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#01 米国で普通のサラリーマンが、金融資産「100万ドル」(約1.5億円)達成するまで

最初の一歩:5千ドル→1万ドル


日本での1億円と同様に、アメリカでは『ミリオネア』(100万ドル)が一般人の資産目標として語られます。コロナ後のインフレで価値は落ちたかもしれませんが、分かりやすい目標として今でも使われます。自分は2015年に5千ドルだけ持って、仕事の当てもなく来米し、2024年5月に金融資産100万ドルを達成しました。貯蓄も投資も全くしていなかった自分が、必要に迫られて地道に米国の金融知識を学び、ここまで来ました。

事業や投資が得意な人がこういう話をすることは多いと思います。ただ、無知で普通の一般人である私がコツコツ積み上げて100万ドルを達成することは、励みになるのではと思い、少しNoteに書いてみることにしました。振り返ると、もっと早く始めておけばよかった、知っておけばよかったと思うこともありますが、知っている限りの内容を共有し、自分自身の学びにもしたいと思います。

税金対策や簡単な投資の手順など、詳細は分けて色々掲載しようと思いますが、まずはざっくりとどういう感じで100万ドル達成できたかをいくつかの段階に分けて説明したいと思います。まずは最初の1万ドル。

渡米への準備と、最初の就職まで

2015年10月(渡米)

お断りを入れると、いくつか渡米しやすい環境にはありました。学生時代米国で過ごしたので、銀行口座とソーシャルセキュリティー番号(マイナンバー的なもので米国で就職するには必須)は持っていたこと、妻が米国人なのでビザを取得することはできました。ただ、米国人の妻も裕福な家庭ではなく、僕の銀行口座にも5千ドル、確かそれだけしかなかったと思いますので、ビザを取得すること以外は簡単ではなかったかもしれません。

渡米前は仕事を辞める不安から、日本から米国の仕事募集サイトに連絡していました。ビザの申請待ちの際、面接が入ると自費で東海岸、西海岸の会社に行きました。ただ、「いつ始められるの?」という質問には、「ビザの承認がもうすぐ降りるはずです」。。。はい、終了という感じです。タイムリミットはビザの承認が下りるまでと決めていたので、承認直後に日本の仕事は辞めてフライトに乗りました。ただ、不思議なことにそのあとは、絶対に生活が良くなるという確信があり、不安は消えていました。米国の銀行には5千ドルしか無いのに。

その勘が当たったのか、たまたまなのか、来米して1週間以内に仕事は見つかりました。スタートアップでしたが、時給を聞かれ、相場をよく知らない僕は45ドルと言い、業務内容的にもう少し取れた気もしますが、当時の日本の時給相場から比べると全然高いので大満足でした。

ただ、最初はそれだけだと困ると思い、追加でリモートで仕事が無いかと探していました。リモートで実績もなかったので、低い時給でしたが、少しずつ仕事を掛け持ちするようになり、1ヶ月くらいしたら口座が倍近くになったのを覚えています。

2015年12月(失職)

当時、ブルックリンのブッシュウィックという地域に住んでいました。元々町工場があった地区で、ヒスパニック系の家族が多く住んでいましたが、若者も安いアパートを求めて少しずつ住み始めていました。お世辞にも綺麗とは言えない地域でしたが、若者が増えてくるとともにお洒落なものも増えてきていました。アパートには英語を話せない移民や薬物のやり取りをする人もいましたが、それでも今後の人生が良くなることしかイメージできず、希望に満ち溢れていました。

始業から2ヶ月後くらいに、スタートアップには資金繰りの問題で同じ金額は払えないと言われました。ただ、最初の感覚から仕事はどうにか見つかるだろうと思っていたので、そこまで不安は感じませんでした。

生活状況のまとめ (2015年10月〜年末)

短期間で仕事が見つかった事はその後の自信に繋がる

  • 住居: 1950ドル/月(ニューヨークのブルックリン)

  • 仕事:

    • 自分: 時給 45ドル(時給25ドル、またはそれ以下の仕事も掛け持ちしてました)

    • 妻: 時給 35ドル

  • 金融資産: 5千ドル→1万ドル

  • 資産内訳:

    • 銀行口座 (Checkingアカウント) 100%

  • 税金: 納税の仕方もこの当時はよく分かっていませんでしたが、妻にやってもらいました。今後の回で税金の話もしますが、この年自体は米国で働いた日数が少なく少額なので、納税額もほとんどありません。

  • 健康保険: フリーランスの仕事だったのと、よくわからなかったので特に加入していませんでした。詳しい話は別の回にしますが、加入していないと納税時にペナルティーを支払います(オバマケアとも関連)。ただ、この年の収入だとあまり関係はありません。加入していなくても低所得の場合、人道上病院もケアしない訳にも行かないので、請求もない場合があります。これも別の回で説明します。

当時の振り返り

手探りで仕事を探して、生活の安定化に集中

  • 米国の仕事はプロジェクトベースで募集されることが多いため、日本からだと無理でも現地なら何かが見つかりやすいです。

  • その時の生活クオリティーよりも、明日や明後日の生活が向上する感覚さえあれば、とりあえず毎日をポジティブに捉えられました。

  • 仕事で自分のやるべきことを明確にし、それを達成して信頼を獲得することが重要です。信頼を獲得し結果さえ残せば、米国ではワークライフバランスを取りやすいので、お金がない時はとりあえず仕事を掛け持ちして稼ぐようにしました。

  • 後ほどの回で詳しく説明しますが、クレジットや投資の知識がこの当時からあれば、と思います。

次は、資産が1万ドルから10万ドルになるまでを書こうと思います(長すぎたら途中で細分化するかもしれません)。

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