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人に自由意志はない、の体験談

人に自由意志はないってどういうこと?

たとえば
のどが渇いたから水を飲みたいと思う。
飲もうという意思が生まれ、水に手をのばす。

これが普通の順番だと思う。

しかし、自分が水を飲みたいと意識する前に、すでに身体は水に手をのばしているという。

本人は自分で何でも決めていると思っていても、実は身体が先に動いていて、後から脳がそれに理由をつけている。

最近よく聞くのが、
口角を上げて笑った顔を作ると、本当に楽しくなってくる。
両手を上に挙げて胸をそらすと自信が出てくる。
というようなもの。

身体の運動が先で、脳の認識は後からついてくるらしい。
つまり、自分の脳は騙すことができる。

「ありがとう」を毎日できる限りの時間唱えると、
本当にありがたいと思うことが増えて幸せを感じたり、
無駄な思考が止まるので、ひらめきの回数が格段に上がる。
これは自分で実証済み。
ここまでは脳科学のお話だと思う。

しかし!
今日言いたい自由意思がない体験談は、実はそういうことじゃなくて。

人は大いなる力に動かされていて、それには抗えないという体験談。
個人的な体験談なので、なんだそれ?と思われるかもしれないけど。
それは

自分の進路というのは最終的には自分で決められない。

受験のときの話です。

高校受験のとき、私立と公立の2校を受けた。
私立の受験の日、今まで経験したことのない腹痛に見舞われ
受験会場の高校の椅子の上で、ただ苦しみもだえることしかできなかった。
絶対受かるはずは無いと思ったけど、結果は合格。
おそらく中学の担任の先生がうまくやってくれたんだと思う。

公立のほうは体調も悪くなく、
一般入試では数名しか受からない専門学科だったけれど、なんとか合格。
ここまで書いていて思い出したのが、合格倍率は2倍超えだったということ。
募集人員が少ないという単純な理由。
そんな高校受験にしてはリスキーな学校を選択するクラスメイトは、やっぱり面白い子が多かった。クラスも3年間同じ。


ここまではいい。
受験当日に多少体調を崩すのはよくある話かもしれない。

とにかく不思議だったのが大学受験のとき。

東京の大学2校と大阪の大学1校、合わせて3校受験した。
東京の大学なら実家から通うことになる。
大阪なら一人暮らしになる。

当時私は母親との関係が最悪なほどにうまくいっておらず、すぐにでも家から飛び出したいと思っていた。
とはいえ真剣に受験勉強をしていたわけでもなく、大阪の大学もアメ村のレコード屋を回るために行って、ついでに受験するような感覚だった。

東京の大学の受験当日、朝家を出るときはなんともないのに、
一歩一歩試験会場に向かって進むごとに、体調が信じられないくらいどんどん悪くなっていった。
なんとか会場にたどりついても意識は朦朧として、視界は狭く暗く、色は消え白黒の世界に。記憶もほとんどない。

2校とも同じような状態だった。
さすがに大学は甘くない。どちらも不合格。


で、観光ついでのような気持ちで行った大阪の大学受験。
気持ちがゆるんでいたせいか、試験の開始時間まで勘違いして覚えていた。

開始時間を間違えていることに気づかないまま
余裕で大学まで行くと、
受験生を案内する担当者らしき人が、急いでこっちへ来い!と大きく合図をしている。
その人に誘導されて初めて時間を間違っていることを知る。試験はもう始まっていた!
案内の人と一緒に全力ダッシュで会場へ。
試験会場の椅子に座ったときは、残り時間15分くらいだったんじゃなかと思う。
ここでラッキーだったのが試験はほぼマークシートだったこと。
ほとんど勘で黒く塗りつぶし、文章で答えなければならないところは
自動書記状態で全部埋めた。

こんなでたらめな受験だったにも関わらず、大阪の大学は合格。

後から思いだしても、なんで東京の受験ではあそこまで体調が悪くなったのか、あんなに遅刻しても合格して大阪で一人暮らしをすることになったのか。

偶然だけど偶然じゃないような気がしている。

人生のターニングポイントって、いつも偶然みたいな顔してやってくる。
もしかしたら、あらかじめ決められていたことなのかもしれない。


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