片道切符を買って
のぞみ30号
僕は今、新大阪から品川へ向かう新幹線に揺られている。酔いそうななんとも言えない独特の車内の匂いと、自分は座っているのに超高速で動く乗り物に乗ることによる圧力を少し感じながら。そんな車内で僕の感情はぐちゃぐちゃだ。
改札で涙腺崩壊のギリギリの戦いに勝利し、望んでいた笑顔でのお別れを彼女と済ませた。僕は今何を書いているのかと言うと、上京する人間の感情を書いている。そして大阪での22年の思い出に浸ろうとしている。このような機会は人生においてなかなかないので大事に記したいと思った訳である。おそらく超個人的な文面になるし、一度小説の序章のような文を書いてみたかったのでこのような書き方になっているのである。この後の文章はどうしようか。
消えたようで消えてない
どうしてかはわからないけど、自分の中から語彙が消えた。この一瞬はちゃんと残したいと思っていたのに、言うこと聞いてくれない。楽しかったことや、過ごした時間のことを思い出話のように書きたかった。でも今その状態になってふと思ったことは、思い出や記憶ってずっと鮮明に残っている訳じゃなくて、その時の匂いや、言葉、感情、人と触れて、ふと思い出すようなものなのかもしれないと思った。むしろそれが本質なのかもしれない。島田紳助さんも思い出は脳じゃなく心で記憶するって言ってた。だから大阪で過ごした時間は心で幸せだったことだけは確かに覚えている。
大阪で僕と出会って、話して、遊んで、仕事みたいなことして、お酒飲んで、語って、ふざけて、なんかいっぱいあるはずだけどたくさんの経験をして、たくさんの感情を知った。だから僕の人生は豊かなんだと胸はって言える。みんなありがとう。次あった時は老けたなって沢山話そう。思い出話をしながら、時の流れを感じながら、変わらないものを感じながら。
心の在り処
疎遠になる人たち(距離的に)のことを考えた時に、心ってのはどこにあるかと思った。そこである言葉を思い出した。
心ってのは人と人との間にあるらしい。誰かを思う時、その時に心は生まれる。心で記憶しているから、その人とあった時にその人との思い出がぱっと湧き出てくる。だから悲しくなんかない。これからたくさんの人に出会って、沢山経験するために余白を残してくれている。思い出した時はその時の感情で埋め尽くしてくれる。人間ってよくできてるって思った。多分記憶は自分体の中にあるのではなくて、自分ー物、自分ー人、自分ー匂い、みたいにその間に再現されているんじゃないか。自分 ー 人 ー 景色のような関係もあるとも思う。だから忘れているようで僕たちは双方が再び出会った時に思い出すという記憶をしているんじゃないか。僕たちはそのおかげで沢山の思い出を忘れないで生きているようになっている。そんな素敵な生物かもしれない。
東京
こっちについて一週間がたった。
満足いくものは書けていない。
まだ何も始まっていない。
これから始まる生活に期待をして、準備をしている。
明後日から出社をする。
自分が心からやりたいことなんてのはそこにあるかわからない。
でも全部やって確かめるしかない。
映画にできるような人生を送りたい。
そう僕は誰かに語った。
この物語はハッピーエンドか。バッドエンドか。
新しい土地で、僕の人生の第二章が始まる。
読んでくれた人、物好きですね。ありがとうございます。
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