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これはわたしの物語 ー『レディ・バード』

アラニス・モリセットを聴きながらこれを書くことにする。
車の中で流れる”Hand In My Pocket”に「彼女はこの曲10分で書いたんだって」「だろうね」という父と娘の短いやりとりがある。才能のある人というのはどんな作品であれ熱に浮かされればものの数分で見事に作り上げてしまう、そういう在り方にこそ価値があるのだと彼女は信じている。
体に入り切らないエネルギーこそが10代という形もなく終わってしまえばただの10年というだけのこと、それに特別な意味をもたらす。
このエネルギーは、どうやら心を遠くに飛ばしてしまうものらしい。わたしが本当に輝けるのはここではないどこかなんだと、自分はこの場所で終わるような人間ではないんだと強く背中を叩き続けてやまない万能感の皮を被った焦燥。
かつて経験した、通り過ぎた、知っている時間。
さびれた、しけた、田舎町で生まれたわたしもまた自分で自分に名前をつけて、ここではない遠くを夢見ていた。中に詰めるものがあるわけでもないのにただただ「個性的でありたい」という思いだけで生きていた。中身なんて、きっとどうでもよかった。

わたしがこの映画に強く心を打たれて、2018年も残り1週間ほどを残すばかりになった今振り返ってみてもやっぱりこの映画のことが今年いちばん好きだったと思う。
彼女と故郷の関係、微妙な距離の測り合いと常に力関係が上下する嫉妬がついてまわる女友達との関係、彼氏との関係、将来について思うこと、ほとんどに覚えがあって、どれを主軸に取っても感想は書ける気はするのだけど、何よりわたしが書きたいのは、彼女と母親との関係のことだ。
というのも、このレディ・バードの母マリオンは、かつてのうちのお母さんに何もかもがそっくりなのである。
話し方、娘を見る目つき、険悪になるタイミング、顔立ちまでもがなんとなく、グレタ・ガーウィグはうちのお母さんのことを知っているのか? と思うほどにマリオンはうちのお母さんだったのだ。
レディ・バードと同じ、大学進学を目前にした頃のわたしに毎日注意を払って過ごしていたお母さん。


あの頃、お母さんと話すことがどうしてあんなに難しかったのだろう。
朝起きて、顔を合わせて、駅まで送ってもらって学校に行って、駅まで迎えに来てもらって家に帰って、ごはんを食べて、部屋に戻って勉強するまでの時間、家族のなかで誰よりも顔を合わせていたのはお母さんだったのに、お母さんと話すことが家族のなかでいちばん難しかった。
ほんのささいな、バラエティ番組を見て一緒になって笑ってそのあと少し何かを話す、とか、できたとしてもそれくらい、それすらできない日もたくさんあった。
お父さんが単身赴任で家を空けるようになって、お母さんは毎日あれもこれもと追い立てられているように見えた。そしてお父さんというクッションがいなくなって、お母さんはますますわたしを持て余すようになった。
勉強はするのに家のことはなんにもできない娘に毎日苛立っていた。
お母さんがわたしに苛立つのを肌で感じてわたしもますます意固地になった。
どちらかが歩み寄って、この話なら楽しくできるかなと始めてみても、最初はよくてもどこかで必ずボタンがかけ違って一気に険悪になることもしばしばあった。
たった一言、何の悪気もない一言が本当に許せなくて、しばらく口を聞かなかったこともあった。
またお母さんはわたしを持て余していった。

レディ・バードは何度も「ママは愛情深くて寛大なの」と言うけれど、「ママは私のことが嫌いなの」とも言う。およそ正反対のことでは? と首を傾げてしまいそうなふたつの台詞だけど、このふたつが同じ口から出ることにわたしはなんの違和感もない。
お母さんはわたしのことを十分すぎるほどに気にかけている。毎日おいしいごはんを用意してくれて服を洗濯してくれて毎日の送り迎えまでしてくれる。それはわかっている。わかっていたけれど、わたしは自分がお母さんに好かれているとはどうしても思えなかった。
愛されているというならどうしてこんなにうまくいかないのか、わたしには説明できなかった。

ダニーの家での感謝祭やプロムのための衣装をふたりで選びに行くシーンで、試着室から出てきたレディ・バードにママは何にでも率直に感想を言った。ママの言葉を聞いてレディ・バードは顔を歪めて言い返す。「どうして褒めてくれないの?」
わかりすぎて息ができなかった。わたしとお母さんもふたりで服を買いに行くといつもこうだった。
わたしがすてきだと思ったものに対して、同じようにすてきだと思ってほしかった。
お母さんに褒められたかった。褒めることだけが愛情表現じゃないとはわかっていても、やっぱり、褒めてほしかったし、わたしがなにかを達成できたときはお母さんにも喜んでほしかった。
仲良くしたかった。どれだけわたしのことを持て余してもいい、ただ仲良くしたかった。

あのときのわたしにも、学校のシスターのような人がいてくれたらどんなによかっただろうと思う。
「小論文を読んだわ。町のことが好きなのね」
「ただ説明しているだけです」
「愛情を持って町のことを見ているわ」
「ただ注意を払っているだけです」
「同じことだと思わない? 愛情と、注意を払うということは」
愛情とは注意を払うこと。この一言は28歳になったわたしの心にも深く染み入るものであったのだから18歳だったかつてのわたしにはもっと深いところまで届いただろう。
あのときわたしにいちばん注意を払ってくれていたのは、まぎれもなくお母さんだった。

幸いにもわたしはお母さんに無断で都会の大学へ出願するという暴挙にも及ばず、円満に大学受験を終えて家を出ることとなったけれど、レディ・バードを空港まで送り、一度は見送りを拒むもののやっぱり、と出発ターミナルまで戻るときの車内のママの表情には涙が溢れる。
憧れだった街ニューヨークに着いて、パーティーの場で「レディ・バード」ではなく本名を名乗ったクリスティン。音楽のプレイリストをけなされても「でも売れたんだからいいでしょ」と言い返せたクリスティン。飲み過ぎて病院に運ばれた翌日の日曜の朝、ミサに立ち寄り聖歌合唱に感動するクリスティン。思い起こされる故郷の風景が、遠く離れた場所にきて初めてきらきらと輝き出す瞬間。
涙が溢れる。彼女も、わたしも、何も気づかなかった、あるいは気づいていながら見えないふりをしていた、自分の故郷がどんなに美しい場所だったかを。
自分がどれだけ母親に愛されていたのかを。

グレタは語る。
「故郷とは複雑で、そこにいる間は外に自分の居場所を求めてしまう。だけど遠く離れてみてはじめてその美しさに気付くもの」
「女の子は誰しも母親との間に強い結びつきがある」
人種も年代も生まれた国も違う女性から、「これはわたしの物語だ」と心から思えるような作品が手渡された今年はそれだけで本当に幸せな1年だったと思う。
映画や小説に触れて、「これはわたしの物語だと思った」と言うような人の話はみんな嘘だと思っていた。それぞれにオリジナルの人生があるのだから人の作品が自分の物語になんてなるわけないだろうと思っていた。
だけど『レディ・バード』は心からわたしの物語だった。
もうグレタ・ガーウィグには一生ついていきますと言わざるを得ない。

クリスティンがその後有意義な学生生活を送り、胸を張ってサクラメントに帰る日が来ることを願ってやまない。そのときには、ママも笑顔で彼女を迎えてほしいと願ってやまない。
母娘が最初から最後まで笑顔でいられるショッピングに出かける日のことを願ってやまない。

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