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憎しみの恐ろしさ

 近頃、You TubeやNetflixなどパーソナライズ化されたメディア以外からも情報を収集するよう心がけています。その点においてニュース、或いは朝の情報番組はパーソナライズ化されていないと言えます。そこで個人的に重要な情報を収集したので、ここに紹介させていただきます。

 ノルウェーが要する刑務所は、世界一人道的だと言われています。最高刑は禁固刑21年(矯正が不十分であるとみなされた場合は延長することもある)で、他国に比べ非常に寛容といえます。政府は受刑者の社会復帰を最優先に考えているため、刑務所内でも開放的な暮らしを送ることができます。しかし12年前、その意義が問われる事件が発生しました。アンネシュ・ブレイビクという男が、政府庁舎前で爆弾を爆発させ8人を殺害した後、ウトヤ島に向かいそこで69人もの若者を殺害したのです。ノルウェーは肌の色や国籍、職業などで人々を判断しない社会を作り上げるという目標を掲げています。しかしブレイビク受刑者は移民政策などを敵視し、国をイスラム化から守るという理由で本事件を起こしました。狙われたのはサマーキャンプに出席していた与党や労働党、青年部の若者です。一方で彼には反省や謝罪の意は無く、自ら事件を正当化しています。遺族は受刑者の持つ様々な権利に苛立ち、その場で警官に殺害されることを望んだほどです。しかし遺族や事件の生存者は「憎しみ」の恐ろしさを知っています。ブレイビク受刑者の行動によって刑罰を厳格化することは彼の理想であり、ノルウェーは寛容さを失うべきではないと述べました。民主主義は「憎しみより愛」なのです。

 この事件についてしれば知るほど、自分の心の狭さに恥ずかしさを覚えました。他人の些細な行動で苛立ちを覚え、憎しみに変わることもあります。果たして私はそれで良いのだろうか。婚事件の遺族は家族を殺されながらも寛容な社会であるべきだと主張している一方で、私は何に苛立ちを覚えているのかと情けない気持ちになりました。

 「意識」することは無意味で、行動し習慣化しなければ会得できないと以前述べさせていただきました。今でもそう思っています。しかし、この記事を思い出した際に1日の苛立ちやに憎しみを寛容な心で許そうと思います。その一歩で身の回りが平和になり、やがて世界が平和になるのではないでしょうか。



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