陰と陽
物語や思想は「陰と陽」に還元できる。
非存在は陰と呼ばれ、本質はあるが形を持たない。
存在は陽と呼ばれ、形はあるが本質を持たない。
非存在の欠点は形を持たないから具体的な影響が無い。
存在の欠点は本質を持たないから抽象的な影響が無い。
陽の時代が続けば陰が求められ、
陰の時代が続けば陽が求められる。
そうやってスパイラルな二重螺旋を描き、相互補完しながらこの世は進んでいく。
陰と陽の繰り返し。
非存在と存在の繰り返し。
全ての文学や思想はそれらの言い換えに過ぎない。
どのような文学も、どのような思想も陰から陽への転換を書いている。あるいは陽から陰への転換を書いている。
シンプルな数式で、フラクタル図のような複雑な模様が描けているのと同じように、陰を何事かに言い換え、陽を何事かに言い換えて、陰と陽のシンプルな数式は物語を増幅させている。
要するにこうだ。
これでは意味がないではないか!これが陰。
これでは何も出来てないではないか!これが陽。
そうやって交互に叫びつつ、お互いを補完し合うのだ。
我々は非存在と存在を併せ持ち、常に陰と陽に引き裂かれている。
自分にこう問いかけて見よう。
自分は今、形式「陽」の中身の無さに苛立ち、本質「陰」に向けて転換しているのか?
あるいは、本質「陰」の具体性の無さに苛立ち、形式「陽」に向けて転換しているのか?
それが確認できれば、反復し増幅していこう。
増幅はいつしか反転し、「陰」もしくは「陽」へ再び向かう。
別の言い方でもう一度繰り返す。
どのような文学も、どのような思想も、
本質を失い、形式だけが残る。
それらの反逆として、新しい本質を生む為の
形式が芽生えてくる。
まだ全体を覆うような大きな形式にはなってないが
本質を象徴する小さな形式が、あちらこちらに出てくるのだ。
既存の形骸化した大きな形式は崩壊が始まり、バラバラになっていた新しい形式がまとまりだす。
こうやって革命が進み、新しい形式が完成する。
しかし完成こそが、ほころびの始まりでもある。
革命者はそれに気がつくこともなく勝利の美酒に酔うのだ。
川の流れのように歴史は流転する。
その為のシンプルな数式が「陰と陽」である。
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