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GIGA・BITE 第12話【後編】

【前回】



【4】

通路Dを進む田角部隊長率いる総員5名の警察隊。
突如作動した防衛システム、そして暗闇からのトキシムの奇襲に苦しめられていた。
しかし、正面玄関の真横に伸びるルートということもあり、右側から差し込む僅かな光が彼等を助けてくれている。進行方向左手にある部屋は診察室らしく、瞳を緑色に光らせた看護師と医師が飛び出してくる。

「ゾンビが勤務してんのか? どうなってんだ、この病院は!」
任務中は私語を慎むようにしているが、今夜ばかりは文句を言っていないと気が触れてしまいそうだ。

大きな盾でトキシムを押し返し、隙あらば麻酔弾を撃ち込む。通路や出入口が封鎖されてしまったため、銃弾の補充は望めない。闇雲に発砲すれば敵に対抗する手段を失ってしまう。

「和泉文香さん! いたら返事を! 和泉文香さん!」
光が差し込んでいても、トキシムの巣窟となった部屋までは届かない。人間の肉眼では真っ暗な部屋に少女がいるかどうか識別不可能だ。和泉文香の名を叫んで居場所を探す。

トキシムは既に凶暴化している。声を出して相手の注意を引けば、どこかに隠れているかもしれない少女の命は守れる。田角らは躊躇なく声を張り上げた。

入口からゆっくりと進み、通路の中腹まで到達した。向かう先には曲がり角があり、左手に道が続いているらしい。行き止まりではないとわかった理由は、角からトキシム達が顔を覗かせているからだ。

「田角さん! 弾切れです!」
部下が叫ぶ。その声に反応した医師の額目掛けて空っぽになった拳銃を投げつけた。
「こちらも弾切れです!」
「報告せんでいい!」
あまり悪い知らせは耳に入れたくない。死が近づくような感覚になる。

看護師が盾を掴んで引き剥がそうとする。押し返すと別の看護師が引っ付いて守りが崩されそうになる。
「離してやれ!」
田角に言われるがまま、部下が盾を持つ手を離した。その反動で2体が床に転がり、バランスを崩したところで、田角が足に向けて発砲。弾は見事に命中し、相手が悲鳴をあげた。
麻酔が回るまでに時間がかかるため、反撃に備えなければ。防具を失った部下を引き寄せ、別の警官が盾で庇う。

ここでまた悪いニュースが田角に届いた。送り主は他でもない、田角自身だ。
先程の2発が最後の弾だったのだ。
「田角さん? 終わったんですか? 田角さん!」
「うるさい! 聞くなっ!」
攻撃手段を失いパニックに陥る一同。大きな盾を持つ部下の腕もプルプルと震えている。体力も限界だ。

トキシムが倒した物か、床に転がっていた消化器に躓いて部下2名が転び、田角もその波に飲まれた。他の警官達がすかさずフォローに回るが、敵の勢いは増すばかり。前から、横から、緑色の瞳が5人をしっかりと捉えている。気を強く持っていた田角も思わず目を瞑った。

通路の途中、小さく固まる田角らとの距離を詰め、威嚇してくる看護師達。1体が今にも飛びかかろうとしている。
しかし、眼前まで迫ったところで、トキシム達は動きを止めた。彼等は皆、曲がり角の方を睨んでいる。田角達もそちらに視線を向ける。

そこにいたのは、笠を被った忍者のような姿の戦士。あの若者だと田角がすぐに気づいた。

忍者が手を伸ばすと、朱色の指先から赤い粉が舞う。その粉に反応しているのか、トキシム達が新たな敵に向かって威嚇した。
相手の注意を引くと、忍者は左に伸びる道を走り出した。トキシムも雄叫びを上げて彼を追いかけていく。

残された5人。忍者が去って行った方向からおぞましい声が響いてくるが、その声は徐々に小さくなり、やがて何も聞こえなくなった。そっと立ち上がり、やや小走りで曲がり角に向かう。
彼等に飛び込んできたのは、廊下に倒れる何体ものトキシムだった。その先に、あの忍者が立っている。暗がりでも赤い指と手首の棘が輝いて見える。

非常事態を察して、あの青年が助けに来てくれたのだ。ほっとした田角達が同時にため息をつく。倒れた看護師達をかわして忍者に歩み寄る5人。先頭の田角が助っ人に声をかけた。
「ありがとう、また助けられ……」
言い終える前に、目の前の忍者がスッと消えてしまった。まるで霧のように。

何事かと更に前進すると、一行は開けたスペースにたどり着いた。
ガラス張りの四角い箱庭を中心にした円形のスペース。箱庭から差し込む月明かりがライト代わりだ。壁には予防接種のポスターやカレンダー。ここは休憩スペースなのだろう。

箱庭のすぐ近く、他の警官達に囲まれて、先程の忍者が立っていた。彼等と会話していた忍者は、田角らがやって来たのに気づいて手を振った。
「君、さっきのはいったい……」

ここで更に不思議なものを目の当たりにする。

警官達が集まる地点の反対側から、変異した桐野博士と共に、全く同じ姿の忍者が走ってくるではないか。駆けて来る忍者も霧のように姿を消し、その跡を追うように、特殊部隊の2人が率いるチームがやって来た。田角達が来たルート同様、反対側の通路も同じような造りになっているらしい。

消えた忍者の姿を見たのか、対岸で越中隊長らも呆気に取られている。左右のルートからやって来た2チームの困惑ぶりを見て、忍者が子供のように笑った。

これこそ、メロが考えた作戦だ。

レイラから授かった能力。戦闘時に使う技を応用し、メロは分身を生成した。
この分身は群体の力で形作られたもの。分身をトキシムらの元に飛ばし、群体の作用で「敵性個体だ」と判断させて注意を引く。向かって来た彼等を、一方では博士が、もう一方ではメロ本人が鎮圧、人間だけで構成された2チームを救ったのだ。

分身を作るだけでなく、それを別々に操作したことで負荷がかかり、メロは一時的に人間の姿に戻った。桐野博士も元の姿に戻り、メロと軽くタッチした。
「お前にしては上出来だな」
「いちいち引っかかるんだよなぁ。お前もそう思うよな?」
言いながら、メロは融合炉を見下ろした。

犠牲者を出すことなく合流できたが、全員無事とは言えないようだ。

越中隊長率いるチームの警官1名が、室田隊員の肩を借りてゆっくり歩いてくる。安全圏まで来たところで、室田は男性警官を床に下ろした。
田角達5人が駆け寄って確認すると、どうやら足を怪我しているらしい。額からも血が流れている。

「私を庇ってくれたんです」
暗い廊下での戦闘。越中達が進んだ通路Aも片側が窓になっているが、植木のせいで光が遮断されていた。
小さな懐中電灯片手に、限られた視界の中での戦いを強いられる。特殊部隊の2人は麻酔銃を持っていないため、越中隊長が持つ警棒とナイフで戦っていた。

大きな盾に守られながら戦っていたのだが、トキシムの1体がかなりの力持ちで、大盾を奪って振り回してきた。トキシムは室田隊員をターゲットに、盾を叩きつけようとする。彼女を庇うため、この男性警官が室田を突き飛ばして攻撃を受け、転倒したところへその足に盾を振り下ろされたのだ。

「申し訳ありません。私のために」
「いえ、俺が力不足だったから」
盾を奪われたのがこの警官だったらしい。
トキシムに噛まれたりしたわけではないので、群体が感染した危険は無さそうだが、この怪我では動くことが出来ないだろう。
博士が警官のズボンを破ると、脛から足首にかけて大きく腫れていた。

「俺のことは構わず、先に行ってください」
「薗田」
「それなら、私が彼についてます」
室田隊員が薗田の警護を名乗り出た。彼女だけでなく、同僚の警官達2名もこの場に残る意思を固めた。

「……わかった」
少し考えて博士がひと言発すると、彼等を床に座らせた。全員しゃがんだのを確認し、壁から床まで覆う大きな網を張った。神楽と戦った時と同じ、メンバーを守るバリアの代わりだ。
念のため、各チームが通って来た道も蜘蛛の巣で塞いだ。

「ほとんど片付けたし、網も簡単には破れない。ここにいれば奴等の餌食になることはまず無いだろうが、気を抜くなよ」
「俺達もすぐ戻るから」
「助かるわ」
室田隊員の声が白いバリアの中から聞こえた。

ノーラに再度連絡をとってみたが、まだ防衛システムへの干渉は出来ないらしい。

『ちくしょう、このアタシをここまで手こずらせるとは……ああっ、おいテメェ! さっきからうるせぇんだよ! 聴取なら後でいくらでも……』
廃病棟の方で、ノーラが誰かに怒鳴っている。きっと相手は施設を調べている警官だろう。博士は右手で両目を覆い、静かに通信を終了した。

院内の状態は変わらない。それなら自力でどうにかするしかない。
館内マップによれば近くに階段があるらしい。シャッターで閉ざされていれば、博士とメロが力尽くでこじ開けるつもりだ。

一同が次の行動に移ろうとしていると、突然籠った爆発音が聞こえてきた。コンクリートが勢い良く崩れるような音。箱庭を通して上の階から聞こえた。一度だけではない、断続的に音が鳴っている。
続いて、綺麗な花が咲く小さな空間に、ガラス片と共にトキシムが1体落下してきた。

メロと博士が顔を合わせて頷き、マップに記された階段の方へ走り出した。その後ろから越中隊長らも続く。

休憩スペースを抜け、暗い廊下を少し走った突き当たりに壊れた自販機を見つけた。その右横には派手に破損したシャッター。自販機の明かりが、その奥にある段差を照らした。

アダムだ。彼がシャッターを破壊して上に向かった。となれば、先程の爆発音もアダムの仕業か。
「急ごう博士!」
メロを先頭に大慌てで暗い階段を駆け上がる。その間も大きな音が何度も鳴り響く。
「おい、待ってくれ!」
少し下から隊長らの声が聞こえるが、立ち止まっている暇などなかった。

【5】


轟音に導かれて、メロと博士がたどり着いたのは3F。
メロが階段をのぼり切ったのとほぼ同時に、彼の目の前を何かが猛スピードで飛び去った。人間ほどのサイズの、大きな何か。呻き声が聞こえたことから、トキシムだろうとメロは察した。

トキシムが飛んで来た方向に目をやると、1Fより広めの廊下の先に、赤い蛇腹剣を鞭の如く振り回す若者の姿が。
壁はひび割れ、所々大きな凹みが出来ている。どんな攻撃を加えたのか定かではないが、壁に埋もれて片足だけのぞかせている者まで確認出来る。
メロの視線に気付いたのか、アダムが振り返って睨みつけた。

「超獣」
「やめろ、この人達はまだ生きてる」

そこへ博士も到着。メロにぶつかりそうになったが、すんでのところで足を止めた。
隊長らはトキシムに見つかってしまったのか、下で唸り声と彼の大声が交互に聞こえてくる。戦闘は彼等に任せ、博士が廊下の方に顔を出すと、彼も嘗ての同志の姿を捉えた。

アダムの足目掛けて、男性のトキシムが床を這って近づいて来る。アダムは男性の頭を蹴り飛ばし、蛇腹剣の先端を敵の体に突き刺した。それだけで終わらず、剣を振るって玩具のようにトキシムを床や天井に何度もぶつけた。

「やめろ!」
トキシムで退屈そうに遊びながら、アダムが口を開く。
「こいつらも生きてる、か? そんなことはわかっているさ、お前よりもな。獣に成り下がった者など新世界に必要無い」
すぐに飽きてしまったのか、剣の刃を縮めてトキシムの体から引き抜いた。

「今はお前と戦うつもりは無い。だが」
アダムは一度剣を分解。黄金の腕輪を使い、周囲のコンクリート片と蓄積した群体を掛け合わせて黒い鉤爪を作った。
「邪魔する気なら、ここで壊してやるよ。融合炉もろともな」

相手は今にも飛びかかろうとしている。超獣システム、そしてオリジナルのコンディションが心配だが、引き下がるわけにはいかない。メロも腕輪に手をかけようとした。その時、

「随分散らかしてくれたみたいね?」

静まり返った廊下。
階下で暴れるトキシムの声をBGMに、女性の声が廊下に響いた。
声がしたのは、メロと博士の後ろ。

振り返ると、そこに1人の女性が立っていた。髪を後ろで丸めて結んだ、30代くらいの女医。白衣を着て、ネームプレートを下げたその姿から医師だと博士は連想した。
「誰だあんたは?」
「さぁ、誰かしら?」
眉間に皺を寄せて博士が女性の全身を見回す。青いワイシャツに、膝丈の茶色いスカート。そして、瓦礫が飛び散る廊下を裸足で歩いている。

「どけ、桐野!」
助走をつけて床を強く蹴り、アダムが2人の上を飛び越えて女性の前に躍り出た。
「久しぶりだな、二階」
「二階? あの二階だと?」
博士は目を大きく見開いた。
そんな彼を見て、女性は口角を大きく引き上げて笑った。

メロ達の前に姿を現した裸足の女性。
この人物こそが元幹部の二階恭子だと聞かされ、桐野博士は開いた口が塞がらない。
博士の知っている二階恭子は50代前半の女性だった。だが言われてみれば、前方の女性には確かに二階の面影がある。

「やっぱり、あなた達をよこしたのね」
二階は落ち着いた口調のまま、アダムに話しかけた。
「悲しいわ。あなたとは素晴らしい協力関係を築けたと思っていたのに」
「所詮はあんたも司令塔の所有者。いずれこうなることは、あんたもわかっていただろう」
「やれやれ」
博士が会話に混ざった。アダムと二階が同時に目を向ける。
「真中もあんたも、仲良くアンチエイジングか。随分仲良しみたいだな」

鷹海市、正確にはバックの笠原院長と新鷹海総合病院が“調査”のために極秘の協力関係を築いていたことは、越中隊長らの話から聞いていた。今の二階の発言で、彼等が手を組んでいた確証が得られた。それも、一時的な関係に過ぎなかったようだが。

アダムは若返ったという点で二階と一括りにされたことが不愉快らしく、博士を睨む目つきが鋭くなった。
「相変わらず口は達者ねぇ桐野君。全然面白くないところも」
「ほう、覚えているとは光栄だな」
「忘れるはずがないわ。あなたが見つけ出した、意思の電気信号のおかげで、頭の中のこの子達が力を引き出せるようになったんだから」

おそらく、博士にとって最も触れてほしくない、最悪の嫌味だろう。
大きな夢を抱き力を注いできた、博士自身の研究。結果的に幹部らが好き放題暴れ回るきっかけを作ってしまった。

幹部、そして抗うことをしなかった当時の自分への怒りが渦を巻き、黒く大きな波となって博士の心を浸食していく。彼の怒りは隣にいるメロにも伝わっていた。
そんな博士を見て二階はただ微笑んでいる。斜め上に口角を引っ張られたような、君の悪い笑顔だ。

「でもね、命を動かすのは意思だけじゃないのよ?」
言いながら、二階はスカートのポケットから小さな瓶を取り出した。中に入っているのは、緑色の液体。
「それって、まさか!」
メロがよく知るその液体は、トキシムを強制的にB級に堕とす作用を持つ。
「私の群体を元に作ったの。生物としての、本能を剥き出しにする薬」
「本能? なるほど、だから奴等は信号を無視して暴れるのか」

B級というのは、ただ生きるためだけに暴れ回る存在。“敵を倒す”という幹部の意思すらも遮断し、目に映るものを攻撃する。命を脅かす者を殺し、腹が減れば、獲物として相手を仕留める。味すらも関係無い。命を食い繋ぐことさえできれば良いのだろう。

「私の群体を体に宿すと、身体能力が著しく向上する代わりに、ちょっと凶暴になっちゃうの。せっかく治してあげてもすぐボロボロになっちゃうんだから」
その特性が若返りの秘訣かと博士は思った。肉体の変化を促すほどとは、通常の群体よりも作用が大きいことがうかがえる。
彼女の口ぶりから察するに、二階は群体を用いた人体実験も行っている様子。それが、この病院の惨状を招いた。
「試したのか、あんたの患者を使って?」
「ご想像にお任せするわ」
優しげな口調だが、言葉の芯に気持ちが籠っていない。メロはそんな印象を受けた。

「ベラベラ喋っている暇はない」
アダムが二階に向き直ると、右手に嵌めた鉤爪を構えて彼女に迫った。二階は攻撃を軽々とかわし、やや前のめりになったアダムを横目に笑っている。

「和泉文香はどこにいる?」
「素直に言うと思う?」
「だから“こうして”聞いている」

鉤爪を黄色いチャクラムに変化させ、その刃を二階の首元に近づけた。
「さっさと言え」
アダムに迫られても、二階は平常心を保ったままだ。
幹部がここにいるということは、和泉文香も同じフロアに匿われている可能性がある。2人はそのままに、博士とメロはこの階の探索を始めようとした。

「何処に行くのかしら?」
二階はそんな彼等の姿を見逃さなかった。
彼女を無視して先を行こうとすると、今度は倒れていたトキシムが立ち上がり、メロ達の行手を阻んだ。

後ろに目をやると、二階の瞳が緑色に輝いている。アダムの過剰な攻撃を受け、傷だらけになってもなお、リーダーの指示に従って彼等は立ち上がる。
「言ったでしょう? 身体能力が高まるって」
確かに復帰までのスピードは速いが、まだ再生しきれていない傷があるのも事実。
医師でありながら、命をこれほどまでに軽く扱う二階に対する怒りがメロの中で燃え上がる。

「桐野、超獣。そこで待っていろ。こいつを殺して、司令塔を奪う。その後で、じっくりとお前達を痛ぶってやるよ」
「真中、お前……」
「やだ、こわぁい」
わざとらしく、二階が怖がるジェスチャーを見せた。
「聞いた? 殺す、ですって。このままじゃ……死んじゃうかも」
今更何を言っているのか。呆れ顔の博士だが、ある考えに行き着いて表情が一変した。

“死んじゃうかも”

最後のひと言が、エコーがかかったように再生される。
「博士? どうしたの?」
何も答えず、前をじっと向いたままだ。

「今更バカな真似を。早く言え。首がもげる前に」
突きつけた刃が二階の首筋を切り、一筋の血が流れる。首を伝い、服を汚し、足下に垂れる血液。彼女は固まったまま動かない。

二階の群体から作られた薬品。本能を剥き出しにする。
本能、すなわち、生命活動を維持するための衝動。
生きることへの渇望。

「真中、逃げろ!」

同志に思わず声をかけた。
博士の声に驚いた顔をするアダム。二階の顔を見ると、彼女の皮膚の下に、緑色の発光体がいくつも浮き上がっている。
長きに渡り仮初の協力関係にあった2人だが、こんな姿は見たことがない。アダムも自然と後退し、二階から距離をとった。

「生きたいわよね? そうよね?」
誰を見るでもなく、二階は1人で何かに語りかけている。優しげな口調ではあるが、何故かメロには脅しているように感じられた。死への恐れを煽るかのように。
誰を脅しているのだろう?

考え始めた瞬間、脳内で二階の独り言が大きく響き出した。ノイズが発生したのだ。

ここに来るまでにトキシムと幾度も戦ってきた。群体はトキシムの体液を取り込むことでも感染する。戦闘時に付着した彼等の唾液や血液から二階の群体を摂取、弱毒化の過程で群体に触れたオリジナルが、二階の信号をキャッチしているのだろう。

二階は、自らを脅している?
死への恐怖を信号にして送っているのか?

「大変。このままじゃ死んじゃう。生きたいでしょ? だったら、どうするんだっけ?」
ぶつぶつと何かに呼びかける二階。言葉を発するたびに傷口から血が溢れる。
そんな彼女にアダムが鋭い眼差しを向ける。
「気でも触れたか?」
「声が震えてるわよ真中君」

背筋が冷えていく感覚がわかる。彼の心に何かが入り込み、それが大きく育つ。胸が、水圧で潰れる缶の如く、大きな力がかかって押し潰されるような、重い感情。

「そうよねぇ、怖いわよね、未知のものって」
「僕がいない間に、何をしていた?」
「怖がらなくていいのよ。だってこれから、身をもって知ることになるんだから」

顔に浮かび上がった発光体は、次第に全身に現れはじめる。発疹のように出現し、体表を動き回る。

二階は目を大きく見開き、前屈みになって震え出した。両手を交差させる形で自身の二の腕を掴み、低い声で唸っている。
「へ、平気よ。ここ、ここさえ乗り切れば、い、い、痛くないから」
二階の髪が床に抜け落ちる。
何かが潰れるようなくぐもった音が聞こえると、今度は二階のワイシャツが背中から破れ、細かい血が雨のように噴き出した。そのおぞましさに、メロが思わず手で顔を隠した。

同時に、メロは別の種類の恐怖を感じていた。
おそらくこれは、オリジナルの恐怖心。自分の仲間をここまで変容させた、人間という生き物への恐怖。

血飛沫とともに縦に割れた二階の背中から、太い管が飛び出して尻尾のように暴れている。脊椎だ。脊椎が腰元から分離して動いている。曲線を描くそのさまはサソリを思わせる。
次の瞬間、岩がぶつかり合うような重い音が彼女の体から聞こえてきた。
露出した脊椎がうねりながら肥大化する。廊下に叩きつけられた巨大な管の途中から更に脊椎が生まれて絡みつき、耳障りな音を立てて1つにまとまりはじめる。

二階の体が宙に浮く。ぶら下がっている、と言う方が正しいか。彼女の胸部や腰、手足にも変化が生じ、深緑の装甲を纏ったように見える。特に膝から下を守る鎧は、足先が長く伸び、巨大な太い針になっている。

小さな体の下では脊椎が更に複製、融合を重ね、ひとりでに新たな肉体を形成する。廊下を埋め尽くし、病室の壁を崩しながら、大きく丈夫な体を形作った。

「あ、ありがとう、真中君。“最後の実験”が成功したわ」

骨が発達し、緑色の甲羅に守られた背中。そのボディを起点に側面から計8本の脚が伸びる。アダムの立つ位置に近い2本の脚は一際大きく成長、緑の外殻に守られた人の手のように変化した。

ぶら下がっている二階が「尾」なら、肥大化した脊椎の先端は「頭」。

頭部にあたる箇所には大きな空洞があり、中から長く太い舌が伸びている。その口を取り囲むように、下側に大きな牙、上側は巨大な人間の頭が4つ生え揃う。歯の代わりということだろう。どれも上顎が異常に発達し、下顎は無い。
それぞれの頭にはヒトと同じく眼球がついているが、地面に近い方の目は重力に引っ張られてゼリーのように垂れさがっている。

脊椎から新たな肉体を生成、宿主であるヒトを模したということか。だからこそ、柔らかく不完全な頭や、人間のそれを模した前腕が構築された。

残念ながら、新しい肉体のシルエットはヒトのそれに程遠い。二階本人を吊り下げる尾も相まって、巨大なサソリの怪物にしか見えなかった。
脊椎を強引に変化させたためか、サソリの尾から赤く細い管が浮き出ている。神経ではないかと博士は推理した。

「博士、これどういうこと?」
「俺にもわからん!」
「はぁっ、感じるわ。私、生きてるって!」
痛みを乗り越えた二階は気持ち良さそうに言葉を発した。脊椎が飛び出した際に破れた皮膚は、マントのように腰から垂れている。

「はじめから、僕らが来ることも想定済みだったのか」
アダムが赤い剣を作り、サソリの尾を見上げた。
「僕らの派閥をこの場で根絶やしにするために、院長を呼び出したんだな」
「ご想像にお任せするわ、真中君!」

尾先の二階が足を伸ばし、アダム目掛けて突き刺そうとした。アダムも剣でそれを受け止め、伸縮自在の刃を巻き付けたが、サソリの右手が彼を潰そうと迫ってきた。武器から手を離して前腕をかわすが、反対側から何かに体を掴まれてしまった。
前腕の指それぞれが、鋏のように開閉する形になっている。アダムを背後から捕らえたのは、左手薬指のハサミだった。
もがきながら金の腕輪を操作するも、サソリが左手を勢いよく振り回し、周囲の壁を破壊しながら、アダムの体を廊下の先へと投げ飛ばしてしまった。

「あっ、違っ……」
小さく言葉を漏らしたが、まあ良いとばかりに、尾先の二階が首を振った。

アダムの次は、メロと博士。
自分の城を壊しながら、サソリの怪物は2人に向き直った。二階は足を組み、自分の脊椎に寝そべっている。

「あんた、どうかしてるぞ! このままじゃ建物が崩れちまう!」
「町が大金はたいて造ってくれたお城よ? この程度で壊れるわけないじゃない!」
両手を伸ばし、怪物が素早く2人に近づく。博士が蜘蛛の怪人に変異し、腕を拘束しようと糸を射出する。しかし、博士もわかっていたが、糸は簡単に引きちぎられてしまった。
メロも慌てて黒の鎧を纏い、彼を掴もうとする手をジャンプして避けた。
尾先からは甲高い笑い声が聞こえてくる。

この場所で戦うのは危険だ。下には越中隊長らも残っている。病院そのものでなくとも、床が崩れれば階下の仲間達が瓦礫と化け物に押し潰される。

「青年! 走るぞ!」

2人はサソリの怪物に背を向けて走り出した。
前方に見えるのはガラス張りの巨大な壁。走った先にあるのは、病院のエントランスだ。
吹き抜けのような造りで、上の階まで見えるほど天井の高いスペース。前方の柵を飛び越えればエントランスまで一直線だ。
少々危険なルートではあるが、変異した2人なら耐えられる。

怪物が猛スピードで迫る。節足動物に近い脚で壁を蹴って突き進むが、力が強すぎて壁が破壊されていく。病室を区切るものは無くなっていた。
メロと博士は振り返ることなく真っ直ぐ走る。いよいよ眼前に柵が見えてきた。
「覚悟は出来てるか!?」
「そっちこそ!」
言葉よりも先に体が動いていた。

助走をつけた2人は、その勢いで柵を飛び越え、エントランスへと落ちていった。



【次回】

【第12話怪人イメージ】


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