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人称からふり返る当サークルの既刊4冊

こんにちは、糠(ぬか)です! 

小説サークル「時速8キロの小蝿」はnoteを使い始めてから
既刊のお話以外の記事をほとんど投稿していませんが
このたびも既刊に関するお話となります。
更に今後も既刊のお話が並ぶような気はしますが
未来のことは未来の私たちに任せようと思います。

なお、本記事をご覧の方で当サークルをご存知ない場合、
よろしければこちらの記事もご参照ください。


さて、早速本題へと参ります。
今回は私が最近気になっている「小説の人称・視点」を足がかりとして
当サークルが今まで頒布した作品を掘り下げてみたいと思います。


人称とは
にん‐しょう【人称】 の解説
文法範疇(はんちゅう)の一。動作の主体が話し手・聞き手・第三者のいずれであるかの区別。それぞれ、第一人称(自称)・第二人称(対称)・第三人称(他称)とよび、いずれかはっきりしない場合、これを不定称ということがある。人称の区別は、人称代名詞の使い分けや動詞の語尾変化などに現れる(日本語の場合は前者のみ)。

goo辞書より抜粋

本記事をご覧の方には釈迦に説法な気もしますが一応。

字書きや本好きの方もざっくり一人称or三人称視点と
分けて捉えているパターンが多いでしょうか。
あっ、人称・視点の詳細な解説については触れません。
そこから始めるときりがないのです。

本記事はあくまで当サークルの最新作を除いた既刊4冊、収録15作品を
人称から省みることを主題とします。
なお、言うまでもないですが、以下の記述はすべて糠の主観と偏見です。




■一冊目:形のない歪み

テーマ:「SF(アナログハック・オープリンソース)」

・『S complex』
  著者:ゐづみ
  視点:一人称

・『hIE買うな』
  著者:マリアチキン
  視点:一人称

・『庭師の詩』
  著者:糠
  視点:三人称


人称から作品に迫る場合、なぜその人称を選択したのか? 
という問いが設定ができますね。


『S complex』では未成熟な「僕」の目を通して家族という骨肉の器のなかで生じた事件が描かれます。
視点人物の感情や経験を伝えやすい一人称視点ならではというテーマです。もし視点人物が姉代わりのアンドロイドに向けた感情を三人称で説明しきろうとすれば相当に骨が折れるでしょう。

次に『hIE買うな』ですが、ここには恐怖と過ちが描かれています。
面白いことには、視点人物はつどに自問しながらも恐怖と過ちにむけ自ずから進んでいるように感じられるんですね。この暗闇をすり足で歩くような世界観の構築においては叙述をタイトに絞った一人称視点が機能しているように思えます。

拙作『庭師の詩』は三人称ですが、冒頭たったの数行で三人称一元視点がある人物から別の人物へと飛んでいます。わぁ。
また、本作は大河的なスケールの大きい世界を設定しており視点人物の目に映る以上の鳥瞰的な視界を好んで取り入れています。


■二冊目:ヒト×

テーマ:「ヒト×◯◯の百合」

・『私のセンパイ』
  著者:ゐづみ
  視点:一人称
  ※:途中で視点人物が切り替わる

・『運命の運び手』
  著者:糠
  視点:三人称・一人称
  ※:途中で視点人物が切り替わる

・『廃ビルで天使に会う』
  著者:マリアチキン
  視点:一人称
  ※:途中で視点人物が切り替わる


テーマが「百合」ということもあり内面にスポットライトが当てやすく、
人称設定がはっきりとした役割を持ちやすかったのではないでしょうか。
顕著な点ですが、三作とも視点のスイッチが組み込まれています。
一定の関係性をもった主要人物2人におおむね均等なウェイトが割り当てられているとみて問題ないように思えますね。

『私のセンパイ』中ではひとりの人物の描写に「本人の一人称」と「(本人が属する筈だった)集合的自我の一人称」が織り混ざって使用される箇所があります。これは二重の複合的な状態であり、該当人物の生まれ持っての異常性が効果的に表現されているように感じます。

『廃ビルで天使に会う』も『私のセンパイ』と同じく主要キャラ二者間で視点が切り替わりますが、こちらは節ごとの高頻度なスイッチによって、ほぼ同一の事象を両面から丹念に掘り下げている点が異なります。
当然ですが、一人称は視点人物以外の心情を直接描写しません。
主要人物2人が互いの内面をどのように推し量っているかに着目して読み進めるのも楽しいかもしれません。

拙作『運命の運び手』は、ある人物から別の人物へ継承された記憶という入れ子構造を下地にした作品です。
ある人物が一人称視点で実体験を述懐し、そのままのトーンで継承された記憶を語る三人称神様視点の語り部へと遷移、という改めて考え直してもよくわからないことをしています。


■三冊目:血の挙げ句

テーマ:吸血鬼

・『黎明へ』
  著者:糠
  人称:三人称

・『suicide trip』
  著者:ゐづみ
  人称:一人称

・『触れンドシップ』
  著者:マリアチキン
  人称:一人称
  ※:途中で視点人物が切り替わる


拙作『黎明へ』は特にひねりのない人間と吸血鬼のボーイミーツガールで、実のところ、作品としてのねらいを鑑みると一人称で書くべきだったかも? と省みることが少しあります。

『suicide trip』は吸血鬼という種が特殊な立場に追いやられた設定で、世界を描く必要性をもった作品となっています。冒頭ではそのような情報を散りばめつつ一気に状況へと遷移し、一人称の叙情へと落着。
自ずから過ちへと進んでいく視点人物という点では一冊目の『hIE買うな』に近いものを感じつつ、しかしながら、こちらは白昼で目を見開いた人物がぎょろぎょろ辺りを眺め回すような、過程に対する描写の明瞭さが記憶に残ります。

吸血鬼はしばしば霧とワンセットですが、『触れンドシップ』はそのような霧がかった曖昧模糊の世界観を有しているように感じられます。
作中では視点人物の友人が体験したエピソードがしばしば語られるのですが、友人本人が登場しているにも関わらず、すべて伝聞という形で視点人物の口から述べられます。視点の選択が作品のトーンに一因しているように思われますね。


■四冊目:事実一 女性である

テーマ:「ある女性にまつわる怪奇譚」

・『事実 二 風になびかない』
  著者:糠
  人称:一人称

・『事実 三 飛行する』
  著者:マリアチキン
  人称:一人称

・『事実 四 顔を貸す』
  著者:ゐづみ
  人称:一人称

・『事実 五 失敗する』
  著者:マリアチキン
  人称:一人称

・『事実 六 老いない』
  著者:ゐづみ
  人称:一人称
  ※:途中で視点人物が切り替わる

・『事実 七 落ちる』
  著者:糠
  人称:三人称
  ※取材形式風


拙作『事実 二 風になびかない』では一人称視点を全面採用しました。色褪せつつある過去の恐怖体験という微温的な怪異を描写するにあたっては、一人称の述懐がよく機能したと思います。
『事実 七 落ちる』はいわゆる「取材系の実話風怪談」形式を取りました。単なる紋切り型ですが、臨場感を出すべき箇所では積極的に人称を省くことで逆に取材対象が一人称で述べているようなトーンを演出するなど、いざ書いてみると、「取材系」のスタイルは独特だなと感じたのを覚えています。

マリアチキン氏の『事実 三 飛行する』は謎の義憤に駆られた強い自我が一人称で遺憾なく表現されています。致死性の高い状況に置かれた視点人物の錯綜具合ともいえるでしょうか。逆にこれをどうやったら三人称視点で表現できるだろう、と考えてしまいます。
対して、『事実 五 失敗する』は同じ一人称でありながら至って冷静で第三者的です。かわりに登場する怪異が強いアクをもっており、そちらに自然とフォーカスが移ると思われます。

ゐづみ氏の『事実 四 顔を貸す』は一般的な感性の視点人物による一人称で綴られます。普通すぎる文言を述べましたが、上述の性質は徹底されており、ここまで列挙された作品内容を鑑みると、むしろ特色といえるのではないでしょうか。こうしたリアリティを纏ったまま、視点人物は徐々に狂気の内側へと足を踏み入れていきます。
『事実 六 老いない』の視点人物は完全に狂気に囚われ、結果として、他の人物による科白のみの描写で行く末が述べられます。
はて、こういう形式はなんと呼ぶのだろう、と調べたところ、対話体というそうです。語り部が語るべき自我を失ったあとの状況が、効果的に表現されています。



以上、人称・視点に着目した既刊のふりかえりでした。
当サークルにおける採用率は一人称が圧倒的ですね。
皆さまはどんな視点で書いたり、読んだりするのがお好きでしょうか。

文量全体に対する各人称の使用頻度や傾向を割り出してみるのも
おもしろいかなと思ったのですが
流石に分析的すぎる手法は避けることにしました。

まだお手に取られていない方にも楽しんでいただけるよう、
内容への言及は部分的なものに留めてみたつもりです。
もし作品に興味を持って頂けた場合は
boothにてお買い求めいただければ幸いです!

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