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【第11話】趣味で始めたカメラや写真撮影に嫌気がさしたり、疲れた人はどうしたらいいのか?

前回は、ピュリツァー賞カメラマン・沢田教一の取材活動を通じて、カメラの伝える力の偉大さや、沢田が愛用していたカメラ機材に言及した。

この記事のアクセス数を見ると、沢田教一の功績や生き方に、いまなお関心を抱く人がとても多いことに気づく。同時に、カメラの力は偉大であることを改めて考えたりもした。

そのカメラも当時は高価な贅沢品だったのかもしれないが、いまでは多くの人が気軽に趣味にできる時代だ。沢田教一のように、人間の生と死を記録する深刻な用途ではなくとも、人生や生活の質を向上するために極めて貴重な道具だ。

TwitterやInstagramなどSNS上には、ひっきりなしに美しく素敵な写真がアップロードされている。まるで平和の象徴であるかのようだ。一方で、「いいね」に一喜一憂する生活に疲れ、カメラや写真から離れる人もみかける。

「たかがカメラ、されどカメラ」である。続けるべきか、やめるべきか、悩んでいる本人にとって深刻な問題だと思う。

今回は、カメラや写真撮影と、どう向き合えばいいのか、考えてみたい。

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(上記写真はPENTAX K-1 MarkⅡ+28-105 WRで撮影)

カメラや撮影に疲れた時、どうすれば良いのだろうか?

最初に結論から申し上げたい。

私だったらさっさとやめる。楽しく思えない趣味カメラに固執するのは大切なお金と時間の無駄使いになるからだ。所詮、趣味は遊びである。カメラ以外にも楽しい趣味は見つかるはずだ。

ただし、仮にカメラや撮影に疲れ果てやめたい理由が、SNSのフォロワーが増えないとか、「いいね」の数が伸びないということならば、たとえ、カメラをやめて他に趣味を見つけても、早晩、同じようにつまらなくなると思う。

なぜなら、趣味を持つ動機が「承認欲求」だからだ。

仕事が人生の大通りだとすれば、趣味は小川が流れる癒しの遊歩道のようなものだ。

大通りは大きな損得が絡むからストレスも多く、決して楽しいことばかりではない。サラリーマンだったら叱責されたり、同期と比べられたり。中高年になれば、減給やリストラなど、心を病みそうな出来事も少なくないはずだ。

当然、仕事以外の癒しを求めて趣味に走る人がいる。

ところが、大通りと同じように遊歩道(趣味カメラ)にも競争意識を持ち込む。それでは面白くなくなるのも当然だ。生まれつきの天才カメラマンなら話は別だが、誰もが最初からセンスがあるわけでもない。

「やはり自分には才能がないんだ」と落胆し、承認欲求どころか、逆にプライドを傷つけられる日々。趣味に競争意識や承認欲求を持ち込むと、ストレス再生産の悪循環に陥る恐れがある。

趣味カメラの最大の利点は、プロの写真家のように賞賛は必要ないということだ。だから、趣味カメラは気楽で楽しいのだ。

では、私の場合、なぜ、カメラを趣味とし、街スナップを続けているのか?

その理由は極めてシンプル。健康のためである。

もう稼ぐ生活は卒業しようと思った時、20代の頃、カメラを仕事道具にしていたことを思い出した。自分の住む街を記録しようと、晴れた日に出かけてシャッターを切った。週2〜3日、1回につき3時間前後、スナップ撮影することで体重も減り、体調もすこぶる良好になった。健康維持のために単に散歩するだけだったら長続きしなかったと思う。

要するに、私にとってカメラは承認欲求を満たす道具ではなく、自分自身の健康維持の道具なのである。だから、撮影した写真に他人の評価は気にならない。承認が目的ではないからだ。

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(上記写真はPENTAX KP+smc DA 50-200mm F4-5.6 EDで撮影)

TwitterのTLをみていると、中高年の人たちはカメラに向き合う姿勢が比較的安定しているように感じる。おそらく他人の承認がいかに移ろい易く、アテにならないものか、よく分かっているからだと思う。

他人の賞賛がアテにならないことは、おそらくプロの写真家が最も感じているかもしれない。「素晴らしいですね」と言ってくれても、プリント写真を買ってくれるわけでもない。写真雑誌も広告出稿が減少すれば廃刊となり、原稿料はストップする。

カメラメーカーのPRが確実な収入源の一つだと思っても、そのメーカーさえも、いつまでカメラ事業を継続するか不透明だ。不安と背中合わせの日々だと思う。賞賛は担保にならないことを身に染みているはずだ。

何のために高価なカメラを購入し撮影に時間を消費するのか?

趣味カメラは、所詮、遊びである。遊びだからこそ、承認欲求を満たす以外にも楽しみ方はたくさんあるはずだ。その振り幅は意外に大きい。

最後に、高校の先輩、寺山修司の詩を紹介したい。

かもめは飛びながら歌をおぼえ、人生は遊びながら年老いてゆく。遊びっていうのはもうひとつの人生なんだ。人生じゃ負けられないようなことでも、遊びだったら負けることができる人は誰でも遊びという名の劇場を持っててね、それは悲劇だったり喜劇だったり、出会いがあったり、別れがあったりするんだ。そこで人は主役になることもできるし、同時に観客になることもできる。人はだれでも二つの人生を持つことができる。遊びはそのことを教えてくれる (1973年OA 日本中央競馬会CMにて 寺山修司)

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(上記写真は、PENTAX KP+HD DA 20-40mm F2.8-4 ED Limited Dで撮影)

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