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あなたはどっち?(10年ごとに考える『サヨナライツカ』)


 人間は死ぬとき、愛されたことを思い出す人と、愛したことを思い出す人に分かれるらしい。

 と、これは、以前、読んだ辻仁成さんの『サヨナライツカ』の一節


 辻仁成さんの文章は、ちょっと苦手だったりするんですが、この一節が気になって読んだのが20年前?ぐらいかな....
 その後、映画化を機会に再読したのが10年前.....

 気になりますよね、この一節.....
 私の場合、初めて読んだ時、映画化されて読みなおした時と、そして現在と、10年ごとに思い出してるとこが面白いですが__


いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない
孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうがよい

愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある

どんなに愛されても幸福を信じてはならない
どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない

愛なんか季節のようなもの
ただ巡って人生を彩りあきさせないだけのもの
愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ

サヨナライツカ

永遠の幸福なんてないように
永遠の不幸もない

いつかサヨナラがやってきて、いつかコンニチワがやってくる

人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
愛したことを思い出すヒトにわかれる

私はきっと愛したことを思い出す


 初めて読んだ時は、きっと自分は ”愛したことを思い出すヒト” に違いないと思っていました。
 10年前も同じです。即答できるぐらいでした....

 でも、現在、あらためて考えてみると、気持ちの中に変化があるような気がします。

    何かですね、今では ”愛されたことを思い出すヒト” になりたいと思うようになってる部分があるかな…


 なぜかは説明できないんですが、それなりに充実した恋愛もあったってことなのかもしれません。
 悲しい思い出の方が多い気もしますが、それも、また良しって思えるようになったからなのかな……

 やっぱり20年という時間は偉大です。


 さて、今の皆さんは、死ぬときに、愛されたことを思い出すヒトですか?、それとも、愛したことを思い出すヒトですか?