「ポルトガル人は列のことを『bicha』という」とブラジル人は笑うけれど…
ブラジルのポルトガル語(伯葡語)には「列」を意味する単語は「fila」しかありませんが、ポルトガルとその他の葡語圏のポルトガル語(欧州葡語)には、この「fila」という言葉の他に「bicha(ビッシャ)」という単語もあります。
ところが、あろうことか「bicha」はブラジルでは「オカマ(男性の同性愛者)」を意味する俗語であるため、これを題材に、ポルトガル人が登場する小話をして盛り上がるブラジル人も少なくありません。
又、今や「bicha」というとブラジル人に笑われると知っているポルトガル人も少なくなく、相手がブラジル人だと気付いて「bicha」を「fila」に置き換えている欧州葡語話者を見掛けたことすらあります。
ところが、実は本来のポルトガル語では「fila」と「bicha」はそれぞれ意味や用途の異なる別の単語なのです。
何かを買うために、または何かの手続きをするために並ぶ「列」の場合は「bicha」、子供や軍人などが整列していたり、ショーウィンドーなどに品物が一列に並べてあったりするのが「fila」です。
つまり、並ぶ以外の何か目的があって並ぶのが「bicha」、並ぶことそのものに意義があって並んでいる状態が「fila」というわけです。
欧州葡語ではこの二つをきちんと区別して使っているのに対して、伯葡語ではいつしか十把一絡げで「fila」だけが残り、「bicha」という単語が存在しない言語界において、(諸説ありますが)得体の知れない「虫」や「動物」を示す「bicho」を女性名詞化した「bicha」という造語がつくられ、それが「オカマ」という意味で使われているというわけです。
要は、ポルトガル人を馬鹿にすることで実は自らの無知をひけらかして恥をかいているとは夢にも思わずいるのがブラジル人だということになります。
だとすると、逆に欧州葡語話者が「ブラジル人は手続きに行っても整列しているだけだから一生用が済まない」といった小話をして笑ったとしてもおかしくないということになりますが、そんな野暮なことをする人はいない、というあたりが文化の違いということになりましょうか。
それどころか、相手がブラジル人だと気が付いて「bicha」を「fila」に置き換える欧州葡語話者は、上司が「代替」を「だいがえ」と言うから自分は「だいたい」だと知っていても「だいがえ」と言うっきゃない平社員のようなもので、見ていてなんだか気の毒にも思えてしまいます。
そういえば、余談ですが、こういうことって日本でも他にもいっぱいありますよね。「風邪薬」を「かざぐすり」、「発疹」を「ほっしん」と読んだら直されただとか、このメンツだと「的を射る」と言ったら「間違っている」とか言われそうだから「的を得る」と言っておこうかと思っただとか…。
古今東西、世の中ってマイナーな真実を知ってしまった人になにかと理不尽なんだよなぁ…、と思ったりもしてしまいます。やれやれ…。
さて、本題ですが、
ブラジルの小話においてのポルトガル人は、落語の与太郎のような「マヌケなキャラ」という役回りになっており、それを真に受けて「ポルトガル人なんて」と思っているブラジル人がわんさかいるというのが現実なわけでして、ところが今回の「bicha」よろしく、元を辿るとポルトガル人が正しいってことがほとんどなわけで…。
ちなみに(旧)植民地に於ける(旧)宗主国の言語は、どうしても普段使いの語彙数が少なくなる傾向があるように思います。そのため、英語などでも英国人よりアメリカ人の方が phrasal verbs(句動詞)でラテン語由来の語幹を有した本来の動詞を置き換える比率が多いという印象を持ったりもしています。
それにしても、ブラジル人のこういったことは流石に恥ずかしい…。
「ブラジル人よ、恥を知れ~!」
と、ブラジル人代表として言いたい Shiominなのでした…。
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