持たない。ニコラスの言う通りなら、新しく血の盟約を交わさない限り、この魔物は以前ほどの力を持たない。

 炎の魔法を剣にこめて、長い髪と蛇の尾を素早く切り離す。ホークの体は倒れこみ、ティトは彼を助けるべくすぐに駆け寄った。

 しかし、女王の分体に突進され、崖の上から突き落とされそうになる。なんとか足場につかまったが、ホークは倒れこんだままだった。

「早くそこから逃げて……!」

 ホークは意識はあるようだが、強い力で締め上げられ続け、荒い呼吸を繰り返していた。力を振り絞り、這ってでも女王から逃れようとしているが、再び捕まるのは時間の問題だった。

 自分の目の前にも分体が迫っている。よじのぼった先にその姿をいくつも見とめた。血の盟約が尽きたことで、新手は発生しなくなったが、今動いている個体は影響を受けていない。それどころか、力が弱まった女王を守るかのように行動している。

 女王の手が伸びる。爪は針のように鋭く、人間の体など容易に突き刺せるだろう。斬っても斬っても敵は群がってくる。それでも道を切り開き、ティトは先輩のもとへと走った。

 次の瞬間、女王の右手がもぎとられた。続いて二発、隕石が女王の体に直撃した。

「この攻撃……まさか」

 先輩に肩を貸したまま、ティトは大蛇の下敷きになっているはずの魔物の姿を見た。

「私が死んだかと思ったか。もしそうなら、お前は今頃道連れになっている」

 ニコラスは宙を舞い、隕石を瞬時に形成して女王にぶつけ続けた。女王が攻撃され、分体たちは金切声をあげてニコラスに群がり、噛みついた。空中から引きずり下ろされ、体を引きちぎられる。

「あいつを助けてやれ」

 ティトは先輩の顔を見た。

「さっき矢を撃っておいてなんだが……今あの魔物を撃つ気にはなれない」

 ティトはうなずき、先輩をそっと床に横たえた。剣を抜いて女王に向かって走る。

「心臓を狙え! そこだけは破壊されると再生もできずに命を落とす!!」

 ニコラスは心臓を狙って今まで攻撃を続けていた。女王が振り返り、左手を振りかざしてティトに襲いかかった。

 ティトの剣は女王の左手ごと心臓を貫いた。

 そこから先は、ティト自身もよく覚えていなかった。
 蛇の女王を倒して、先輩と魔物を助けて、あの遺跡から脱出した。他に生存者がいないか探したが、女王に捕まっていた人間たちは全て事切れていた。

「血の盟約を交わさないと殺す、って脅したんだろうな。そして用済みになったら殺す」
「先輩、魔物嫌いなのに魔物に詳しいんですね」
「相手の手の内を知ってた方が有利に戦えるだろ」

 ホークはそんな憎まれ口を叩きながら、ティトと一緒に魔物の応急手当をしていた。胴体をえぐられるほどの傷を負っていたが、ニコラスはめざましい回復力を見せていた。

「さてと、もう大丈夫そうだな」

 先輩冒険者は魔物の体を持ち上げると、まるでぬいぐるみでもあげるかのように、後輩に手渡した。

「先輩が魔物を見逃すなんて……」
「世にも珍しいモン見たみてえな顔すんなよ」

 ニコラスは腕の中で静かな呼吸を繰り返していた。容態は安定したようだ。ボロボロに引き裂かれていた金色の毛並みも、今では綺麗に整っている。じきに目を覚ますだろう。

「他の奴らはそんなに甘くない。仲間なんか一人も作れやしない、孤独な旅になる」

 魔物を抱きかかえた今の状態を他の誰かに見られたら、逃げられるか殺されるかのどちらかだ。生き延びるためとはいえ、とんでもない選択をしてしまった。

 ニコラスの言うことが本当なら、魔物が死ねば自分も命を落とす。立派な冒険者になって、胸を張って故郷に帰るつもりが、他の冒険者から隠れなければならない立場になってしまった。

「それなら、こいつには責任をとってもらいます。勝手に死んだり殺されたりしないよう、見張るつもりです」
「いい考えだ。魔物が人の上に立つ生き物なら、それ相応の責任があるはずだよな」

 ホークは白い歯を見せて笑い、ティトにいくばくかの路銀を渡した。

「これは?」
「忘れたのか? 魔物退治の報酬だよ。蛇の魔物倒してくれって、近くの村で頼まれただろ」
「あ、そうだった」

村人たちにはホークがうまく説明してくれるだろう。村に魔物を連れていく訳にもいかない。先輩冒険者は柔らかな草地の上に座り込み、ティトとニコラスには背を向けている。

「ありがとうございます。僕、簡単には死にませんよ」

 新米冒険者は深く頭を下げ、魔物を抱えて歩き出した。人が行き来する可能性のある街道は避けて、人気のない森のそばを歩いていった。

 意識を取り戻したのか、腕の中の魔物がゆっくりと目を開けた。抱きかかえられていることに気づくと、彼は不機嫌な猫のようにもがいて、慌てて腕の中から抜け出した。

「な、何のつもりだ!」
「痛い痛い、ひっかくな! 僕と先輩とでお前の怪我の手当てしたの!」
「ええ……!?」

 ニコラスは信じられないとでも言いたげに、猫の目をまん丸にしていた。

「お前が死んだら僕も死ぬって、お前言ってたよな? 魔物と心中なんてお断りだ」

 しっかりと釘を刺され、ニコラスは半ばめまいを起こしていた。

「だからお前が勝手に死なないように監視する。血の盟約だかなんだか知らないけど、厄介なもの背負わせやがって」
「こっちこそお断りだ! ついてくるな人間!」
「僕にはティトって名前があるって言っただろ! 助けてくれた先輩はホークさんって言うんだ! 今度会ったらお礼言っとけ!!」  
「し、知るか!」

 魔物は浮遊しながら、森の中の小道を逃げていく。新米冒険者がそれを走って追いかける。誰かこの様子を見る人間がいたとしても、冒険者が魔物を追い立てているなと、何も不思議に思うことはなかっただろう。

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