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【vision】アフターコロナの建築

日本のよくある街並みにある建築の多くがなぜこんなにもセンスがないのか疑問に思うことがある

そんな問いに対して、仮説を立ててみた

人は『意識の時間』と『無意識の時間』を生きている
『意識の時間』とは学校や会社に行ったり、遊びに行ったり周囲の人に見られている時間なので、オシャレをしたり化粧をしたり、自分がどのように見られているか意識している
一方の『無意識の時間』は、例えば家の中でボーっとしていたり、テレビをみたり、誰かに見られていたりすることを意識していない時間だとする

人は多くの時間を『意識の時間』に費やしているのでブランドものの服やバッグを買い求めたり、そこまでいかなくてもそれなりの身なりを保とうとする
今ではSNSもあり、いかに人から『いいね』と思われるかを目標に生きている節さえ感じる

散々外で『意識の時間』を過ごしているのだから家にいるときくらい化粧を落としてスッピンでいられる『無意識の時間』を過ごしたいと思うのが人間というものである

要は家の中くらいほっといてくれというのが本音なのではないだろうか

日本の住宅のほとんどはハウスメーカーや工務店の建てたものだ
建築家が建てる住宅も増えてきたがやはり数パーセントの極一部の人だけが、建築家に依頼をする

建築家の建てる住宅は、良くも悪くも『意識の時間』を強いられる可能性があるものが多い
だから実はそんなものは多くの人にとっては迷惑な存在なのかもしれない


しかし、コロナがありネット環境が一変し、家の中に他人が入ってくることが増えた
テレワークやzoomなどが日常化することによって家の中でも『意識の時間』が生まれざるおえなくなった

他人から見られることを想定していない住宅で『意識の時間』を過ごすのは不便である
zoomをしようにも背後には趣味の悪いカーテンが映ってしまったり、普段見せない手抜きをしている部分が映り込んでしまうのだ

すると人はどうするかというと、zoomの画角に入る部分だけを取り繕おうとする
一時期CMで、上着だけはスーツを着てズボンは寝間着のままといったことや、バーチャル背景と呼ばれるあたかも海外のおしゃれスポットにいるかのような背景も生まれている

このような出来事は数年後には笑い話としてされるだろうが、笑っている場合でもないかもしれない

SNSで自宅での充実ぶりをアピールしたり、zoom飲みをすることが今後一層当たり前になる中で、おそらく映っている範囲、つまり画角内さえ、いわゆる『映える』ものであれば良いと考えれるようになるはずだ

実際に気軽にYouTubeなどをアップする人が増えているが背景はそれなりに見えてもカメラ側はものでいっぱいな人は沢山いるはずだ

要はスマホに映る範囲さえ映えればそれでいいのだ
むしろ他には『意識の時間』が入り込んでほしくないのだ


もう一つ別の視点から考えてみたいと思う
家づくりにおいて、最近はInstagramや PinterestといったSNSからお気に入りの写真を施主自ら持ってくることが多くなった
今までとは明らかに違う傾向だ
イメージが素人でも伝えやすくなったのと、選択の範囲が圧倒的に広がった
簡単に言うと、その希望の写真を貼り合わせればお気に入りの家は完成してしまうので、住宅の設計は昔より断然簡単になった
大して経験のない人でも、施主の要望を満たすのは難しくない
むしろ施主の要望通りに作るのであれば、余計なことをしない設計士の方がよほど優秀に見えるかもしれない

近いうちにはAIに好きな写真と敷地条件、法規、家族構成、いくつかの諸条件、予算を入力するだけで最適な住宅が出来る時代になるだろう

今まで要望を整理するだけだった設計士より、大量の経験値を持ったAIの方が満足度の高い設計が可能になり、設計士は要らなくなってしまうだろう


以上のことから
・『無意識の時間』に侵食する『意識の時間』に対する防御策
・AIによる設計→AIより無能な設計士は職を失う

が進むことは近い将来間違いなく来ることだろう

さらにはVR(仮想現実)も台頭してくることも間違いない
最近のCGは本物と見間違うほどの精度でつくることが可能になっている
あまりにもリアルすぎるのでプレゼンテーションでは敢えてリアリティを落として絵のように描くこともあるほどだ

いちいちテレワークやzoomの為に自宅を改装できない人は今度はヴァーチャル住居なるものを買い求めるようになるのではないだろうか
仮想現実の自宅を別に持つことで充実した生活を送る自分を気軽に演出できるのだ
ヴァーチャル住居専門の設計士も生まれたりするかもしれない
一件丸ごとの設計や部屋だけのヴァーチャルリノベーションなんてのも出来るかもしれない

ヴァーチャル住居専門の会社や不動産屋が生まれるかもしれない

実際の生活は水回りとベッドだけの田舎のワンルームだけど、ヴァーチャル住居では東京タワーの見える高層高級マンションに住んでいるなんてこともあるかもしれない

それが当たり前になると、そのうちヴァーチャル家族なるものも出来て、家族さえも自分好みにアレンジするようになるかもしれない
これが当たり前になると、ヴァーチャル世界での登場人物は全てアバターに置き換えられて、実際の肉体はほとんど意味をなさなくなるだろう

半分冗談で半分本気で書いている
しかしながら少なからずこういう未来は訪れるだろう

果たしてこのような未来が良いのか悪いのか私には分からない
それがもたらす恩恵も必ずあるはずだから突き進めてもらったらそれでいい

本音を言うと建築は立体であり二次元では還元できない奥深さがあると思う
また素材がもたらす人間への影響、自然の風や光が人生を豊かなものにしてくれると信じているが、そのうち匂いや風、光なんかもリアルなヴァーチャル空間が生まれるかもしれない
そもそも豊かさの価値観が変わってきているから、光や風とか素材なんてどうでもいいという価値観も否定できない
そうなったらもう降参かもしれない


これだけ情報が手に入りやすい時代に建築家に求められるものは何なのだろうか?
ディテールをこれだけ頑張りましたと言われても画角に映っていなければ意味がないし、それだけの拘りがコストと体験に見合っているのか?そもそも事例を元にすればAIでも作ることはできるのでは?
丸善にある住宅設計の納まり集をAIに全て取り込めばかなり良い家が簡単に出来るはずである

住宅なんて所詮はいくら頑張っても行き着く先は結局『nLDK』におさまるのだ
それに予算にあわせてグレードを変える程度なのかもしれない


長くなってしまったが、ここまで読み進めてもらいありがとうございます

最後に結局何が言いたいかと言うと、このような未来に対して何が出来るのかということを考えて実行に移すことが『建築家の仕事』なのだと思う
AIにできるような施主の御用聞きのお仕事は専門の方に任せておけば良いのではないだろうかということ

立派なAIの開発によって満足できる世の中が生まれるのであれば全力でAIを開発してもらいたいと思う

AIのつくる住宅やヴァーチャル住居が求められる社会であればそれはそれで楽しいのかもしれない

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