見出し画像

2021年上半期に選ぶ映画たち *do your best*

気づけば2021年も下半期に入っていました。京都では6月の終わりに水無月というお菓子を食べるという素敵な慣習があるそうですが私は関西に10年以上暮らしながら今年初めて知りました。


2021年上半期は度重なる緊急事態宣言の発出やそれに伴う映画館の閉鎖など、映画にとっても過酷な半年でした。個人的にもこの上半期は体調がボロボロで満足に映画を観ている場合ではない状態が続き、映画館の閉鎖も相まってアマプラを使うこともなくのんべんだらりと部屋で本を読んだり寝ている日が続きました。

だから毎年やっている上半期映画ベスト10を決める時期に差し掛かり、「いや自分絶対10本も観てないな」と直感で思いました。毎年欠かさずやってきたけれど、今年こそは無理だな…と思いながらも手帳をめくって観た映画を数えてみると、なんと10本ありました。ランキングが作れる!トータル12〜3本だろうと10本以上あればとりあえず順位がつく!

ということで今年もやります上半期映画ベスト10。

noteではいつも年末に上半期・下半期まとめた年間ベスト10を発表していましたが、今年は気が向いたので上半期ベスト10もまとめようと思います。上半期ベストって年間ベストを出す頃には自分でもすっかり忘れているものなので、もったいないのです正直。

昨年末にやってみたtwitterプチ感想を一緒に載せるのが楽しかったので、今回もtwitterプチ感想の引用つきでお送りします。夏休みのアマプラネトフリユーネクストのお供になれば幸いです。


2021年上半期に選んだ10本

1. ノマドランド

画像1

心がずっと旅をしている。留まらずに求め続ける。自分ひとり分の荷物だけを詰め込んで、ひとりだけの旅路を行く。旅路で出会う人たちとほんの一瞬重なる人生。友情も愛情も芽生えるけれど、ひとりは選び取ることもできるもの。たったひとりの世界でも、空は、自然は、あまりに美しい。

もちろん誰しもが望んでノマドの生き方を選択したわけでもない。住む町がなくなった人、経済格差に放り出された人、貧困から逃げるようにノマドにならざるを得なかった人。映画は彼らを社会の敗者とは看做さない。足元に散らかっている経済、貧困問題を踏みしめて、彼らは自らの尊厳を大事に生きる。

Amazonに代表されているようなアメリカの短期雇用形態の闇とか、車上生活のシビアさにももっと切り込んでいくこともできただろうけど、訴えたかったのはそこではなかったんだろうなと思料。常に旅をする心、ひとりを選び取る人生の肯定が映画をずっと貫いていた。彼らの世界が美しかった。

映像もさることながら音楽が本当に素晴らしくて即サントラ入れてしまったよね。まさにひとりの時間に流したい音楽だ、走る車を追いかけるように鳴るピアノがどれほど美しかったことか。


2. ファーザー

画像2

老いること、豊かな新緑の木から一枚ずつ葉が落ちていくように、なす術なく、目の前の世界が解体されていく不安と悲しみを抱えそして忘れていくもの。
解体される世界の狭間に見える思い出、美しかった日々、娘の姿。
たどり着く終焉の姿に、人とは何者であるかを思わずにはいられない。

脚本と編集が凄まじい。ほとんど家の中で進む物語を、あの家こそが無限に拡張していく。
後から編集されてしまったようなやり取り、登場人物の出現は「認知の解体」とはきっとこういうことなんだろうと他人事ではなく身に迫って来る。時間は迂回と逆行を繰り返す。観客もまた認知を狂わされてしまう。

言わずもがなアンソニー・ホプキンスが素晴らしい。自身も老いゆく身、自分にもいつ起こってもおかしくないことを客観的に捉え、冷静に、明晰な意識でもって「芝居」をしている。なす術なく進行していく病に足掻き取り乱し、泣き崩れる姿はずっと目に残るだろう。本当に聡明で知性に溢れた名優だ。


3. アメリカン・ユートピア

画像3

とても贅沢な時間だった。
コンサートでもありショーでもあり、舞台作品でもある。
舞台の文脈でコンサートを演出するとこんな化学反応が起こるのだな。ミニマルな美術に一切のコード・機械類を排除することで動きの制約から解放されたパフォーマー達の姿に目がずっと釘付け。

私はディビッド・バーンという歌手のことを1ミリも知らずこの映画が何なのかも知らないまま観に行ったけど、ショーというよりは音楽がメインの舞台作品として楽しめたような気がする。パフォーマー達も縦横無尽だし、カメラもまた単なるショーの記録に終わらない踏み込んだ映像の連続。かっこよ!

舞台として見るならライティングが特に素晴らしかったな。シンプルな青め単色でまとめているけどパフォーマー達のグレイの衣装に当たると舞台全体が発光しているように見える。音楽は"HERE"が好き。
そしてDIRECTED BY SPYKE LEEのクレジットに痺れる。ユートピアへの希望はきっと残されている。


4. あのこは貴族

画像4

東京の箱入り娘も地方出身も良家の跡取りもその人自身を構成する大事な要素でその人の人生を彩るもの。ふとしたきっかけで階層の境界が揺らぐとき、自分と違う他者を知り、翻って自分を知り、一歩踏み出す足掛かりになっていく。将来は押しつけられるものじゃない、私たちに幸あれ。

お嬢さまの華子と上京者の美紀に優劣をつけることなく「こうやって生きてきた人」と丸ごと肯定する眼差しがよかった。
どんな世界の下に生まれても、最高だと思える日もあれば泣きたくなる日もある。自分の出自は誰にもバカにされる言われはないし、それを背負ってどう生きるかも自分で決めていいこと。

華子にとって逸子が、美紀にとって里英がいてよかったなと思うと同時に、自分もまた誰かの逸子や里英であれるよう生きていきたいものだと思った。
自分の出自に囚われず、一緒にやろうよと手を取れるひとりの人間でありたいし、女同士喧嘩させようとする世界なんて軽やかに2ケツで走り抜けていこうぜ!


5. シン・エヴァンゲリオン劇場版:‖

画像5

シン・エヴァンゲリオンからの帰路はシャッターを下ろした戎橋筋商店街とそこを歩くまばらな人の集まり。背の高いアーケードが明かりだけを灯しておいてくれる都会なりの優しさ。終電が出発した瞬間に世界は浮遊する。どこに行くのか、帰るのか、誰かと朝を待つことにするのか、歩きゆく人の心は見えない。ただ心もとない。浮遊する世界を歩こうとする足もまた。

宇多田ヒカルの「one last kiss」を聴きながら千日前通りの阪神高速の真下を通り過ぎる、その横断歩道を歩き抜ける、アーケードから抜け出してすぐに頬に触れる霧雨と真夜中の工事現場の鋭い照明が、この光景を私の、生涯の一枚にする。世界を書き換えられるような体験を、その作品を体に取り込む前とあとでは世界が全く違う様相を呈する、この視界の驚きを、この先何度体験することになるだろう。それだけの体験を人にもたらす作品に、私はこの先、どれだけ出会うことになるだろう。

それは裏を返して凡庸な自分を発見し認識することと同義であって、私はこれから何度同じことを体験し、その度に悔しさに打ち震えるのか、嫉妬に頭を掻き毟るのか、ただ言葉も無くしてこの身の凡庸に呆然とするのか、そんなことをあと何度繰り返さなくてはならないのか、それを思うと、思うと。


6. Swallow/スワロウ

画像6

絶えず体を締め付ける自分への抑圧に彼女は形を与えて飲み込んでいく。
美しいビー玉になった抑圧は彼女に飲み込まれ「浄化されて」戻ってくる。自分を押し潰そうとするあれもこれも彼もあなたも、全て飲み込んでやるこの体を通してやる。それは儀式であり反逆。私の体は私のもの。

オープニングから最後まで画面が美しい。彼女を閉じ込める新居は何から何まで行き届いたセンスの良さ、彼女の着る服はどれもいつも似合っている、飲み込んだ彼女の恍惚とした表情、時には吐いて血を流すその赤色もまた美しく思う。
ヘイリー・ベネットの控えめながら底知れない緑の瞳とピンクのリップ。

結局自分の体面とプライドにしか興味がない夫と義父、「絶対」を暗に押し付けてくる義母、自分を見張る看護師たち、彼女自身が自らを縛りつける過去、軽やかなる逃亡ではなくても彼女の人生はここから始まる。人生なんてただ一瞬すれ違うだけのこと、デパートの女子トイレを短い間共有するだけのこと。


7. ベイビーティース

画像7

今日が最後の日のように、毎日が最後の日のように。だから出会ったあなたも一緒にいられるのはいつも今日が最後のように。
儚く消えていく命に宿る初恋の力強い煌めきはモーツァルトの美しい音楽に、風に、夜に鳴く虫の声に、明け方の鳥の声に乗って、大空と海へ羽ばたいていく。

余命わずかな少女と不良少年の恋という、すぐに話のテンプレが思い浮かびそうなテーマなのにそのテンプレをどこまでも振り払っていく演出と編集の美しさに嘆息。過剰な同情も涙も求めない、可哀想で片付けさせないふたりの姿と不安定な両親、個性的な隣人たち。
最後の朝は青い朝、彼女だけの美しい朝。

緑のウィッグや青いドレス、ヴァイオリンの練習部屋、食卓の彩りやパーティーの蛍光色が強く残るのは、彼女が毎日を彩ろうとする、目に焼き付けようとする視線をそのまま受け取ったからなのだろうな。
人は先に去るか、残されるかのどちらかにしかなれないけれど、残されても世界は美しくそこにある。

あとBabyteeth(乳歯)というタイトルもとても良いな〜と思ったのでした、作中でも象徴的に使われていて。ミラの歳にしては珍しくひとつ残っている乳歯、最後のひとつが抜けてようやく人の歯は大人になって、子ども時代が終わるというその象徴。


8-9. るろうに剣心 the final / the beginning

画像8

画像9

この二部作果てはこの実写るろうに剣心シリーズについては全てこのnoteに書きましたのでこちらを読んでください。まだ書き足りないくらいです。


10. KCIA 南山の部長たち

画像10

一人の男の体の中で渦巻く感情がひとつの映画になった。
大統領の二番手として、誰より大統領を想っていたつもりだった。かつて忠誠を誓った大統領の面影は権力に肥やされ見る影もなくかつて携えた革命の志は風の前の塵に同じ。国を想い憂えた男の顔に悲哀に満ちた影が落ちる。

最初から最後までイ・ビョンホン映画。イ・ビョンホンを見るための映画。彼の力が進める物語。
涙を見せずに悲しみを、罵声を上げずに憎悪を、詰ることなく嫉妬を、語ることなく絶望を、全身で表してくる佇まいに目が釘付けになる。眼鏡の奥で光る目には人の感情全てがそこにあると思うほどに。

もはや誰も信じられない、孤独に追い込まれていく息苦しさは『裏切りのサーカス』も思わせる。自国近代史をフィクションに落とし込むのがもはや大得意になった韓国、今回も得意技でかっ飛ばしてそのうち歴史の全てをフィクショナイズしてしまうのではないかな。映画で学ぶ韓国史大全完成の予感がする。

『KCIA』でキム部長が取った行動が『タクシー運転手』光州事件に繋がり、その光州事件を受けて『1987』6月民主抗争に至る。映画で学ぶ韓国史。


10作を並べてみて、「do your best」という言葉が浮かびました。俳優としての誇りであれ、アニメーターとしての根性と仕事への情熱であれ、物語の中の彼らの行動であれ、どれもが「do your best」な映画だったように思います。


番外編:本気を出した金曜ロードショー

5月7日と14日の2週に亘り、金曜ロードショーがついに本気を出しました。『タイタニック』(金曜ロードショーオリジナルキャスト版)のまさに20年ぶりの再放送です。

絶対王者の王子様(すごい日本語)レオナルド・ディカプリオ演じるジャック・ドーソンの吹替に日本が誇る最強声優、石田彰が挑む、金曜ロードショーでしか観られない貴重な、貴重な!! バージョンです。
それが20年の時を越え、2021年に再び降臨しました。まさに降臨です。もう奇跡と言ってもいいくらいです。奇跡の復活だったのです。

知る人ぞ知る石田・ジャック・彰のヤバさについては2020年の私が書いたタイタニック爆語りnoteでも書かずにはいられないくらいのヤバさ、その伝説の金曜ロードショー版が再放送されるというのだから黙っているわけにはいきません。

すると私のタイタニック爆推しnoteがtwitterで爆発四散してしまいました。なんだこれは!何が起こっているんだ!みんなそんなにタイタニックが好きか!好きなんだな!そうなんだな!

おかげさまでたくさんの方に読んでいただき、タイタニックを観たことがある方はもちろん、未見の方々にも届き(ネタバレしかないのに読んでくださってありがとうございます←まじで)、この再放送を機に「観てみよう」「録画しよう」という声にたくさん触れることができたのは本当に、心の底から嬉しかったです。

私は自分で作ったもの書いたものを気に入っていただけることももちろん嬉しいですが、それ以前にやっぱり自分の良いと思うものを、好きと思うものを目一杯、力の限りにお伝えしたいプレゼンしたいそしてあわよくば「そこまで言うなら観てみるか」と思ってもらいたい、そんな人間であることをこのタイタニックnoteのおかげで改めて実感できたような気がします。観て欲しいのです。良いと思ったものは何度でも話したい、同じことでも話したい、そのテンションがブチ上がった私(とそのプレゼン)に興味を持ってもらいたいのです。

読んでくださった方、ハートを押してくれた方、サポートやオススメをくださった方、そしてタイタニックを観た、録画した方、本当にありがとうございます。これを機に『タイタニック』という映画の素晴らしさに気づいていただけたら、レオナルド・ディカプリオの目も眩む美しさに気づいていただけたら、そして彼の出演作をもっと追いかけてみようと思っていただけたら、もう、こんなに嬉しいことはありません!!!


金曜ロードショーはプライド月間である6月第1週目に『ボヘミアン・ラプソディ』を放送するなど最近はどんどん本気を出してきています。今まで自室にいてテレビを全く観なかった私ですが、最近時間があれば金曜ロードショーを見るようになりました。この調子だ金ロー、この調子で良い映画をもっと広く放送していってほしい。ジブリ一辺倒はいかんのよ。



もっと番外編:カン・ドンウォンはいいよ

新年早々シネマート心斎橋でのカン・ドンウォン特集上映で『群盗』を観てから私の情緒はカン・ドンウォンにもめちゃくちゃにされています。

いやほんとかっこいいよ美しいよ美のイデアが人間の形をして歩いてるよ。こんな気持ちになったのはそれこそ90年代のレオナルド・ディカプリオ以来かもしれません。いやほんとかっこいいんだってカン・ドンウォン。

『新・感染半島』での彼もやさぐれっぷりとはらりと落ちる前髪のエロさに目が潰れました。本当に漫画の実写化みたいなキャラばっかりやってるカン・ドンウォン、いやでもそれはしょうがない。(『新・感染半島』は古き良き時代のバイオハザード(ゲーム)シリーズを思わせる私にはとても懐かしさがある映画でした、ゾンビは全速力で走ってくるけど漂う雰囲気が往年のバイオハザードのそれのように思えました)


ところでユンとジョンソクの漫画はまだなんですか?


〜そして下半期へ〜


この記事が参加している募集

振り返りnote

映画感想文

読んでくださってありがとうございます。いただいたお気持ちは生きるための材料に充てて大事に使います。