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海辺でくつろぎながら、タイム・イズ・マネーを目の当たりにする

2002年に内戦の終戦を迎えたアンゴラは、その後高度成長期を迎えました。

交通インフラや高層ビルの建築ラッシュが始まると、道路は混雑を極め、1997年には車で5~6分だった距離を1時間以上掛けて移動するようなこともザラになりました。

2004年頃からつい3~4年前までは、ビル建設のタワークレーンが一機も 写っていないルアンダの町並みを写真に納めるのが困難だったほどです。
(今も建設ラッシュは続いていますが、出来上がったビルが増えた分タワークレーンだらけではなくなっています。)

無論混雑は道路ばかりではなく、インフラも機材も不十分な港はパンク状態に陥り、道が空いた夜間に「ガガーン!」とすごい音がしてホテルの窓から覗いてみると、コンテナを積んだトラックが、「ようやく港から出られた、善は急げ」とばかりにスピードを出し過ぎて、ホテル前のラウンダバウトで横転した音だったなどということは、断続的に渡航していた私が滞在していた時だけでも、一度や二度のことではありませんでした。

その度に、空いた時間で良かった、人や他の車が巻き添えにならなくて良かったと胸を撫で下ろしたものです。

しかしトラックはともかく、最大の問題は船です。港のキャパを大幅に超える貨物を運んで次々と船が到着するものですから、着岸することができず、海上に長い船の列が出来てしまいます。

しかもピーク時には1週間から10日以上待たされる船も出てきます。

列が長くなると、湾内に収まらず、波の荒い外海(そとうみ)で待たされることもあります。

そして、当然その待ち時間も輸送費に加算されます…。

内戦が終わったといっても、港湾施設の改修ができていない内は、接岸時の衝撃をやわらげるための防舷材がないなどにより危険が伴いますので、引き続きリスク・サーチャージが掛かり、更に待ち時間があるのでコンジェスチョン・サーチャージという上乗せ料金も掛かってきます。

こうしてアンゴラは世界一物価の高い国に「成り上がり」ました。

実は私、あさはかにも内戦が終わったらすぐ物価は正常化して普通の国並みになるのだろうと思い込んでいたので、これはとんだ誤算でした…。

2004年~2009年頃まで、私はかなり頻繁にアンゴラに「通って」いたので、週末になると、海辺のレストランに昼食を食べにいくようなこともあったのですが、多くの途上国がそうであるように、レストランでは食事が出てくるまで30分以上掛かることも多いので、それまでくつろいで海を眺めながらブラジリアンカクテルのカイピリーニャなどを嗜んだりするわけです。

そして、眺める先の海上には、沖待ちの船の列…。

「ああ、気の毒に。でもこの瞬間も輸送費が嵩んでいるのね…」

と、

物理的に「タイム・イズ・マネー」を目の当たりにするというわけです。

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さて、ここでクイズです。

トップの写真は、大手MAERSK社のコンテナ船です。MAERSKはアンゴラでも大活躍しています。

でも、写真を見れば、一発でこれはアンゴラではないということが分かり ます。というか、少なくとも当時のアンゴラではないことが分かります。

さて、どうしてでしょう。

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その答えは「船にクレーンが付いていないから」です。

「インフラも機材も不十分な港」にコンテナを運ぶ場合、 行った先の港には 重いコンテナを降ろすことができる荷役機械がなかったり、数が不十分だったりする可能性があるため、アフリカ向けの大半のコンテナ船がクレーンの付いたものなのです。

しかも、そのような港は、大型のコンテナ船など存在しない時代に造られたものである上、浚渫もおろそかにされていることが多々あり水深が浅い傾向なので、コンテナ船としては小さ目のもの、且つクレーンが付いたものでなければならない、ということになるのです。

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アンゴラの戦後の急成長の裏には、各国の支援はもとより中国からの多額の借り入れがあります。

アンゴラは産油国なので、借りたお金は石油で返すという契約です。

首都ルアンダの市内には、キンキラキンの CIF (China International Finance Co., Ltd.) のビルがそびえ立ち、今やアンゴラで産出された石油の75%以上が中国への「借金返し」に消えているとも言われています。

あまりに多額に膨らんだ借金に加え、石油価格の暴落が起きたことにより、 一時期はアンゴラが行き詰まってしまい、見兼ねた中国が借金を一部を恩赦して、ようやく息を吹き返したといった経緯もあります。

この中国に「乗っ取られた」状態に懸念を示すアンゴラ人もいますが、30年間も戦争に費やしてしまい、それ以外は全て停滞していたかつてのコーヒー輸出国は、当初目標としていた「日本を見習い、戦後20年程度でオリパラ開催国になる」という野望こそ叶わなかったものの、「1997年当時のアンゴラ(2)」の最後に貼り付けた動画のような、美しい姿を取り戻しています。

いつか自由に行き来できる日がやってきた暁には、皆さんも訪れて頂きたいなと、幾分「アンゴラ人」でもある私の心が言っております。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

P.S. :  下に先日のものよりリアリスティックなルアンダの姿を写した動画を貼ります(しかも、随分昔に働いてもらったことがある運転手!)。海岸通りを離れると、こんな感じです。








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