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Beside|Ep.13 スコール

Beside-あなたと私のためのベットサイドストーリー

シンガポール編 #3
あれほど戻りたかった日常は
私にとってもはや何の価値もないものだった

chap.1

—研修3日目: シンガポール現地視察

シンガポールは古くから、陸のアジアと海のアジアをつなぐ貿易拠点だ。その昔は無関税の自由貿易港だったことからも、独立から50年、アジアの物流および金融の中心地として目覚ましく発展してしてきた。1990年代以降は官民を挙げてIT分野に注力し、アジア諸外国の中でも有数のR&D拠点として更なる発展を遂げた。アジアでのビジネスハブとしての役割に加え、アジアを先導するIT大国として今の地位を確立する。その結果、東京都23区と同じくらいの大きさのこの国は、国民一人当たりGDPで既に日本のそれを超えている。リーマンショック以降はASEAN需要の高まりと相まって、IT新興企業を中心に、シンガポールへ本社機能を移す動きも盛んだ。西のシリコンバレー、東のシンガポール。このIT大国の現地視察は実は僕が一番楽しみにしていた研修コンテンツだ。

「ここが香港と世界3位、4位を争う金融街です。アジア最大の外国為替センターと呼ばれます。」

この小さな街が、ロンドン、ニューヨーク、香港と並んでアジアと世界の金融の中心であるとは。そびえ立つ無数の高層タワー。その無機質で高圧的なビル群へは世界中の金融機関が集う。
金融街だけではない。シンガポールの街では至る所で、人々の生活がいかにICT化しているかがわかるシーンに出くわす。ICTにおいてシンガポールは世界1位の国と名高い。料金の支払い手続きから、行政手続きまで、NRIC(国民登録番号)とSingPass(シンガポール行政サービスへのパスワード)でスピーディで一貫した手続きが可能だ。老人から子供まで、誰もがモバイルデバイスを持ち、仮想ネットワークにつながりながらオフラインネットワーク現実世界を生きる。話に聞くのと肌で感じるのとでは、こんなにも印象が違う。

「ふぅ、すごいな」
「あれ、大丈夫?バテちゃった?」

テヒョンがその異国情緒溢れる移民の国からは想像できないハイテクさと、本格的な暑さにいささか圧倒されていると、隣にいた同僚が気を遣ってくれた。

「あ、大丈夫です。ありがとう。少し疲れただけで。」
「そう。無理しないでね。初めまして、シンガポール支社のララです。きみ、ユンギさんのとこの?」
「はい、テヒョンと申します。ユンギヒョンのこと、知ってるんですか?」
「うん、ほら、うちのマネージャーと2人で最年少で昇進したから、イケメンだしさ。有名だよ」

我らがユンギマネージャーは、どうやら僕が思っていた以上に有名らしい。ん?ちょっとまてよ。シンガポールのマネージャーってまさか。これは、ラスボスについて知れる、絶好のチャンス到来なのでは。

「マネージャーって、ソジュンさんですか?」
「そうそう。ユンギさんと2人同期なんだよね、たしか。」

—ユンギヒョンの同期?

「ラスボ…ソジュンさんて、どんな人なのか気になってました。(うちの先輩の個人的な事情背景で)有名なので」
「まぁ、いい人だよ。もともとジャパンにいたって聞いたけど。ジャパンの婚約者と別れてすぐシンガポールにきたって噂、当時あったような。」

—ジャパンの婚約者?

「その後、こっちで結婚して、で、先月…」

—なんだって?

新事実の発覚に、いますぐジョングクに飛びつきたい気持ちを抑えながらテヒョンは残りの視察をこなした。よくわからない胸騒ぎと、謎解きのような情報のかけらをかかえながら。

chap.2

—カンファレンス3日目: リーダー会議

みんなにはあまり知られてない事かもしれないが、いつもはクールで物静かなイケメン独身最年少マネージャー様は、凄い勢いで喋り倒す時がある。こんな風に、ライバルとの議論が白熱した時なんかは特に。

「トータルでみてもここ数年でみても各支社間における人材交流が少なすぎると思いますね。各支社は人材の流出を恐れて人を出さない傾向が強い。これは近年我々が向きあっているアジア横断的な案件に遅れを取ることに繋がっています。初期段階の提案内容としてもそうだし、受注後の実行速度としてもです。明らかに課題がありますよ。ナレッジをセットにした人材エクスチェンジを疎かにして、その部分すらアウトソーシングに頼っていくようではアジアを先駆していくことは不可能です。」

オフィスにいるお疲れ気味の同僚とまるで人が違う。早口すぎて途中言ってたことが理解できてるか若干不安だが、こういうユンギを見ると、さすがだなと思う。前世はラッパーか何かだったんじゃないか?たぶんそうだろう。

「ただ、その課題をいますぐ即効性を持って解決できる現実的なソリューションがないのも確かだ。支社間のフレキシブルな人材流動は理想だが、根本的な評価制度の整備も必要だし、カルチャーフィットのようなソフト面のラーニング制度も必要になる。各支社の成長フェーズを考慮した場合、流動的な人材制度が必ずしもベストな方向に動かない場合ももちろんある。」

そうそう、今日はライバルがいるもんだから、少し気合、入ってんのかな。

「近い将来我が社にとって支社横断的でフレキシブルな人事制度は必ず必要になると言いたいだけだ。」
「だから、不要とは言わないが今すぐなければいけないということでもないのではと言っているんだ。課題には優先順位が必要だ。」

—懐かしいな

この2人ーユンギとソジュンは、昔から意見が合わなくて、こんな風に毎度2人で白熱してたっけ。視点が違うだけで、どっちも言ってることは合っているから、私としては、2人のいいところをさ…と美味しいとこどりさせてもらうことになるんだけども。

「なるほど?いったん、現場のリーダーたちの意見も聞いてみようか」

でた、シンガポールのたぬきオヤジ。何食ったらそんなに腹が出るんだ。チキンライスってヘルシーなんじゃないのかな、などと余計なことを考えてると、思わぬしっぺ返しを食らうこともある。

「アミくん?きみの支社は若い人材が多いと聞いたけどこれについてどう思う?」

しまった、腹ばっか見てたら目があってしまった…。そこで私にふるのかよと内心の動揺をユンギ仕込みのポーカーフェイスで隠して、それらしい意見を述べることにする。ついでにせっかくなので私の長年のアィディアも聞いてもらうことにしようか。

「アジア横断のみならずグローバル課題の引き合いが増えてきているのは事実です。我々のような企業には、相応のナレッジがあるとクライアントからの期待値は高すぎるほどです。現場としては嬉しい反面、実際問題、会社として過去に経験のある事例だからと言って、それをナレッジとして支社が応用できるのかというと、できておりません。残念ながら。」

ユンギの視座はいつも少し高く、視野は長期的だ。足元に捉われすぎずそれでいて、目標を失わない考え方はいつも羨ましいと思う。

「人材の流動性を高めることは長期的に見て、ナレッジの展開に最も直接的に効果があると思います。また、ジュニアレイヤーにとっては、グローバルなキャリアパスは憧れであり、モチベーションにもなります。生きたナレッジを吸収できることほど幸せな事はないでしょう。時間がかかっても、仕組みの構築が進むことに現場として期待します。」

ソジュンの課題意識は常に現実的だ。足元を固めずして未来などないと誰よりも知っているんだろう。綺麗事だけでは物事は進まない。現場は《《四六時中四苦八苦》》である。

「一方で短期的に効果を出せることの積み上げにも賛成です。現状を率直に述べれば、ワークロードが高すぎて、人材へナレッジ蓄積をし、支社間で交換する前に流出して辞めてしまうでしょう。そこで、例えば、ナレッジベースのような仕組みの導入はどうでしょうか。各支社、各部署の案件を開始と終結時にデータベースに集約し、支社横断的に事例検索ができれば、提案作成の機動性は必ずあがりますし、進捗案件で問題が起きた場合でも、負荷をそれほど上げずに問題を打破するヒントになり得るのではないでしょうか。将来への投資だけでなく、現状へのバックアップにもなり、総合的に我々の資産になる仕組みと言えます。」

設計図無くしては一本の釘も打てず、足場無くして塔は建たず。
私たちは営利企業だ。明日の見えない世界で、今日も、明日も生きていかなければならない。

タヌキが満足そうにそれぞれに賛辞を送った後、会議を締め括る。

最大懸念事項だった3日目のリーダー会議が終わった。周囲に気づかれないように、ふっと息を吐く。なんだ、私。頭の中仕事モードにしておけば、ソジュンがいたって、全然平気じゃないか。むしろエンジンかかってミッションコンプリートだ。これで部長たちにも胸を張って報告ができるだろう。良くやったと褒めてほしい。

カンファレンスルームを出て、ロビーでドリンクと軽食を物色する。今日は会場移動だったから、ホテルに戻るのは少し遅くなりそうだし、少し休憩してから移動しようか。やっと一息つけたからか、どっと疲れを感じた。それと同時に背中に寒気が走る。強烈な冷房装置に慣れるのには3日じゃな足りないみたいだ。

「アミ、久しぶり。」

懐かしい声に呼びかけられて、反射的に振り返る。

「ソジュン…」

最後にこの声に、こうやって名前を呼ばれた日はいつだったか。あれほど戻って欲しかった日常は、なんだか擦り切れたモノクロ写真のようにそこに佇んでいた。

「元気だったか」
「見ての通りだよ」

「さっきのアイディア、良かった。仕事頑張ってるみたいだな。」
「まぁ、相変わらず」

すっかりお気に入りになったホットジャスミン茶を一口飲む。お土産にお茶をたくさん買って帰ろうと考える余裕があるくらい、なんというか

—普通だ

隣で話してる同僚は本当にソジュンなんだろうか。

「そちらは随分ご活躍のようだな」
「いや、まぁな」

「あのさ、アミ、今日の夜あいてるか。遅くなってもいいから、出て来れない?」
「え?」
「久しぶりに話したいんだ。シンガポールの街も紹介したいし」

さすがにこれは、予想してなかった。今さらどんな顔して2人で酒を飲み交わすのか。このタイミングで話すことなんて少なくとも私は1つも思い浮かばない。
面食らっている私に、さらにソジュンが続けた。

「俺な、先月離婚したんだ」

ーなんだって

「だからってわけじゃないけど、またアミに会えて嬉しい。今夜行けそうだったら連絡して。待ってるから。」
「えーっと…」

返事も聞かずに、言いたいことだけ言って去っていく。
変わらない。昔からソジュンは、言いたいことだけ言って、どこかに行ってしまう。ヒトは根本的にはずっと同じなのだろうか。生まれついた瞬間から死ぬまでずっと。じゃぁどうしろっていうのよ、と呟いて、ぬるくなったジャスミン茶を飲み干した。

chap.3

遠くで音が聞こえる。
真っ暗な空に、湿った風が頬を濡らす。
それはあっという間に俺を追い越して、大量の水が降ってきた。
スコールだ。
この何処か現実味のない効果音と、殴られるような衝撃が空っぽの頭に響く。
逆に心地いいくらいに。

会議が終わり、何人かのマネージャーと立ち話をしてから、ホテルに戻ろうとロビーに向かうと、よく見知った2人が話しているのを見つけてしまった。いや、別に見てはいけない物を見たわけじゃない。5年ぶりに会ったら、会話くらいするだろう。俺たちは同期入社なんだから。3人で幾夜も、残業して、飲み明かして、議論して、助け合って、そうやってなんとか進んできたんだから。
たまたま途中で2人が付き合ったり、別れたりして、あいつがシンガポールに希望異動して、そこからあっという間に5年経った。

—ただそれだけのことじゃないか

今夜、連絡待ってると、あいつが言ってるのが聞こえて、急いで外に出てきた。スコールが来そうなことくらい、わかっていた。構わず、歩き出す。その後のアミの返事を立ち聞く勇気がなかったから。

スコールに打たれて、案の定びしょ濡れになる。笑えるくらいの水量だ。むしろ嗤ってくれて構わない。この情けない俺を。よく見たらみんな建物に作られた庇のようなところを、うまく抜けたり遠回りして歩いているじゃないか。なるほど、ほぼ毎日スコールと暮らしている人たちはああやって共存しているんだ。

少し冷静になればわかることもある。

そう、まだ、《《今夜》》は来ていない。
大切なものは、もう、簡単には手放さない。

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