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【architecture】大学

私は大学の建築学科で建築を学んだ
今から20年ほど前の話である

お世辞にも真面目な学生とは言えなかった
決して勉強をせずに遊んでいたわけではない

大学に馴染めなかった

建築を学びたい気持ちが強かった
しかし周りの大人が信じられなかったのだ
大学の勉強は自分次第だと言われる
確かにその通りで、自分がもっと大学から学ぶ意識を強く持つべきであった

でも私は大学に馴染めなかった

まず高校生から大学生になって違和感を感じたのが、『先生』から教わるのではなく、『教授』から教わることである

私にとって『先生』は教えることのプロであり、教えることが職業である

一方『教授』は元々教えることのプロではない
その道の研究を人一倍して論文を書いて結果を残してきた専門知識を持ったプロである
その道の先頭の方を走っている人との自分との距離感がもの凄く遠く感じてしまった

果たしてこの『教授』という職業の人が、教えることについて、どれだけ秀でているのか、どれだけ教えることに生き甲斐を感じているのかか分からなかったのだ

研究のプロと教えるプロは基本的には異なると思っていた

もの凄くサッカーが上手い人が教えることが上手いとは限らない

逆にプレーヤーとして物凄い結果を残してはいないが、教えることに秀でた人もいる

だから教授の中には教えることに全く関心のない人もいた
それこそ自分の本を教科書として買わせてくる教授が信用ならなかった

そして大学という場が『教育の場』であるのか『研究の場』であるのか、恥ずかしながら正直今でもよく分かっていない

非常に失礼な言い方かもしれないが、教授の中には自分の研究の手伝いを、教育として学生にさせている人もいるのではないか
なんかおかしいぞ?と思ってしまう
それとも学生の為に研究をしているの?

もうよくわからんのですわ( ゚д゚)

『研究』なん?
『教育』なん?

どっちなん?


建築の世界ではある程度世間で認知されるようになると大学で教える建築家が多い
名ばかりで会ったこともないような建築家もいるが、教育することを、自身の建築家としての仕事と同じように意味のあるものとして意欲的に活動する建築家も少なくないのも事実である

実際に独学で建築を学んだ建築家の安藤忠雄氏は東京大学で数年に渡り教鞭をとり今では東京大学特別栄誉教授である
他にも世界の第一線で活躍しながら大学で真剣に建築を伝えようと教鞭をとる建築家は沢山いる

世界的な歴史を見ても、近代以降いわゆる巨匠と言われる建築家の多くは、大学で教育することは未来の建築家を育てる大切な役割とされている

ミースやグロピウス、ライトなど皆独自のやり方で教育をしてきた歴史がある

実務でバリバリに活躍されている建築家の話を間近で聞けたことは良かったことではある

でも私は大学に馴染めなかった

毎日大学の図書館にこもり、建築関係の本を読み漁った
理工学の大学だけあって建築系の本はさすがに豊富だった
古い味のある本や雑誌を食い入るように読んでいた
また図書館の異様なカビ臭い牢屋のような雰囲気が当時の私には居心地が良かった

だから私は大学の教授から教わったことよりも自ら本を読んで学んだことの方が多い

『本』は私にとっての先生である

今から思えば、もっと教授から学べば良かったとも思うが、恐らくもう一度大学生になっても教授を頼ることはないと思う

noteの中には学生さんが大学の研究をテーマに綴っているのを見かける
今はオンラインでの授業がメインだからかもしれないが、つくづく偉いなぁと思う

締まりのない文章になってしまったが、学生は自分なりの学び方で好きな事を学べば良いのではないかと私は思う

特定の人に師事したいという特別な希望があればその人のいる大学へ行くべきである

でも建築を学ぶのに大学が合っている人もいれば専門学校が合っている人もいる

特殊ルートで独学もあるが、この道が合っている人だってもちろんいる

好きな学び方で学ぶことが一番長続きする方法のように思う

長続きがこの世界には一番大事だと思うからだ

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