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その時、そのアイドルは大人になった...

 80年代は、キラ星のようなアイドルたちが活躍した時代でした。

 ただ、10代でデビューした少女たちも、やがて年齢を重ね、大人の女性になっていくわけなんですが、”可愛い”からスタートしたアイドルを大人へステップアップさせていくタイミングは難しいんですよね。
 世界観が変わってしまうと、それまでのファンが離れていってしまうかもしれないし、かと言っても、いつまでも少女ではいられない…

 というわけで、私的な見方ではありますが、80年代のアイドルたちが大人の女性へステップアップした際のシングル曲を考えていきたいと思います。(すいません、独断と偏見です!)


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中森明菜さんが大人になった時… 18歳

 まず、80年代の歌姫:中森明菜さんについては、これまでの記事でも触れさせてもらってるのですが、詞の世界で少女の歌から大人の女性の歌へ変化したのは「北ウイング」でした。

「北ウイング」1984.1

 作詞: 康珍化、全作曲・編曲: 林哲司

 デビュー時から、大人びたイメージをまとっていた中森明菜さん。
 大人の女性を歌い始めたのは18歳の時でした。
 その後の明菜さんを知っているものとしては、今見ると少女のあどけなさも残していますね。



小泉今日子さんが大人になった時…

 さて、明菜さんと同じ1982年デビューの小泉今日子さん。
 キョン2 は、先輩の松田聖子さんや同期の中森明菜さんとは違ったタイプのアイドルでした。
 デビュー時はいわゆる ”聖子ちゃんカット” だった髪型を刈り上げてショートヘアになった頃から、「主張するアイドル」または「アイドルを楽しむアイドル」のような独自路線を突き進むわけです。
 その方向性は1985年の「なんてったってアイドル」で最高潮を迎えた後、次にステップアップしていったのが「木枯しに抱かれて」だったと思います。  

「木枯しに抱かれて」1986.11

 作詞・作曲:高見沢俊彦/編曲:井上鑑

 このしっとり感のある曲が、大人のキョン2 を感じさせるのです。
 1つ前のシングル「夜明けのMEW」と迷うのですが、より脱アイドルを感じさせたのはこの曲でした。
 この時、20歳。オールナイトニッポンのパーソナリティになったのもこの年でしたね。



薬師丸ひろ子さんが大人になった時…

 ”ポスト百恵” と呼ばれた女優業と並行して、1981年の「セーラー服と機関銃」以降、歌手活動も行っていた薬師丸ひろ子さんも80年代を彩るアイドルの一人です。
 その薬師丸ひろ子さんが、大人の女性へステップアップしたのは、1984年の映画『Wの悲劇』で、曲の方はその主題歌だった「Woman "Wの悲劇"より」なのは間違いないと思います。

「Woman ~ "Wの悲劇"より」1984.10

作詞:松本隆 /作曲:呉田軽穂/編曲:松任谷正隆

 この時、薬師丸ひろ子さんは20歳
 映画の中、ただ、可愛いだけではない女性を演じたひろ子さんは、アイドルではなく間違いなく女優でしたね。(ぶってはいけないんですよ!)
    そして、歌の方でもある種の凛々しさを感じさせてくれるのです。



菊池桃子さんが大人になった時…

 菊池桃子さんに大人の女性のイメージ?
 と、思う人もいるかもしれませんね。
 そのあまりにも可愛い声質もあって、一貫して小女のイメージだった菊池桃子さんなんで、大人の女性へ移行するのはかなり難しかったのではないかと思います。
 ただ、商業的には上手くいきませんでしたが、1988年に結成したラ・ムーこそ、菊池桃子さんが大人の階段をのぼるためのプロジェクトだったと思うんです。
 ラ・ムーの第1弾シングル「愛は心の仕事です」の時は、小女性が抜けきれてない印象ですが、20歳になった後の第2弾シングル「少年は天使を殺す」では、見事な変化を見せてくれます。

「少年は天使を殺す」1988.6

 作詞:売野雅勇/作曲:和泉常寛/編曲:新川博

 当時は、コレジャナイ感が強かったのですが、今、聴いてみても古くない感じなのです。
 そんな20歳の桃子さん、やけにセクシーに感じます。



南野陽子さんが大人になった時…

 菊池桃子さんと同じく、その可愛い歌声から、うまく大人の女性へ移行できなかったのが南野陽子さんだと思っています。
 シックな歌を歌っても可愛いんだから仕方ないんですよね。
 脱アイドルを感じさせるのは、初めての自身の作詞曲「トラブル・メーカー」のあたりだと思うんですが、どうでしょう…

「トラブル・メーカー」1989.6

 作詞:南野陽子/作曲:木戸泰弘/編曲:萩田光雄

 この時、南野陽子さんは22歳
 ちょっと遅めではあるんですが、大胆なジャケットデザインに、衣装もOLっぽくて、新たなイメージを付加していってる感じはありますね。
(なんか、後の森高千里さんみたい…)



中山美穂さんが大人になった時…

 中山美穂さんはドラマから登場してきたアイドルで、数々のヒット曲とともにいろんなドラマ・映画を思い出しますね。
 松本隆/筒美京平コンビによる3曲、「ツイてるねノッてるね」、「WAKU WAKUさせて」(ドラマ『な・ま・い・き盛り』主題歌)、「派手!!!」(ドラマ『ママはアイドル』主題歌)あたりがアイドル街道まっしぐらだった頃です。
 その後は、ダンスチューンへとシフトチェンジしていくんですが、その契機が「CATCH ME」だと思います。

「CATCH ME」1987.10

 作詞・作曲・編曲:角松敏生

 デビュー時から早熟感が売りで、歌番組のステージでも大人びた衣装のイメージだった中山美穂さん。
 この曲の時は、なんと17歳
 この醸し出す色香!とても17歳とは思えないですよね~、ほんと。
 この曲の後も「人魚姫 mermaid」や「Witches」などのダンス路線の曲をリリースしていきます。



 さて、最後は80年代アイドルのトップランナー松田聖子さんについて


松田聖子さんが大人になった時…

 小女から大人の女性への変化はあっても、アイドル性が変わらないところが松田聖子さんのすごさで、まさにアイドルの中のアイドルだと思うんですよね。
 なので、ここまで紹介してきた皆さんと違って、「脱アイドル」という概念は存在しないかもしれません。
 そんな聖子さんの大人の女性の歌を考えると、やっぱり1983年にビールのCMで使われた「SWEET MEMORIES」じゃないかと思います。
 当初はB面だったこの曲が話題になったことで、松本隆さんは次のシングル「瞳はダイアモンド」で本格的な失恋ソングを歌わせたんじゃないかと思うんですよね。
 なので「SWEET MEMORIES」~「瞳はダイアモンド」の流れで歌の世界観が大人の女性へステップアップしたのは間違いないのです。

「SWEET MEMORIES」1983.8

 作詞:松本隆/作曲・編曲:大村雅朗

失った夢だけが
美しく見えるのは何故かしら
過ぎ去った優しさも今は
甘い記憶 sweet memories

 こんな大人っぽい歌を聴かせてくれた松田聖子さんは当時21歳
 ほんと、泣けるぐらいの名曲です。


 この曲、歌ってたら2番の歌詞が英語詞になって困ったことはありませんか?
 そんな方のために、2020年の日本語バージョンを最後に添付しておきますので、20代と50代の聖子さんの歌を聴き比べてみてください。

「SWEET MEMORIES〜甘い記憶~」
   Music Video 2020





(80年代アイドル関係note)

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