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GIGA・BITE 第10話【後編】

【前回】



【3】

鷹海市がゾンビにまつわる事件を隠蔽、新鷹海総合病院と提携してゾンビを調査。鷹海市側が得た情報を提供すると秘書が語り、彼の手から……。

レイラの言う通り、秘書は黒い虫を操る力を持つようだ。彼女の証言と照らし合わせると、この男は限りなく人間に近い兵士を作り出せる。

長らくゾンビのことを隠してきたのは、鷹海市の評判に影響するからだと市長は語ったらしい。観光都市のイメージを守るというのも嘘ではないのだろうが、これも虚偽の証言ではないかと推測される。
市民のことなどどうでも良い。理由はきっと単純なもの。自分達の争いを邪魔されたくなかったのだろう。

「ゾンビの生態を理解して、市民を巻き込まず、確実に仕留めたい。そのためにも、市が集めた情報が欲しかった。でも、アイツが出してきたのは」
「黒い虫か?」
室田隊員が静かに頷いた。
「あれは何なの? アイツは、人間なの?」
「そうだな、まず黒い虫ってのは、生体兵器みたいなもんだ」
詳細を省き、取り敢えず隊員達は虫の影響である種の洗脳状態にある、と博士が解説した。室田は映画のような話に首を傾げる。

あんたらは“ゾンビ”と戦うために派遣されたんだろうが。心の中で、博士はそんな愚痴をこぼした。

「あんたは虫が体内に入った後の記憶が無いんだろう? あの虫の影響下にあった証拠だ」
「ちょっと待って。虫が入った? か、体の中に?」
博士が言葉を止めた。室田隊員は口を開いたまま固まっている。確かに、体の中に虫が入っていたと聞いて平然としていられる方が稀だ。
「いや。その、すまん」
「いいえ、大丈夫」
一度深呼吸して、隊員は自分の心を整えた。
「なら、他の隊員の体にも、その虫が寄生してるってことね」
「そうなるな」

話を聞く準備が出来たらしい。博士は虫の作用と共に、トキシムについても軽く触れた。
ゾンビと呼ばれている存在が死者ではなく、小さな生命体に操られていると知って隊員は驚愕した。
「その生命体を無力化出来るのが、この青年が着けてる装置だ」
と、博士がメロを紹介する。メロは軽く頭を下げた。室田隊員はその左腕に興味津々だ。映像を見せるのが手っ取り早いが、わざわざタブレットを取りに病室に向かうのも面倒臭い。

そんなことを考えてふと階段に目をやると、ゆっくりとした歩調で老婆が降りてくるところだった。老婆は博士らの姿を見るなり小さな悲鳴をあげた。室田も老婆を見て驚いている。
「嘘でしょ? 民間人がいるの?」
「婆さんも操られてた。コイツの活躍で、今は自我を取り戻したんだ」
老婆はトキシム化したことを覚えていない。相手に聞かれないよう小声で伝える。
すんなりと入ってこないが、室田は取り敢えず博士の話を聞き入れることにした。

「婆さん、あんた何してんだ?」
「帰らせてもらうよ」
「えっ?」
博士とメロを睨んで老婆が続ける。
「こんな化け物だらけの病院、あたしゃ御免だよ。おかげで死にかけた」
「化け物? あなた達、やっぱりアイツらと繋がってるんじゃないの?」
「違うよ。トラブルがあったばかりで、青年と俺が解決した。そもそもグルだったらここまで話さないだろ。また虫を使って洗脳してるよ」
そんなやり取りをしているうちに、老婆はおぼつかない足取りで正門側の出口に向かっていく。

「あっ、ばあちゃん」
メロが慌てて駆け寄った。老婆は手で追い払う仕草を見せ、「来るな、化け物」とメロに言い放った。今のひと言は流石に応えたようだ、メロはその場で肩を落として固まった。
自分と同じように言葉を話し、同じようにショックを受ける。メロの人間らしい仕草を見て、室田隊員の警戒心に小さな穴が空いた。

老婆はメロ達の姿を見ず、真っ直ぐとエントランスに向かい、ドアに手をかける。
その瞬間、老婆の至近距離で何が光り、同時に小さな破裂音が鳴った。突然のことに老婆がうずくまり、メロも急いで彼女に駆け寄る。

破裂音がした場所、玄関前のアスファルトから細い煙が上がっている。煙の向こうに目をやると、メロは恐ろしい光景を目の当たりにした。
病院に向けて銃を構える黒いスーツの男達。室田隊員と同じデザイン。特殊部隊班だ。彼等の後ろには大きな盾を構えた警察隊の姿が。
メロは怖がる老婆を連れて後ずさる。他の3人も外の様子をうかがって驚いた。

「隊長? 他のメンバーも」
「くそっ、もう来やがったのか?」
ドローンが記録したメロ達の映像を見てここまで来たのだろう。それにしても、乗り込んでくるのがいささか早ずぎる気もするのだが。
「ノーラ、裏口はどうだ」
『何人か待機してる』
「ちっ、厄介なことになった」

室田隊員が説得に行こうとしたが、途中でやめた。あの虫がまだ体内にいるのなら、自分が説得しても意味がない。
受付中央、相手の射程に入らないようにしていると、外から拡声器を通した大声が聞こえてきた。

《ここにいるのだろう、超獣?》

室田に確認すると、隊長の声で間違いないという。
特殊部隊が“超獣”などという言葉を知るはずがない。単にゾンビの捜査に訪れたわけではなく、裏で手を引く者の意思に従ってここまで来たらしい。

《先程、この敷地で怪物が交戦している映像が届いた。うち2体の消失、並びに超獣とその協力者の姿を確認》

ドローンの映像が決め手になったのは間違いなさそうだ。
研究所のことは気付かれていない。最悪、床に穴を開けて老婆と隊員だけでも地下に逃がせれば。

《お前達は、この町の脅威だ。直ちに抹殺する》

「ちくしょうめ、こんな化け物病院、さっさと出て行けば……」
「婆さん、ちょっと黙ってろ」

《だが、その前に》

隊長は予想外の要求をしてきた。

《お前達が匿う、笠原麗蘭の身柄を引き渡せ》

「何だと? 何故レイラを知っている?」
博士がレイラに目を向けるが、彼女はじっと玄関側を見つめている。やや大きく見開かれた目、早くなる息遣い。レイラも動揺している。

市長の秘書はレイラのことなど知らないはずだ。彼女の名が隊長の口から飛び出し、しかも身柄を引き渡すよう伝えてきた。敵は何を考えているのだろう。
なかなか施設から出て来ないメロ達に、隊長があることを伝えた。

《あの2人と戦ったのなら、ネストのことは知っているな》

無感情、かつ抑揚の無い声で隊長が尋ねる。聞き覚えのない用語を話す仲間に、室田隊員も恐怖している。

《我々は、ネストから射出された虫を飼っている。虫は我々の脳とリンクしており、ネストの信号によっては活動を完全に停止する。こんな風に》

拡声器からの声がやんだ少し後、外で硬いものが地面に擦れるような音が聞こえた。メロ達のいる場所からでは様子が見えない。
「ノーラ、何があった? おい、ノーラ!」
少し間を置き、院内スピーカーからノーラがひと言告げた。
『……警官が1人倒れた』
「何? まさか、宿主を道連れにしたってのか?」
「嘘でしょ? それじゃあ隊長達は」
「敵の駒であると同時に、人質ってわけだ」

博士らは言葉を失った。会話の内容を知った老婆は小さく長い悲鳴をあげている。
警官が犠牲になったと知り、メロがエントランスへと駆け出した。博士が止めようと後に続く。
「待て! 危険だ!」
「でも、このままじゃ外の人達が!」
言い合いをしながら、2人はドアの前に到達。隊員達が銃口を向ける。その背後の警官達も銃を構えている。メロが銃撃を受けた時とは数が違う。回復する間もなく死亡する危険もある。
だが、説得しようにももう遅い。
メロはドアに突進して外に飛び出した。彼の手を掴んだ博士も一緒に外に出る。
すぐに銃撃が始まると思い、メロと博士は目を瞑ったが、弾が飛んでこない。

「用があるのはお前らじゃない」

隊長のものと違う、若々しい声。メロはその声に聞き覚えがあった。
2人が前方に目をやると、隊員達の前に1人の若者が降り立った。
グレーのパーカー、首まで伸びた茶髪、左側の赤いメッシュ。メロの記憶が次々に呼び起こされる。
突如現れた若者、アダムが2人を見て笑みを浮かべた。

「お前の仕業なのか?」
メロがアダムを睨んだまま尋ねる。
「青年、知り合いなのか?」
「前に戦った」
研究所のデータベースにあの若者との戦闘記録は無い。
調査機を飛ばした北東エリア。そこに崩壊した地下施設があった。メロはあそこで戦ったのだろうと博士は推測した。

「おいおい、僕を忘れたのか? 桐野」
自分の名を呼ばれたことに博士が驚く。
メロとそれほど歳の離れていない男。もちろん構成員にもこんな若者はいなかったはず……。

ここまで考えて、博士は嘗ての記憶を掘り起こした。組織に入ったばかりの頃。博士はまだ大学生だった。同時期にスカウトされた若者は他にもいる。以前地下で戦った三影もその1人で、組織の中では先を越された。
そして、同期の中に、目の前の青年と瓜二つの構成員がいたことを思い出した。
あり得ないとばかりに博士が首を横に振る。当時の姿のまま構成員が現れたのも驚きだが、そもそもその構成員は“消滅”したはずだった。

「……真中か」

真中まなか一哉かずや
レイラのチームに所属し、オリジナルの生態を研究していた。そして組織崩壊後、地下研究所に残った僅かな同志の1人でもある。
最後に彼を見たのは、トキシムが施設に入り込んだ時。彼等に立ち向かうべく、融合炉で培養した特別な群体をその身に宿して怪物達に突撃。そのまま、彼の消息は途絶えた。
「本物かって言いたげだな」
アダムがニヤリと笑う。

雨の降りしきるあの日。
群体の拒絶反応に苦しみながらも、どうにかトキシムを追い払った真中。彼等と戦うのに夢中で、自分が何処にいるのかもわからない。
疲れ果ててその場に倒れると、彼の体に異変が起きた。
戦闘で負った傷が癒え、体組織が若返っていったのだ。まだ組織に入ったばかりの、理想郷を夢見ていた頃の姿まで。

「あの群体を取り込んだ影響だろうな。幹部を皆殺しにし、真の理想郷を実現するための、僕達の希望」
メロを睨んだまま、アダムは話を続ける。
「この姿。これはきっと僕の使命。組織を再編し、新たな世界を創り出すために与えられたものだ」
使命という言葉に囚われた嘗ての同志。
自分と変わらない。博士も完全に司令塔と適合したことから、妙な使命感を抱いていた。復讐心を隠すためのものだったのかもしれないが。

「映像を見せてもらった。ここにいるんだろう、レイラが」
レイラのことを隊長、或いはその人形使いに教えたのはこの男だったようだ。
嘗ての同志との再会。しかし、喜べる雰囲気ではない。
「大人しく彼女を渡せ。そうすれば、楽に殺してやる」
「おいおい、俺がいつお前の恨みを買ったんだ? 殺される理由なんて無いと思うが」
「来たる新世界にお前は要らない。お前も、そのケダモノも」
睨み合う3人。アダムの後ろでは隊長らが瞳を赤く輝かせて待機している。

「お前達の背後に誰がいる?」
「こちらの要求に応えろ。……次はどいつが死ぬかな?」
「死なねぇよ」
メロが言い放った。右手は既に腕輪に乗せられている。
「誰も死なせない。俺も、博士も、みんなも」
「お前の意見なんて聞いてないんだよ!」

《Centipede, crafted》

アダムが赤い蛇腹剣を精製し、鞭のようにしならせ威嚇してきた。
武器を作る際に使用した金の腕輪。消滅したトキシムのものと同じだ。この男もまた、姿を見せない敵に魂を売ってしまった。博士は覚悟を決める。同志と拳を交える覚悟を。

「僕は認めない。お前みたいなケダモノに、救える命なんて無い」
アダムが指を鳴らすと、その後ろで警官がまた1人、崩れるように倒れた。屋内から聞いたのは、倒れる際に装備が地面に擦れる音だった。
「何するんだ!」
「止めてみろよ、その力で。僕が指示を出す前に」
超獣システムについては予習済み。闘技場で戦う前からメロのことは監視していた。トキシムを無力化する【GIGA・BITE】の持続時間も知っている。

高速移動なら全員を助けられるか。いや、アダムのことだ。一度に全員殺すことも厭わないだろう。
考え込むメロと博士を見てアダムが高らかに笑った。
「ほら見たことか! 世界を救うのはこんなケダモノじゃない。済まないな桐野。君が造ったものは超獣なんかじゃない。ただの失敗作だ」
博士は黙って聞いている。拳を強く握りしめて。
「僕こそが救世主なんだ。理想郷を実現し、ヒトを超えた者として、新たな世界を管理する存在なんだよ」

アダムが左手を挙げると、隊員達が2人に銃口を向け、一斉に銃弾を放つ。アダムは獲物を見つめたまま後退した。
鋭い痛みがメロと博士を襲う。博士は姿を変えて網を張ろうとするが、銃撃の激しさに手が出せない。メロも弾丸の雨に悶え苦しみ、腕輪から手を離してしまった。
激痛のあまり膝をつく。それでも彼等は互いを守るのに必死だった。メロは博士だけでなく、オリジナルも守ろうとしている。

“土の匂い、草の匂い…”
“この匂いを嗅ぐと、「命」を感じる。取り囲むもの全てが「生きている」と感じられる”

こんなときに、叔母の言葉を思い出す。
全てが生きている。融合炉の中にも命がある。自分と同じように、仲間を助けようとしている小さな命が。

これだけの攻撃を浴びれば、回復が間に合わず死に至る。アダムは瀕死の2人を見てほくそ笑むが、あることに気づいて目を見開いた。
「やめろ!」
思わず銃撃をやめさせた。

攻撃が収まり、メロと博士が血だらけでその場に倒れ込む。意識は失っておらず、体は再生を始める。
朦朧とした目で正面の敵を睨む2人の頭上を、無数の粒子が飛んでいく。粒子は彼等の前で集合し、人間の形を構成する。
その姿を見て、アダムが思わず声を漏らした。

白衣を着た女性がゆっくりと目を開ける。
「あーあ、見てられない」
「レイラ……本当に、レイラなんだね」
部下をかき分け、アダムが彼女の前に躍り出る。
若かりし頃の姿に戻った同志を、レイラは黙って見つめていた。

【4】

戦場に現れたレイラは、腕を組んで敵の総大将をじっと見つめる。隠してはいるが、右手からは相変わらず粒子が砂のように地面に落ちていく。
「随分若返ったわね、一哉君。羨ましいくらい」
「あぁ、無事で良かった。いや、君も生まれ変わったんだね」
「要件は何」
再会を喜ぶアダムをレイラが冷たく突き放す。
その後ろで、メロと変異した博士の自己修復は続く。しかし傷は深く、立ち上がることすら叶わない。
「そんなに邪険にしないでくれよ。君と僕の間柄だろ?」

この2人は、旧組織の同じチームに所属、あの生命体の研究を進めていた科学者。そして、最初の被験者に群体を投与する、秘密の実験を行った。

実の父親を実験台にする。その重みに1人で耐え切れる自信が無く、レイラは当時最も信頼を置いていた研究者、真中一哉に協力を要請した。同じチームで最も優れた技能を持ち、件の生命体について自身と同等の知識を持つ彼に。

「長い間、僕はずっとこの町を守り続けてきた」
「守る、だぁ? こ、これのどこが……」
「お前は黙っていろ」
力を振り絞って声を発した博士をアダムが制した。
2人は組織崩壊前から度々ぶつかり合っていた。しかし、ぶつかりつつも、研究者として互いを認め合っていた。今とは大きく異なる。

アダムはレイラに視線を戻すと微笑んでみせた。柔らかな笑みと血走った眼が噛み合わず、その表情は不気味に映った。
「時間が勿体無い。一緒に行こう」
青白い手をレイラに差し出す。レイラは腕を組んだまま微動だにしない。
「君が必要だ。理想郷実現のために。共に手を取り、この町から始めよう。新たな世界の創造を」

レイラはやはり応えない。
素直に従わないだろうということは、アダムも想定済みだった。
同じ研究者の中でも深く通じ合った仲だと自負している。それ故に、彼女の気持ちも手に取るようにわかる。計画に興味を示さないだろうということも。
同時に、何に興味を示すかも理解している。

「お父さんにも、会いたいだろう?」

初めてレイラが目を見開いた。
アダムの予想通り。彼女が食いついた。
興味を示したのはレイラの後方でうずくまる2人も同じだった。
「父は生きているの?」
「ああ。お父さんは壊れてしまったんじゃない。群体と正しく通じ合い、理想郷実現のために自ら動いていたんだ」
父親が失踪した真実が語られる。

体内の群体に、自身を通じて世界を見せてきた笠原院長。
「知りたい」という意思に応えた上で、今度は彼自身の世界観を群体に学ばせた。今の世界は不完全なもの。不毛な争いを取り除き、恒久的平和を実現して初めて世界は完成する、と。
当時のオリジナル同様に純粋な群体は、笠原院長の意思の信号に影響されて“更なる変異”を遂げた。その力を用いて、院長は鷹海市から世界を変えようと種を蒔き始めたという。

詳しい経緯は話さなかったが、真中一哉は“アダム”となった後、院長と合流して彼に協力してきた。
「幹部らは司令塔の力を間違った方向に使ったが、君のお父さんは違う。その身に起きた奇跡を知る僕も、そして君も」
「黒い、虫」
博士がアダムに問いかける。まだ回復途中で、声を発すると胴体から血が流れ出す。
「あの虫も、院長が作ったってのか?」
「正確には院長と群体が、ね。空気感染出来ない生き物が、複製した個体を運ぶために進化し、ようやく身につけた力だ」

レイラを連れ帰り、病院に残る連中は皆殺しにする手筈になっている。だからこそ、アダムは堂々と種明かしをしたのだろう。

「院長はあの個体を、お母様と呼ばせている」
「何?」
「変異したとは言え、院長もヒトとして生を受けた者。院長自身ではなく、あくまでこの世界の支配権は、あの個体が握るべきと考えているのさ」
「あんな……あんな生き物が、世界を? ふ、ふざけるな。ただの、ボケ老人じゃねぇか!」

右手に渾身の力を込め、網をアダムに向けて放つ。アダムはそれを軽々とかわし、すかさず剣の刃を博士に伸ばして、彼の右腕と背中に生えた蜘蛛の脚を貫いた。塞がった傷が開き、赤黒い血が凄まじい勢いで噴き出す。射出した網は後ろの隊員に被さったが、隊員は微動だにしない。
痛みに耐えながら、博士は貫通する刃を握り、自力で引き抜こうとする。その前に、アダムが剣を縮めて強引に引き抜いた。その場に倒れ込んだ博士は、なおも嘗ての同志に呼びかける。

「おま、お前は、それで、良いのか?」
声がしゃがれて、途切れ途切れになる。
少し考えてから、アダムはその質問に答えた。
「僕の意思は変わらない。新たな世界を作り、人間の定義を書き換える」
一瞬、アダムの瞳が銀色に輝いた。

人間を超えるのは、あんな小さな生き物じゃない。新世界の管理者になるのは……。

アダムは途中で考えを止めた。今優先すべきはレイラを連れ帰ること。
充血した目で再び彼女を見つめ、手を差し出した。
「さぁ、レイラ。君の姿を見れば、お父さんも喜ぶはずだ」
「父が……」
「君も幹部や桐野と違う、特別な力に目覚めたんだろう? 僕と同じだ。力を正しく使える僕らに与えられた使命なんだ。さぁ」
アダムが笑みを浮かべ、手を目一杯広げる。

レイラは軽く息を吐くと、アダムに一歩、また一歩と近づく。
「おばさん、駄目だ!」
メロが呼びかけると、隊員の1人が彼に向けて発泡した。弾はメロに当たらず、アスファルトを砕いた。
その傍ら、あどけない笑顔を見せるアダムの眼前まで歩み寄り、レイラはその両手で、彼の頬に手を触れた。その瞬間、アダムは悲痛な叫びをあげた。

レイラの手から蒸気が上がっている。後ろの兵士達は無感情のまま、メロ達に銃口を向けて固まっている。
あまりの苦しみに青年が後退する。彼の頬は赤く焼け爛れていた。
「こんな体じゃ、父には会えないわね」
「な、なぜ、こんな……」
皮膚の痛みが酷く、上手く喋れない。

アダムが苦しんでいる間に、レイラはメロに歩み寄った。メロも力を振り絞ってどうにか立ち上がる。

「坊やも気づいてるんでしょ」

メロに見せた右手から、今なお砂のように粒子が流れ落ちる。浮き上がることもなく、光を失って地面の上で消えてしまう。
レイラが完全に力を取り戻す決め手となったのは、オリジナルが防衛本能から生成した液体に触れたこと。敵の信号に侵された群体を焼き尽くす程の力に。

レイラが特殊な個体に変異したのは、当時のオリジナルと「知りたい」という意思で通じ合ったから。純粋で、戦うには弱すぎる意思。そんな弱い個体が突然力を得た。力の大きさも測れず、トキシムの命を奪い、そして今、自らを蝕んでいる。

「意思の弱い者が大きな力を得ても、いずれは己自身を殺すことになる」
右手は肘あたりまで消えかかっている。メロの瞳を強く見つめて、レイラはある言葉を贈った。

「自分に誇りを持ちなさい、坊や。あなたの意思は強い。だからあなたは、彼等を殺さず無力化出来たのよ」

誰かを助けたいという強い意思。それがあるからこそ、大きな力を制御し、人々を幹部の支配から救ってきた。陰ながら超獣としての活躍を見ていたレイラの言葉が、メロの胸に強く響いた。

「違うっ! 目を覚ませレイラ! そのケダモノは失敗作だぁっ!」
錯乱するアダムにレイラは見向きもしない。
「融合炉を借りるわね。このまま腐る前に、あなたに力を託す」
「融合炉? そうか、それならもう一度……」
オリジナルの作用で肉体を再構成出来る。
メロの考えを読み取ったかのように、レイラは静かに首を横に振った。

「今、この体を構成する粒子は死にかけなの。次はきっと、オリジナルの意思に上書きされる」
「そんな、それじゃあ」
「私は自分の命を無駄にしたくない」
うつ伏せに倒れたまま、博士は首だけを少し上げ、レイラを見つめている。
このまま彼女の頼みを断っても、レイラは消滅する。右腕だけでなく、足も消え始めている。

「あなたが覚えていてくれればいい。私の意思を」

レイラの言葉を聞き、メロは覚悟を決めた。両手で頬を叩いて気を強く持った。
「最後にいいこと教えてあげる」
「何?」
「私ね、本当は、飛行機のパイロットになりたかったの」
短い沈黙。
「え、それだけ?」
「へっ……何だそりゃ」
メロと博士の素っ頓狂な声に、レイラが初めて自然な笑みを見せた。

「お別れなんて、これぐらい軽い方が良いのよ」
上半身だけになったレイラが振り向いてアダムを睨みつける。次の瞬間、彼女の体は光の粒子となって分散し、メロの融合炉に流れ込んだ。痺れるような痛みを感じるが、メロはその痛みに耐え、力強く地面を踏み締めた。
対角線上で、アダムが膝をついて発狂している。そんな大将に兵士達は見向きもしない。

取り込んだ粒子を力に変え、左手首の腕輪に橙色の光が灯る。メロは力強く腕輪を押し込んだ。

光が全身を包み込み、左手でそれを払うと、笠を被った戦士が姿を見せた。
青紫色の装甲が太陽の光を吸収する。笠の下、目元から嘴にかけて朱色に染まったマスク。
首には細かな繊維が集まったマフラー、両手首には赤く太い棘。指も赤く染まっている。腰はマフラー同様、繊維で構成された帯に覆われている。
その姿はまるで忍者のよう。

《BITE!Fungus!……アンダーコントロール》

いつもの機械音声に、レイラの声が混じる。
変異したメロは前方のアダムらを橙色の瞳で睨むと、瞬時にその場から姿を消した。博士とアダムが周囲を見回していると、今度は博士らに背を向けた状態で、メロが警察隊の後ろに出現した。同時に、特殊部隊班と警官らがバタバタとその場に倒れ、彼等の耳や口から黒い虫が這い出てきた。

「まさか、一瞬で無力化したのか?」

姿を消したのは幻覚作用によるもの。左腕を隠していたガスを利用したのだ。
気づかれずに相手に近づき、両手に粒子を集めて洗脳された兵士達に触れた。触れただけで体内の虫を無力化した。あの2体のトキシムに、レイラが本当にしたかった処置を、彼女の意思を受け取ったメロが実現してみせた。

気絶した隊員達。その向こう、体を怒りに震わせ、たった1人になったアダムが立ち上がる。メロを睨む目は怒りに歪んでいる。
「またひとつ、僕から奪ったな……お前だけは、絶対に認めない!」
左手を上にあげ、金の腕輪を見せつける。側面にはダイヤル型のボタンがあり、慣れた手つきでそれを回す。左に2、右に8。力強くボタンを押す。

《PRIZON・BREAK!》

アダムが天に向かって吠えると、その体が赤黒い霧に包まれ、灰色の戦士に姿を変えた。骨格のように見える鎧を身に纏い、目元には赤いバイザー。その奥から瞳の無い2つの眼がメロの姿を捉えている。色味も相まって猿のように見える。
口には手の意匠を盛り込んだガスマスク。両手で口を押さえたような形だ。
格子状の腕輪は、金の装飾が消え、黒の下地に白い猿の顔がホログラムのように浮かび上がっている。

《Scorpion, crafted》

変異した直後、蓄積した群体と、周囲の地面を反応させて緑色の大きな弓を作り出した。巨大な刃を合わせたような武器。
アダムは弓をブーメランの如く乱暴に振り回してメロに迫る。闘技場の頃の冷静さは感じられない。
「その力も、レイラも! 僕が手にするはずだった! お前が全部奪ったんだ! 返せ、返せカエセェッ!」
「力があっても、お前は誰も救えない」
アダムに言われた言葉を、今度はメロが返した。

「奪わせはしない。超獣システムも、あの人の思いも!」
緑色に輝く刃をかわし、両手で印を結ぶと、メロの幻影が何体も現れ、アダムを取り囲むように並んだ。
幻影が1人ずつ素早くアダムに突進。弓を振って攻撃すると、幻影が破裂して霧となり、アダムの視界を奪う。弓で霧を薙ぎ払うも、メロが見当たらない。武器を持ち替えることもせず、怒りのままに雄叫びを上げる。
……自分の背後にメロがいることにも気づかぬまま。
メロが腕輪を2回押し込んだ。

《Fungus!……ギガ・バイト》

粒子が集まり、棘と拳が紅く輝く。自分の思いとレイラの意思をその手に込め、振り返ったアダムの腹に拳を突き出した。至近距離で繰り出された攻撃を避けきれず、アダムの体が宙を舞い、敷地を囲う鉄の壁に直撃。強攻撃と粒子の作用で鎧が強制的に解除され、アダムは人間の姿に戻った。
捨て台詞を吐く余力も無い。アダムはメロと博士を睨みつけ、1人その場から退散した。

戦いを終え、少しの間その場に立ち尽くす。深呼吸をして、メロはようやく腕輪を操作し元の姿に戻った。この姿を解いたら、レイラの意思が完全に消えてしまう。そんな気がした。
だが、

“あなたが覚えていてくれればいい”

レイラの言葉を思い出した。
「わかったよ、おばさん」

◇◇◇

鷹海庁舎。

ドローンの映像を見ていた神楽が、発狂して手に持っていたノートPCを投げ捨てた。三橋市長はデスクの下に隠れて震えている。

あのアダムが敗北した。強力な変異体を超獣に奪われ、おまけに自分が教育した兵士を全て無力化された。想定外の事態に怒りが収まらない。

「あの……」
恐るおそる、市長がデスクの下から目元だけのぞかせる。
「猿が口を出すな!」
神楽の赤茶色の瞳を見て情けない悲鳴をあげ、再び隠れ家に戻った。
それとほぼ同時に、神楽のスマートフォンからクラシック調の着信音。相手は“お母様”だ。

「何でしょう」
いつもなら明るく電話に出るが、怒りでそれどころではない。
作戦失敗によるお叱りか。そう思っていたが、相手の要件は別にあった。

『病院に兵を送れ』
「は? どういうことです?」
病院には既に兵士を送り込んだし、計画は大失敗。神楽がその旨を伝えようとすると、

『彼女が目を覚ました』
「何ですって?」
『私も向かう。……奴が裏切った』
そこで通話は終了した。

“彼女”が目を覚ました。そのひと言で、主人が何を訴えているのか理解した。
新しい兵隊が必要だ。
今すぐ、出動可能な残りの警察官を集めれば、頼りないがそれなりの戦力にはなる。自分も加わればどうにかなるだろう。

神楽が爪を噛み、投げ捨てたPCを見つめる。
“お母様”が到着するまでに、進軍の準備をしなければ。

次なる戦場は……新鷹海総合病院。



【次回】


【第10話怪人イメージ】


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