【第16話】スナップ文化は衰退するのか?
なかなか収束しないコロナ禍に加え、会社の面倒で写真撮影を楽しむ余裕がなくなってきた。
優秀かつポテンシャルに溢れた社員が切り盛りする会社に成長したものの、さすがに、ここまでコロナ禍が長引くと厳しい。
今季は5年連続の黒字決算で締めることができたが、来季は最悪、赤字も覚悟しないといけない。損益分岐点トントンまで持っていけるどうか、連日、思案している。
ただ、かりに赤字転落しても、役員報酬を縮小し、社員の給与水準を上昇あるいは維持したいと考えている。バブル経済が崩壊したあと、雇用創出が社会貢献だと信じて始めた会社である。社員の生活が第一だ。
事態打開も視野に、最近、海外作品の買い付けを検討している。連日、長時間の選定生活のため、私のスナップ撮影も影響を受け始めているというわけだ。しかも、コロナ禍だ。積極的なスナップ撮影もはばかれる。
ただ、当コラムは、数多くの、しかも幅広い層のカメラ・写真ファンに読んでいただいている。頑張って変わらぬペースで更新しようと思っている。
(写真は、PENTAX KP + SMC PENTAX-DA 50mm F1.8で撮影)
さて、今回のお題は「スナップ文化は衰退するのか?」である。
最近、YouTubeで、海外に住む日本人キュレーターが「表現として完成した、熟成しきってしまった」「僕はポートフォリオレビューにおいて、もうスナップは見ません」と発言し、一部で話題となっている。
キュレーターとは展覧会の企画をする人。学芸員。(Wikipedia)
しかも、若い人に教えるベテラン写真家までスナップに否定的な見解を示すなど、スナップ派には不快な発言が相次いだ。
果たして、スナップは終焉したのか?もはや古い撮影方法なのか?
正直、この論点には私も考えさせられた。
先日、東京・恵比寿の東京都写真美術館で開催された「日本の現代写真1985〜2015」で、私は1985年に山内道雄氏がスナップ撮影した作品「東京・新宿歌舞伎町」に目が止まった。
なぜなら、ノーネクタイの若い男性を正面至近から撮影したスナップ写真だったからだ。
(写真は、写真は、Leica M10-P +TTArtisan 50mm f/0.95 ASPHで撮影)
思い返してみると、1980年代、私が写真撮影を始めた頃は牧歌的だった。写真撮影に肖像権などといった論議はなかったし、むしろカメラを向けても「私を撮ってくれるの」と喜ばれることさえあった。
仕事撮影でも人物が写真中に欲しい場合は少し声かけしただけで快く引き受けてくれる人に困らなかった。
それ以前、終戦後から日本が高度経済成長に入った1970年代まで、つまりはライカ片手にスナップという手法を広めた巨匠・木村伊兵衛が活躍した時代、街や人の撮影は自由な時代だった。
しかし、いまは違う。
スマホで撮影する姿は日常的な光景だが、大きめのカメラとなると非日常的光景というだけでなく警戒されかねない時代になった。海外では強盗に狙われる恐れすらある。
SNSの普及と反するように、スナップをめぐる撮影環境は制限的で窮屈になった。
スナップ文化は斜陽化し、衰退するのだろうか?
(写真は、FUJIFILM X100Vで撮影)
この議論は、整理する必要があると思う。
ひとつは発言しているキュレーターや写真家は、プロを目指す人たちに向けた発言であるということだ。もうひとつは、単純なスナップ否定論ではなく、プロのスナップ作品にはテーマや視点が必要だということだ。
テーマがなければ、森山大道氏ら先人がスナップの型を確立している以上、どこかで見たような既視感のある、あるいは平凡な作品になるという警告に感じる。
つまりは、趣味で撮影する人にはさほど関係ない話であるということだ。
ただ、そうはいっても、日頃、スナップ撮影を楽しむ人たちにとって、心穏やかではない発言である。
この発言や議論について、私が感じたことを3点述べたい。
(写真はNikon D60 + AF-S DX Zoom-Nikkor 55-200mmで撮影)
まず、ひとつは、否定だけからは何も生まれないということだ。否定するのなら対案や示唆も提示しなければ、若い人たちのやる気を削ぐだけになる。
2つ目は、教える立場の人たちは若い人たちにポスト・スナップを模索する姿を見せないと、写真文化の衰退をはやめるかもしれないという懸念である。批評家である前に実践者であってほしい。
その作品の良し悪しに関係なく、真摯な姿勢は共感を生み、次に続く人たちが現れただけでも社会貢献だと思う。
(写真は、Leica M10-P + Noctilux-M 50mm F1.2 ASPHで撮影)
最後の3点目は、スナップ文化の発展のため、カメラメーカーや写真家、関係団体は、いったい、何をしているのか、という疑問である。
スナップはモデル撮影や遠方の風景撮影などに比べて、アマチュアでも手軽に低コストで撮影できる分野である。
そのスナップが衰退して最も経済的な痛手を被るのは、撮影機材を売るメーカーだ。しかし、メーカーはスナップ撮影に便宜を図る施策を考えているのだろうか?
漁場がなくなれば釣具が売れないように、撮影の場がなくなればカメラも売れなくなる。だからこそ、キャンプ用品メーカーは、各地にキャンプ場を設営・運営している。
カメラ・レンズメーカーも、地方自治体と組んで撮影歓迎、あるいは寛容な都市や区、町、村を増やすなど、撮影の場を広げる取り組みをしてもいいのではないか。ポスト・コロナの町おこしにも貢献できるはずだ。
そのほかにも一般のカメラファンが気軽に撮影を楽しめる方策があるかもしれない。
スナップの環境悪化を黙認し不作為のままならば、いたずらに時間が推移し、事態が悪化する一方だと感じる。賢者の思索を期待したい。
これもカメラ・写真文化を愛するゆえの指摘である。
最後に・・・
私は、これからも自然体で粛々とスナップ撮影を続ける。なぜなら、わが街・東京のいまと変遷を記録する目的とテーマがあるからだ。
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