指導するうえで意識したい3つのこと Vol.53
前回は野球界の大人たちがいろんな思惑をもって謎の判断をしたことで、興ざめしたファンが出てくることと将来を担う子供たちへの悪影響がでることについて書きました。
前回の続き
暴力を働いた中田翔選手のこれからの長い将来を考えると、俺は今回の大人たちの判断には疑問しかない。
選手生命の側面から見たら、限られた時間の中で、常にパフォーマンスを上げ続けなければいけないアスリートにとって、謹慎によるプレイ中断は死活問題だと理解しているし、即戦力として受け入れた判断はプロチームにとって勝つことがファンの喜びを作る上で大事なポイントの一つだからということも理解している。
だけど、プレイを続ける選手生命よりもその先に待っている選手じゃなくなる人生のほうが間違いなく長いんだ。
選手をチームで預かる以上、選手としての活躍もそうだけどその先にある人生も含めて考えるのも、関わる大人たちの仕事なんじゃないのかと思う。
だからスキルの部分だけを偏重して評価すべきじゃなくて、人格形成の部分も一緒に考えてあげる余裕は欲しいものだ。
そのうえで付け加えるのなら、事件を起こした中田選手が来たことによって、一軍でプレイする機会を奪われる、ただただひたむきに頑張ってきた選手がいることも、忘れないでほしんだよね。
組織における指導の重要さ
この話は、プロ野球という国民の目に広く伝わる世界の出来事として書いたけれど、根本に描きたいことは 組織としての考え方や人との向き合い方 なんだ。日頃の会社組織(コミュニティ組織)の中でも、似たように姿勢が悪い子や問題を引き起こす子は必ず出てくる。
そういう子が出てきたときに、よく見られる光景は
「指導を遠慮する」ということだ。
上長になりたての人や後輩を持ち始めた人いわゆる指導経験の少ない人たちは特にそうだ。
・嫌われたくないから言えない
・自分よりも結果を出しているから言えない
・そもそも自分に甘いから 他人に言えない
・どう伝えればいいのかが分からない
・・・etc
理由はともかくとして指導を後回しにした結果、組織としては健全な状態ではなくなっていく。
これはウイルスと一緒で、悪い姿勢の人を組織に置き続けて対処しなければ いつしか組織内で「姿勢が悪くても問題ないんだ菌」が増殖してしまう。
すると組織モラルの低下を招き、ちゃんとやっている人たちの士気までを削いでいく。
組織成長は停滞するばかりではなく、いつかはもっと大きなトラブルとして跳ね返ってくることになる。
一見、モノゴトと向き合う姿勢や人としてのスタンスは、それまで積み上げたスキルとは無関係そうなんだけど、でもスキルは使い手の心によるところが大きいと俺は思うんだよね。
言うなれば OS(心)とアプリ(スキル)の関係に近いかな。しっかりした土台のOSにアプリをインストールするから、アプリがちゃんと動くわけだからね。だから起きた事象がこの OS(心)においての問題だとすれば、指導は躊躇しなくていいと思うんだよ。
指導で気にしてほしい3つのこと
それでね。指導するうえで気にしてほしいことがあるから共有するね。
①見てる視点が違うからその差分をまず埋める
大概のトラブルはモノゴトの捉え方が違うことに起因している。だから見ている視点の違いの差分を理解する必要がある。その上で、その差分を埋める作業をしないといけない。
例えば組織として大事にしていることを雑に扱われた場合、なぜ雑に扱ったのか?雑に扱うことによって何が生まれたのか?互いにとっての不利益は何か?確認する必要がある。当人の認識と差分を埋め合わせる作業だ。
②目的を忘れない
本人のためになるかどうかが前提
ハラスメントなどを超えた誰が見ても「おまえが悪い」と言える一定以上のトラブルなら頭ごなしに怒るケースもあるかもしれないけど、大概の火種はそこまでのことではない。間違っても自分の怒りを鎮めるために怒ってはいけない。委縮させるのが目的じゃないからね。あくまでも組織を良くするために、対象者を改善に導くことが目的だ。
だから、まずは指導対象者のことを知ることから始めてほしい。最低限でもその人が目指しているところは知っときたいね。目指しているところが分かると、彼の考え方もしくは行動が招く遠回りを客観的に伝えられるからだ。
だけど本人との関係値が悪かったら、指導した内容は全く耳に入らないから 無駄になるからね。もし自分自身が関係値が悪ければ、無理して指導しないで関係値の良い人にバトンを預けたほうがお互いのためだ。
③問題を乗り越えるのはあくまでも本人
「みんな、お前のそれがダメだと思ってるよ!」と周りの代弁者になる必要はない。ねちねちと人格攻撃をしないことだ。
攻撃は相手を殻の中に閉じ込めるだけで、本人が事柄の理解から遠ざけてしまう。納得も生まれなければ行動改善につながらない。
思っていることは話していいし、伝えていいんだけど、あくまでも自分の価値観だから相手に押し付けるべきではない。憶測とか多分とかじゃなくて事実だけを伝えてそれによって起こりうる本人にとっての不利益は何か、なりたい未来に対してどうなるのか、これを一緒に考えられるかどうかが重要だ。認識の差分が理解できれば、最後の意思決定のやるやらないは本人に選択させるべきだ。
言われてやらされることは改善ではない。行動を作る考え方の根本が変わらなければ、ただただやらされているだけで、すぐに元通りになるから意味がない。
小学校でよく自分の周り整理整頓って先生に言われて、ゴミ拾ったりしていたけど、自分の周りって生活環境そのものだと思うと、関わる人達の健全な状態も含まるんだな~て思って、今回の締めとさせてほしい。
ってか、今回ちょっと長文で書き疲れたw