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GIGA・BITE 第13話【前編】

【前回】



【1】

新鷹海総合病院2F。

上階で起きた異変を調べに駆け出したメロと桐野博士を追って、越中隊長達が後に続いた。しかし、その道中でトキシムの襲撃に遭い、彼等の制圧に時間を割く羽目になった。麻酔弾も少なくなってきた。そもそも麻酔弾を所持していない越中は、警棒を使って迫り来るトキシムと戦う。

「くそっ、耳がおかしくなりそうだ!」
男女の呻き声や獣じみた金切り声が隊員らの鼓膜を虐める。声だけでなく、相手の体を警棒で殴る感触や振動も、越中隊長にとっては苦痛だった。

彼等が戦っている場所は狭い。
田角氏と越中隊長が階段を上ってすぐの地点で武器を振り回し、他の警官達が盾と麻酔銃を手にフロアの奥へと進む。部下を向かわせるのは気が引けたが、トキシムに有効な武器を持たない田角達が先頭に立っても足手纏いになるだけだ。

部下達のおかげで、隊長らのもとに飛び込んでくるトキシムの数は少ない。狭いスペースでもなんとか互角の戦いを繰り広げている。
困ったことは、倒れたトキシムが数分で立ち上がり、元気良く飛びかかって来ること。再生能力があると聞いていたが、ここまでタフだとは思っていなかった。

「視界を塞げ!」
田角部隊長が叫んだ。
警察隊のみでトキシムと戦っていた際に発見した対抗策のひとつ。視界を布などで塞ぐと、敵を見失ったと判断して鎮静化する。
既に敵意を剥き出しにした状態でも有効かはわからないが、出来ることがあるだけありがたい。越中隊長が近くに給湯室を見つけ、出入り口のカーテンを引きちぎって肩に乗せた。

向かってきたのは若い男のトキシム。驚いたのは、職員でも患者でもない、学校の制服を着た個体だったこと。よく見れば、私服を着たトキシムも混ざっている。

見舞い客までゾンビにしたのか。

細身ながら強烈な突進をして来た学生を隊長がその身で受け止め、背中を肘で何度も殴打する。布は肩からずり落ちてしまった。
相手を押す力はなかなか緩まないが、何度も打撃を打ち込んでいると、ほんの一瞬、学生の力が弱まった。

その隙を見逃さず、トキシムに負けないほどの雄叫びをあげ、拾い上げたカーテンを学生の頭から覆い被せた。もがく相手を押さえたまま、武器を携帯するための脚のベルトをどうにか外し、カーテンが取れないように首元に締めて固定した。
だが、これでは学生が窒息死してしまう。後続のトキシムを警棒で追い払い、カーテンの上から学生の顔を触り、口らしき箇所にナイフで穴を開けた。

「こんな感じか!?」
「初めてにしちゃ上出来だ!」
空の拳銃を武器に戦う田角が親指を上げて越中に見せた。まともにコミュニケーションを取ったのは今回が初めて。しかし、過酷な任務を経て、2人の間には役職を超えた絆が出来ていた。

越中も田角にハンドサインを返そうとしたが、そんな余裕は無かった。
まだまだトキシムが病室から飛び出て来る。犬のように四つん這いで走って来る個体まで。
学生が落ち着くまで、彼の上に腰を置いて警棒を振り回す隊長だったが、勢い余って武器を放り投げてしまった。

「ちくしょう!」

学生を押さえるのと同時に、別の武器を取り出そうと悪戦苦闘する隊長を狙って、看護師のトキシムが手足で床を蹴って迫る。威嚇と恐怖の入り混じった、腹からの大きな雄叫びを上げる隊長。
相手の歯が彼の腕を捕らえようとした、まさにその時。

小さな破裂音がしたと思うと、看護師が隊長の目の前で急にひっくり返った。苦しそうに呻く看護師目掛けて、小さな物体が風を切って飛んできた。

銃弾だ。見上げると、そこには拳銃を構えた岸本隊員の姿が。彼は他にもライフルを肩にかけている。
「岸本! どうやって中に?」
散々叫んだために、越中隊長の声は掠れていた。
「色々ありまして。合流出来て良かったっす」
岸本が隊長に手を差し出した。その手を掴み、腰に力を入れて立ち上がった。踏んづけていた学生のトキシムは動きを止めている。

岸本隊員に続いて、他の特殊部隊のメンバーも廊下を駆けてやって来た。彼等は非常階段から屋内に侵入、たまたまトキシムが暴れていたため、彼等を無力化しながらここまで来たらしい。

ありったけの麻酔弾を持ってやって来た援軍。効き目が現れたのか、フロア中から聞こえていたトキシムの呻き声が小さくなっていった。
「ラッキーでしたよ、隊長と合流出来るなんて。あれ、姉御は?」
「室田は負傷した警官と一緒だ。コイツらが襲ってこないよう、あの博士が対処してくれた」
「マジっすか? 大変でしたね」

そんな話をしていると、突然真上から大きな音が聞こえてきた。その場にいた全員が武器を構えて上を見る。

田角と越中は階段の方に目を向ける。トキシムが降りて来る気配はない。その代わりに、コンクリートの塊がゴロゴロと転がってきた。次から次へと破片が積み重なり、階段は完全に塞がれてしまった。

「何だ、何が起きた?」

物音はまだ止まない。
耳をすませると、音が一定の方向に移動しているのが伝わってくる。彼等がいる場所から音が遠かったすぐ後、鉄が割れ、硬いものが高所から落下するような大きな音が響いてきた。床が振動するほどの衝撃。疲れた越中が学生の上に転んだ。

「すまん!」
「何ゾンビに謝ってんすか」
「まだ子供なんだ」

起き上がりながら、岸本にトキシムのことを伝えた。学生まで部下にされていると知り、岸本は驚いた。

現状を確認すべく、隊長らが最後に音がしたエリアに行こうとすると、廊下で戦っていた警官が悲鳴を上げた。田角が先に部下に駆けより、その後ろから越中らがやって来た。
何が起きたのか、聞くまでもなかった。

廊下の先、柵越しにエントランスが見えるエリア。その柵と、床の一部が大きく崩壊していた。
倒れているトキシムを避けつつ、恐るおそる崩落した通路に向かう。

「何だ、あの化け物は?」
「あれもゾンビ? あんなのが!?」
崩落した通路の下、淡いライトが照らすエントランスで、サソリのような姿の巨大な怪物が暴れ回っていた。

◇◇◇

巨大な怪物に変異した幹部、二階恭子。
他の幹部を手にかけたアダムをも圧倒し、メロと博士に狙いを定めた。

メロ達は階下の仲間達の身を守るため、戦場をエントランスに移すことにし、3Fの通路から柵を飛び越え下に降りた。2人が着地すると、大理石調の床に大きなヒビが入った。
流石に高すぎたのか、博士は痛そうに膝を抱えている。
「ちょっ、大丈夫?」
「はぁ、やっぱり無理なんてするもんじゃ……避けろっ!」

博士がメロを押し、自身も反対側に大慌てで転がった。その直後、サソリの怪物が病棟の通路を破壊しながらエントランスに降りて来た。
メロ達のように飛び降りるのではなく、垂直に壁を降りて来たらしい。

巨大な前腕が掴んだのだろう、下階の柵が、接続された床ごとへし折れ、そのまま受付に落下し潰してしまった。柵の破片でも刺さったのか、サソリの腹から血が流れ出ている。
綺麗なエントランスがめちゃくちゃだ。上階が覗けるオシャレな造りが、今ではアリの巣の断面図のようになっている。

サソリの怪物はエントランスに着くや、メロと博士に前腕を伸ばしてきた。負傷したことも気にしていない様子だ。
素早く動き回って攻撃をかわしているが、膝の痛みのせいか、博士の動きがやや遅くなっている。その隙を見逃さず、サソリは右手小指をハサミのように開き、彼の体を掴み上げた。

砂埃が舞う中、胴体を掴まれた博士がもがいている。視界が明けると、博士の首を切断しようと、右手薬指がゆっくり開いていくのが見えた。
「くそっ、放せ! 青年、青年!」
メロを呼ぶが、彼の姿が見えない。二階が散々暴れたせいで、瓦礫に埋もれてしまったのか。

「その姿、あなたも頭に入れたのね、司令塔を」
自分の脊椎に寝転がったまま二階が話しかける。博士の返事はない。ハサミの力が思いの外強く、変異した博士でも逃れられずにいた。

「ねぇ、話してるんだけど」
「こっちはそれどころじゃねぇんだよ!」
「あら可哀想。とっとと楽にしてあげなくちゃ」
開かれた薬指のハサミが、博士の首を狙って勢いよく閉じようとする。しかし、そのタイミングで、

《Ray!GIGA・BITE!》

右腕の上に紺のフードを被ったメロが登場、右手の鋭い槍を外殻の隙間に突き刺し、電流を流し込んだ。不意打ちを食らってサソリが叫び、小指のハサミが開かれた。
床に落下した博士にメロが駆け寄った。
「心配したぞ、何処にもいねぇから! まぁ、助かったよ」
「良いってこと」
メロが手を貸して博士を立たせた。
あの状況、メロが助けに入らなければ博士の首は切断されていた。怪物になってもなお手汗が出ることに、博士は思わず笑ってしまった。

「痛い」

尾先の二階が、脊椎に吊り下げられた状態で2人を見下ろしている。その肌には、変異前に出現した緑の発光体が浮き上がっている。
「痛い痛い痛い! ほら、あの子を殺さないと、私達死んじゃうわよぉっ!」
二階の声に合わせてサソリが咆哮した。変声機を通したような、高い耳障りな鳴き声だ。

サソリはすかさずメロに手を伸ばす。姿を消して攻撃を回避するが、何故かサソリはメロの居場所を見極め、彼を潰そうと手のひらを何度も床に叩きつける。
彼女の群体特有の、身体能力を格段に引き上げる作用が関係しているのだろう。音や臭い、空気の揺れを敏感に察知してメロの位置を特定する。

加えて、死への恐怖という信号を宿主から受け取ったことで、命を脅かす存在を排除しようと躍起になっている。暴走するそのさまはB級トキシムに通ずるものがある。

「ほらほら、早く潰さないと、また痛い目に遭うわよ?」
「こいつ、まだ群体を脅してる!」
小さな生命体すらも恐怖で支配せんとする二階に怒りを燃やすメロ。きっとその怒りは、オリジナルの思いが反映されたものなのだろう。

姿を消しても逃げた先を読まれてしまい、とうとう巨大な左手の拳がメロに直撃した。転倒したメロを両手のハサミが捕らえ、磔にされたような体勢になった。

「真中君もそれなりに良い恐怖を与えてくれたけど、あなたもなかなか刺激的だったわ」
尾先の二階が鋭く尖った足を構えた。彼女自らトドメを刺すつもりだ。博士が二階に向けて網を放つが、サソリに足蹴にされて攻撃を外してしまった。

メロの胸目掛けて、二階の太い針が迫る。だが、その直前で彼女は動きを止めた。更にメロを束縛するハサミも開いてしまった。
「何? 何なの?」
二階が脊椎を捻って上を見る。そんな彼女の腹部目掛けて、破裂音と共に弾丸が飛ぶ。

一部倒壊した2Fから、ライフルを持った越中隊長が発砲したのだ。その横には田角氏、彼等の背後にも他の隊員らがしゃがんで待機している。

「そいつなら、実弾でも文句は無いな?」
岸本隊員から授かったライフルで尾先を狙い撃つ。サソリは彼等を脅威と判断したのか、人間達に向き直って威嚇した。
「待ちなさい、あんな猿いつでも殺せるわ! まずあっち! あっちを殺すの!」

サソリは二階の指示を聞かない。
肉体を大幅に変化させるほどの死への恐怖。二階の望み通り、群体の力を最大限に引き出せたわけだが、生物としての本能が暴走し、宿主の信号が届かなくなってしまった。
サソリは受付の方に突進し、壁を破壊し始めた。足場を崩すつもりなのだろう。「まずい、みんな、そこから離れて!」

《BITE!Fungus!Under control……》

叫びながらメロが腕輪を操作、青紫の忍者の鎧を纏った。
両手に粒子を集めてサソリに拳を打ち込むが、敵を鎮めるまでには至らない。

暴走するサソリがメロの方を向き直って攻撃してきた。注意を逸らしたものの、敵を止めるための有効打がない。この巨体を無力化するのに充分な力を発揮できない。それならばと、ジャンプして二階本人に拳を打ち込もうとしたが、その前に左手の鋏がメロを払い、封鎖された正門に叩きつけた。

命令に従ったわけではないが、一応ターゲットがメロに戻ったことで、二階も少し落ち着いたらしい。ぶら下りながら肩で息をしている。
「今度こそ、確実に仕留めてあげる」
「くっ、どうすれば……」

このタイミングで、メロはあることに気づいた。

風が強く吹いている。アダムが開けた穴からだろうと目を向ける。
防衛システムによって下ろされた格子の破片が、ガラス片の上に散らばっている。博士もそれに気づいて固まった。博士の側から見ると、千切れた鉄格子がカーテンの如く押し広げられている。
誰かがそこから屋内に入り込んだかのような痕跡。

「あなた、よくよそ見なんて出来るわね!」
視線を逸らしたメロに細長いハサミが向かう。が、攻撃は中断され、突然サソリの手や体から血が噴き出した。
怪物から解放されたメロだったが、そんな彼を急にノイズが襲った。
言葉ではない。誰かの口笛のような、不思議なノイズ。

「何? 何が起きているの?」
何処から攻撃を受けたのかもわからない。サソリがメロから距離をとって、研ぎ澄まされた五感で敵の正体を探っていると、

「来てやったぞ」

メロの正面から男の声。聞き覚えのある声だ。
続いて、まるで手品のように、声の主が彼の前に姿を現した。メロに背を向けて立つ、エイの装甲を纏う悪魔。
「お前は!」
驚くメロと博士を無視し、変異した神楽義政が真っ赤な単眼で二階を睨みつけていた。

【2】


瓦礫の上で、埃まみれになったアダムが仁王立ちしている。肌には幾つもの赤い線が走る。擦り傷が塞がった痕だ。

変異した二階の力は想像以上のものだった。
笠原院長やネストに触発されて、自分の体を使って実験を進めていたのだろう。
二階は巨大な怪物に姿を変えた後、“最後の実験”が成功したと言っていた。
彼女の言う実験とは、死への恐怖を味わうこと。

アダムが特殊な経緯を経て今の力を得たことは彼女も知っている。自分の司令塔や群体よりも強い存在が、武器を首元に突きつける。アダムに言わせれば、その程度で恐怖を覚えるような女性ではないのだが、体に宿った小さなしもべを煽るには充分だ。

また、何の確証も無しに賭けに出るような真似もしないだろう。
今回の騒動を企てる前にもあの力を引き出した経験があるはず。あり得るのは、自分の患者をB級に堕として襲わせた。信号を受け付けず、主人にすら牙を向く彼等なら、死への恐怖も引き出してくれる。

「あの女、ただでは済まさない」
服についた埃をはらい、随分と広くなった廊下を睨みつける。エントランス辺りから二階の笑い声や何かが砕けるような音が絶え間無く聞こえてくる。
巨大な怪物を相手に、超獣と桐野が戦っている。

激しい轟音を背に、アダムは部屋の奥を見やった。
サソリの怪物に投げ飛ばされた先は病室の壁。ぶつかった衝撃で自分の上に落ちてくる瓦礫を掻き分けて立ち上がると、そこが1人用の小さな個室だとわかった。驚くべきことに、窓際に設置されたベッドには患者が寝かされている。

和泉文香。

二階が餌として利用した少女が、仰向けで横たわっている。コンクリート片はベッドの上にも散乱し、彼女の頬にも傷がついていた。首に手を当てると、まだ脈があることがわかる。命に別状はないようだ。
彼女を連れ帰ることもここに来た目的のひとつ。笠原院長も“娘”の帰還を喜ぶだろう。

だが、その前にやることがある。
二階の司令塔を奪い、彼女を葬る。超獣に邪魔はさせない。

文香はしばらくここに寝かせておく。新世界を生きる価値のある命。愚かなケダモノの争いに巻き込まれて死亡することなどあってはならない。戦場から離れたこの場所ならまだ安全だ。部屋の外からはトキシムの声が聞こえない。二階に踏み潰されたか。

エントランスを睨みつけてアダムが駆け出した。既に右手は腕輪のダイヤルに触れている。半壊した通路から、エントランスに飛び降りようとした時、あるものが視界に入り、アダムは思わず足を止めた。

「何故だ、何故なんだ!?」

ショックを受けたアダムがその場に崩れ落ちた。両膝をつき、階下を見つめる彼の目は血走り、大きく開かれていた。

◇◇◇

二階の前に現れた悪魔。潜入する前に戦い、無力化したはずの神楽が、変異した姿でそこに立っている。

「そんな、倒したはずなのに」
メロは間違いなく神楽を無力化したはず。洗脳が解けた田角ら警察隊がその証拠だ。何故まだ力を行使出来るのだろう。

メロと博士が唖然としていると、悪魔が胸を押さえて苦しみだし、その場に跪いた。みるみるうちに人間の姿に戻ってしまう。やはり力はほとんど残っていないらしい……そう思われたのだが、

「何だそいつは!」

博士が神楽を指差して叫んだ。肩で息をしながら、神楽はゆっくり起き上がり、メロに向き直った。

あまりの奇怪さに悲鳴すら上がらない。
神楽の胸に、巨大な茶色い固形物がくっついている。その下から黄ばんだ液体が流れ、下のワイシャツを汚い色に染めている。
茶色い物体は蜂の巣そっくりだが、所々窪みがあり、人の顔のように見えた。目尻の垂れた、老人のようなでこぼこの顔。

“私の家族が世話になったな”

しゃがれた男性の声が目の前から聞こえる。神楽の口と連動して、蜂の巣の下部、一際大きな窪みも開閉している。男性の声はこの窪みから響いていた。

「その声、笠原院長なのか?」
神楽の首が博士の方を向いた。瞳が白濁し、通常のトキシムのように変化している。
“懐かしい顔だな”
博士に話しかけているのだが、蜂の巣はメロを睨んだまま。異様な光景だった。
“力を使った代償だ”

神楽の胸に貼り付いた、顔のある蜂の巣。
これこそが、笠原唐十郎の現在の姿だった。

ネストという特殊な性質の個体は、黒い虫を操って擬似的な空気感染を可能にする。しかし、その虫は宿主の肉体から作り出されるため、虫を作れば作るほど、宿主の体は崩れていく。

実験も兼ねて虫を生み出し続けた笠原院長がその代償に気づいた頃には、肉体の欠損により自ら移動することが出来なくなっていた。

司令塔を移植した幹部は固有の特性に目覚めて肉体を変異させた。彼等と同じように、笠原院長も変異を始めた。宿主を死なせまいとするネストの作用だったのだろう。
残された胸から上の部位は蜂の巣状に変化した。胸の断面から覗くのは肺だったもの。六角形の集まったハニカム構造の物質に、黒い虫が格納されている。

命を繋ぎ止めるべく、黒い虫を人間に寄生させた。
操り人形となった男は院長のもとに呼び寄せられ、命令通りに院長の顔面を引き剥がし、己の胸に押し付けた。その直後、残された蜂の巣から黒い虫が飛び立ち、男の胸と院長の顔面を接続した。

院長の眉間を寝床に決めたネストは、別の人間に宿主を取り憑かせる能力を身につけた。新たな子供達を作り出すために。

しばらくはその男性に寄生していたのだが、新しい体も限界を迎えたため、院長は神楽を次の器に選んだ。

アダムが開発した腕輪、Snatcherに僅かに残っていた群体を利用して変異。
二階との戦いに備え、無駄に虫を作ることは避けたい。外にいた特殊部隊や警察官達を操ることはせず、黒い虫に鉄格子を食い破らせて侵入。ガラスの上に散らばった格子の欠片は、虫が噛みちぎった残りかすだったのだ。

病院への侵入には成功したが、Snatcherに残された群体も消費してしまい、この通り変異も解けてしまった。

神楽の首が今度はメロの方を向く。院長は何かを察したのか、胸の顔を融合炉に近づけた。
「な、何?」
“そうだったな。お前の中に……”
笠原が何かを言い終える前に、メロが彼の両腕を掴んで左に転がった。そのすぐ後、笠原が立っていた場所をサソリの大きな手が押し潰した。

融合炉と蜂の巣が近づいた瞬間、あの不思議なノイズがメロの頭に流れ込んできた。笠原が出していた信号だったようだ。

「待ってたわよ院長!」
ノイズに気を取られている場合ではない。
攻撃は止まず、今度は尾先の二階自身が足を突き出して笠原に迫る。しかしその攻撃も、メロが立ち上がって両手で押さえ込んだ。
「邪魔しないで! とっておきの獲物なんだから!」
二階が口角を引き上げて笑っている。皮膚を無理矢理引っ張っているかのような笑みだ。
なかなか姿を見せない笠原唐十郎本人が、遂に目の前に現れた。二階にとっては最も大きな派閥を消し去る絶好の機会だ。

その一方、笠原院長は混乱している。
超獣の存在は既に知っている。群体を己の力に変換出来ることも、和泉文香を無力化したことも……実の娘、レイラの力を取り込んだともアダムから聞いた。
笠原とその眷属にとって超獣は敵。それは相手も同じはず。だからこそ、笠原のことを身を挺して守ったメロの意図がわからずにいた。

「邪魔するなって言ってるんだよ!」

二階の口調が荒々しくなる。これが彼女の本性なのだろう。
サソリがメロをターゲットと捉え、指を槍のように突き刺そうとする。そこへ博士が糸を放って気を引くと、今度は博士目掛けて右手を伸ばす。サソリ側の性質がB級のそれと大差ないことがわかると、行動も制限しやすくなる。

サソリは笠原を狙わず、笠原にトドメを刺そうとする二階自身もメロに押さえられて動けない。かなり苛ついているのか、自由のきくもう一方の足でメロの体を何度も蹴り付ける。

「放しな! こんな老ぼれ守って、アンタに何の徳があるのさ!」
返答の代わりにメロは粒子を集め、二階の針を押さえる手に力を込めた。本体にはかなり効いたようで、二階は悲痛な叫びをあげた。それを合図にサソリが左手を振るい、メロはガラス張りの壁に叩きつけられた。
サソリはそのままメロを何度も殴り続ける。ガラスが割れ、鉄格子がへこむまで。後方から銃弾を撃ち込まれても気にしていない様子だ。

“何故だ”

蜂の巣から声が。誰に問いかけるでもない、笠原の独り言だ。
“何故私を助けた?”
メロは相手の攻撃をかわすのに精一杯。体勢を立て直して大きな拳を回避する。
博士もサソリの注意を引こうと必死だが、粒子を使った攻撃が余程許せなかったのか、メロがターゲットから外れない。幻影を作ってもサソリが大きな手を振って簡単に掻き消してしまう。
閉じたハサミがメロに向かうと、両手でそれを受け止める。鎧には無数の傷、その隙間からは血が流れている。

笠原が再び言葉を発した。今度は神楽の頭をメロに向け、彼に問いかけている。
“オリジナル司令塔の意思なのか? それとも、レイラの……”
「もう沢山だ」
サソリの指を押さえたまま、遂にメロが口を開いた。全身に力を込めているのだろう、声が震えている。

「誰かが傷つけ合ったり、殺そうとしたり。もう沢山だ!」

大声をあげて、渾身の力でサソリの指を跳ね除ける。その勢いでサソリの右手が高く上がった。
その間にメロは笠原の方に顔を向けた。マスクの下で輝く橙色の瞳を、笠原は上体を起こして胸の顔で見据える。
「少なくとも、俺の前では誰も死なせない。これは俺の、俺自身の意思だ」
“誰も、死なせない……”

サソリが再び右腕を振り下ろそうとしたが、博士がありったけの網を射出して強引に地面に縛りつけた。肘を捻った形で固定された右腕。サソリは雄叫びをあげて無理矢理網を引きちぎろうとしている。

“甘い”
メロの意思を知って笠原がひと言。
神楽の体を操ってよろよろ立ち上がる。
“力を手にしたのがこんな青二歳とは、虫酸が走る”
「何だと?」
“お前もいつか思い知る。綺麗事だけでは、何も成せないということを”
ほんの少し、声のトーンが落ちたようにメロには聞こえた。

その隙にサソリの右腕が博士の網から脱出。関節が擦れる耳障りな音を立てて、捻った肘を元に戻した。

メロ、博士、そして笠原を睨み、巨大な怪物が咆哮する。その上では、吊り下げられた二階が怒りに顔を歪めている。体表の発光体もより一層輝きを増していた。
「お喋りだなんて舐められたもんだねぇ! 仲良くバラバラに解体してやるよ!」
サソリも二階も身構えており、攻撃の準備を整えている。

“超獣。お前はその粒子を操って、相手に干渉出来るようだな”
青紫の鎧を纏った彼の戦いを見て、笠原はその能力を理解した。粒子を武器として使える他、幻覚作用まで引き起こすことも。
そして、立ちはだかる巨大な怪物相手では、その特殊な力を存分に発揮出来ないことも同時に察した。

「そいつは、あんたの娘が託した力だ。実の娘がな」

博士の言葉に、笠原は掠れ声で小さく叫んだ。レイラの件についてはアダムから聞かされていたが、その能力までは知らなかった。
橙色の瞳に惹きつけられる。しかし、今は二階を止めるのが先だ。笠原が気を引き締めると、蜂の巣の代わりに神楽が目を強く瞑った。

“粒子を放出しろ”
「え?」
“お前のような青二歳に、麗蘭の力は勿体無い。その力、私が最大限引き出してやろう”
「何をする気?」
“案ずるな。麗蘭の、いや、今はお前の意思を、あの化け物に送るだけだ”
言いながら、笠原は黒い虫を生成して体外に解き放った。蜂の巣に空いた、口を模した窪みから、次々に虫が飛び立つ。

敵の首領の力を借りるなどお断りだ、という気持ちもあったが、この時のメロは素直に笠原の言葉に応じた。ノイズによる洗脳でも、オリジナルの反応でもない。紛れもなくメロ本人の意思だった。博士も不安気だったが、ここはメロの意思を尊重した。

笠原に言われるがまま、メロが体に力を込めた。原理は左腕を隠す幻覚ガスと変わらない。腕の装甲と手首から生える棘、そして赤い指から、粒子が靄となって放出された。すると、笠原が作った虫達が靄に飛び込み、赤い粒子を摂取し始めた。

粒子を取り込むと、虫達は大きな羽音を立ててサソリの怪物に群がり、その巨体に針を突き刺す。黒い虫が装甲の隙間に入り込むと、怪物が巨体を捩らせて苦しみだした。その暴れぶりは、宿主であるはずの二階を何度も地面に叩きつけるほどだ。

「な、何をした!? 言え、笠原ぁっ!」
サソリの外殻も二階の肌も色がくすみ、朽ちたように萎んでいく。

集めた粒子を拳に込めて打ち込むだけでは、この巨体を鎮めるには不充分。攻撃の的も二階本人という小さなものとなる。黒い虫が粒子を運び、全身を刺すことで、局所的だったメロの力を分散させたのだ。
虫も粒子の作用に蝕まれるが、あくまで敵を弱らせるのが目的。針さえ刺せれば問題ない。

弱りながら、なおも立ち上がる怪物。二階も足を構え、笠原を貫こうとしている。
“やれ”
「言われなくても、そのつもりだ」
腕輪を2回押し込むと、メロが印を結んで姿を消した。
身体能力も低下したのか、今の怪物は闇雲に暴れるのみだ。尾先から二階の憤った声がこだまする。緑色に輝く目を充血させて消えた獲物を探していると、

《Fungus!GIGA・BITE!》

彼女の背後から、両手を真っ赤に輝かせたメロが飛びかかった。粒子を纏った拳が、振り返った二階の腹を穿つ。悲鳴すら上がらない。

メロが着地すると、サソリが動きを停止し、外殻に覆われた肉体がボロボロと崩れ落ちた。
脊椎が発達、成長して出来た肉体。怪物の体が粉々になり、腰から脊椎をだらりと伸ばした二階だけが残された。皮膚は剥がれて腰下を隠したまま。脊椎からは伸び切った神経がケーブルのように露出している。
こんな状態でも、彼女はまだ生きていた。

司令塔がまだ機能していれば、この惨たらしい傷も再生するはず。しかし、自らを使った実験を台無しにされ、笠原を殺すことも叶わなかった、二階のプライドは砕けたままだ。
「なんで、私がこんな目に……」
体を大きく変異させた反動なのか、二階の肌はくすみ、皺だらけになっていた。

◇◇◇

「何故だ院長? 何故超獣に手を貸した?」

戦いを半壊したデッキから見ていたアダムは怒りに身を震わせた。
笠原が、あの忌々しい超獣に手を貸した。和泉文香を救出するまでの共闘だろうが、アダムは裏切られたように感じていた。
「僕という存在がいながら、“あの虫”を超獣なんかのために……何故だぁっ!」

笠原が解き放った黒い虫は、神楽達のそれとは異なり、他の群体を取り込んで運び込む。蜂を使って異なる性質の群体を拡散出来るのだ。

神楽でも再現出来なかった能力。親玉である笠原のネストだけが作れる虫。それを応用して、勝ち残った最強の群体を広げる計画を考えていた。
「なのに、なのにぃっ!」
アダムは両膝を床につき、何度も何度も地面を殴りつけた。

「あれは」

突然、背後から声が聞こえた。
穢れ切ったこの施設に似つかわしくない、あどけなさの残る声。
気がつくと、アダムの左横に真っ白な細い足が2本。視線をあげると、青白い病衣が見え、そして……

「お兄ちゃん、それ貸して」

しゃがみ込んで目線をアダムに合わせると、和泉文香は手に持ったガラス片をアダムの首筋に近づけた。



【次回】


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