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田舎の公立小中出身者が難関大の大学院を修了するまで (その1)

こんにちは、スロープです。
タイトルの通り、私は田舎の公立小中の出身であり、難関大の大学院を修了しました。
田舎特有の閉ざされた環境から都会にきて様々な考えを持ちました。また、ここに至るまでの苦労や喜びを知っていただきたいと考えています。
もし、現在なんとなく都会に興味がある小中高生がいたら是非読んでいただきたいです。気長に付き合ってください。

まず、私と家族のプロフィールを以下の通りです。

  名前:スロープ
  出身:九州の田舎(人口5万人程度の市)
 小学校:公立小学校
 中学校:公立中学校
  高校:私立高校(偏差値55)
  大学:国公立大学(偏差値52.5)
 大学院:難関大の大学院(東大・京大・東工大のいずれか)
 勤務先:日系大企業
家族構成:父→国立大卒(偏差値50)
     母→短大卒(偏差値不明)
     兄→私立大卒(偏差値37.5)

偏差値の引用元:みんなの高校情報(https://www.minkou.jp/hischool/)、みんなの大学情報(https://www.minkou.jp/university/)


小学校時代(1年生〜3年生)

この時は勉強をするという考えは微塵にもありませんでした。
田舎の小学生ならほとんどが勉強をしたことないのではないでしょうか。

兄がやっているからという理由で習い始めたサッカークラブの練習に行って、帰ってきたらおじゃる丸や忍たま乱太郎を見て、というのが日々のルーティーンでした。

練習が無い時間を見つけては、当時流行していたDSで目がおかしくなるまでポケモンの通信対戦をしていました。
自分で決定できる事柄は殆どなく、両親・兄に勧められるものをなんとなく過ごしていました。

小学校時代(4年生〜6年生)

この時からなんとなくテストの点数差が顕在化してきたように感じていました。

低学年の時、私がいつも100点をとっていたテスト(大きめの紙の裏表があるテスト)では、80点ぐらいしか取れなくなってきました。一方、クラスの1割ぐらいの子達は100点を安定して取っていました。

また、学校終わって遊んでいた友達も"ジュク"があるからと言ってすぐに帰宅していたのを覚えています。近所の幼馴染の子も塾のバックを持って駅のホームに入って行ってて大変そうでした。

私は本当に身の回りの動きに関心がなかったため、"ジュク"があるなら仕方ないか〜と"ジュク"が何か知らずに、適当に納得してそそくさとサッカーに打ち込んでいました。
また、このあたりぐらいから、「〇〇君は頭いいらしい」とかの会話が増えてきた気がします。

小学生時の私の価値観では、サッカーができて足が速いことが全てであったため気に留めたことは全くなかったです。
この段階で、頭が良いということが私にとってのかっこいいであったのならば、今の人生は大きく変わっていると思います。

この時ハマっていたDSソフトは、ジャンプアルティメットオールスターズです。

中学校時代(1年生)

中学校に上がった時、頭が良かった人たちはみんないなくなっていました。
ここで私は中学受験なるものの存在を認知しました。

(中学受験した子は親が教師であったり、高給取りのサラリーマンであったりと私の地元ではやや特殊の部類の人たちであることを後に知りました。)

中学生から学年の順位が出るシステムになって初めて自分の立ち位置を知ったのがこの時です。

最初に順位が出たテストは、順位は110人中50位(50/110)でした。
まあ平均点ぐらい取れているし、自分の中では満足といった点数だったはずでした。
仲が良かった友達はTOP10入りしていて、さらに、私が片思いしていた子もTOP10入りしており、自分の立ち位置が猛烈に恥ずかしくなったことを今でも覚えています。

なんでみんな勉強しているのを自分に教えてくれなかったんだ、と思ったのですが、思い返すとTOP10に入る子達はほとんど"ジュク"に行ってたのを思い出しました。

しかしこの頃の私は割と何も考えない主義(考えることができない)だったため、まあ高校受験まで3年間あるし、サッカーを頑張るかという感じで誰よりもサッカーを頑張っていました。
結果として、中体連(部活の公式戦)に一年生で唯一出場しました。
しかし、そこから得られる喜び悔しさは皆無でした。

中学校時代(2年生)

この時から、漠然と勉強に不安を抱き始めました。

各教科の理解度は、
国語→漢字はできる。それ以外できない。
数学→+-の概念は理解できる。それ以外(関数など)できない。
英語→全てできない。Do you like〜のくだりと雰囲気で答えるしかできない。
理科→何も覚えていない。
社会→何も覚えていない。

ここで、最高の解決策を思いつきました。
学区内最恐の塾であり、私の片思いしている子(TOP10)が通っている塾に入って全てを好転させるというものです。

これが地獄の始まりでした。

今まで勉強はやればできると思っていたのですが、13年間勉強してこなかった人が急に勉強に向き合うのは難しいですね。

日々の予習復習は苦痛でした。
塾に早く行けば、いつも私の片思いしている子は自習しているのでそれが楽しみで行っていたのですが、2ヶ月弱で我慢の限界で退塾しました。

この後の順位は30/110まで上がったのですが、この反動で一層勉強から遠ざかりました。

中学校時代(3年生)

流石に受験勉強を始めようという意識になりました。
行動には移せませんでした。

ただ、片思いしている子(TOP10)と同じ高校に行きたいという下心からちょっとずつ勉強する習慣を身につけていきました。

過去問を解いて、自分の理解度を確認して入試の配点を見ると内申点という項目があることをこの時に知りました。

片思いしている子(TOP10)と同じ高校に行くためには平均4.5/5.0ぐらいの評定が必要だったのですが、私の評定は2.6/5.0でほとんど無理でした。

ここで、好きな人のために進学するという考えを改め、自分が満足するために勉強するという考え方に変更しました。

この時は、毎日が楽しかったです。
やればやるだけ成績は上がるため、無敵でした。

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