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永遠の思春期がネット社会で息をするために

僕は多感だ。多感な年頃とはよく言うが、20代後半に差し掛かっても多感のままだ。

いまだに、夏が来る頃と夏の終わりに思春期が来ちゃう。

しっかりと感情の階段を登ってきたおとなたちにはバカにされるかもしれない。青くさいから。でも、僕はこの永遠と思えるほどに長い思春期のおかげで、創作ができる。幸せだ。

問題はだ。この社会は、多感なおとな少年にはたいへんなのだ。これからする話は、この時代になにかを創作する人にはわかってもらえるような気がする。

noteを始めて最初に書いた記事でも触れたが、インターネットがつらい。

他人の価値観や感情、情報の洪水。ゴポゴポ、受け止めようとすると息ができない。

大好きな音楽も、この洪水に飲まれかけた。

いまや、インターネットを使わずに創作を広めるなんて、かなり無理がある時代になった。あの米津玄師も御用達のインターネット。

僕はここ2年ほど、ツイキャスという媒体を使って弾き語りの配信をしている。初めて自分をネットに晒し、そして溺れかけた。

あくまで僕の偏見だが、インターネットを主媒体にして楽器を弾いたり歌う人は、7割8割、音楽が”手段”になっていると思う。

“誰かに承認されたい”
”ファボが欲しい”
“モテたい”
“思い出づくり”

別にいいと思う。なにも悪いことはない。ただ、こういった動機で伸びていく人たちやそれを追いかける人たち。彼らと自分を単純に比べてしまって死にかけた。自己肯定感が0になった。伸びない僕には価値がない、と。

この苦悩は間違っていた。僕にとって音楽は目的であり、同じ土俵で比べるものではない。テニスとバドミントンは全然違うスポーツだ。自分に欠けている部分だけすぐ他と比べたがる。死にたいのか俺は。

でも、一方で、誰かに聴いてもらわないと続けられないのだ。

続けることが一番だいじで、とても大変なことだと思う。僕はズバ抜けた天才じゃないから、続けるためにはネットは使わないといけないんだ。考え方を変えなきゃ。

というわけで、僕を含めた多感なおとな少年少女全員に伝えたい。

“なにかを計算して利用することは【嘘】ではない”

生身の自分を曝け出さないと、嘘をついてるような気になりませんか?僕は、ちょっとカッコつけたことを言ったり、いい部分だけを見せようとしたりすると、妙に気持ちが悪い。

でも、全世界に正直であろうとすると、苦しい。極端な話、創作にだけ正直でいればいいのだ。せっかく僕らはまだ思春期なのに、どうでもいいところで苦しんでいる。不毛だ。

人間は多面体である。そのうちの一面に自分でスポットライトを当てることは、他の面を否定することにはならないと、ようやく気付いた。

使ってやる。伸びなくても、この時代に適応しようとすることで世界に抗ってやる。

noteにも、ネットが下手そうだけど、めちゃくちゃ面白い作品を作る人はたくさんいる。あなたは天才だ。

この文章が、誰かにとって、水を掻き分けるオールになればいいなと思う。最後まで読んでくれてありがとう。

P.S 僕のやっているバンドの曲です。よかったら聴いてください。(Listen in browserをタップするとこの場で聴けます)


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