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#42 大人と子どもの狭間

複雑性PTSDのなかでも割と難しいタイプである、とカウンセラーさんから言われているのですが、最近、特にそれを痛感しています。

どう難しいか、と直接聞いたことはないけれど、今の私は進むことも戻ることもできず、ただ立ち止まるしかない状態で、難しいといったのはこういうところも含めてなんだろうな、とぼんやり感じている毎日です。

前の収録で、「愛情に飢えている自分を認めるしかない」というようなことを言いましたが、言うのは簡単、でも実際にはそんなすんなり進むような話でもなくて。

大人の、一人で立っていたい、孤独を選んできた自分に慣れ過ぎていて、感情を自由にさせてやることができません。いっそのこと振り切って一人で生きていければ、それはそれで成り立つんだろうけど、そんなはちゃめちゃな強さも私は持っていない。

友人に会いに行ったことで溢れ出した、満たされていない子どもの自分。それは元恋人と居たときの感覚をまざまざと思い起こさせ、大人の自分はそれを振り払いたくて仕方がないのです。

もうこれ以上、元恋人のことを思い出させないでくれ。元恋人と居たときの私を思い出させないでくれ。私の幼い部分を引っ張り出さないでくれ。誰も私に触れてくれるな。私はもう、見たくない。

そんな感覚に襲われます。

それでも実の家族を切ってしまったため、仮面だとしてもなんとなく手元にあった場所がない影響は大きく、以前のように孤独を選ぶこともまた難しい。

どうにか子どもの自分を助けてあげようと、言葉を出そうとしたり感情を見ようとしたり、必死に動こうとするものの、どうしても怖さが勝ってしまう。

カウンセラーさんともサポーターである友人とも、なんとなくズレてきているような感じもします。大人の私がうまく喋れてしまうこともまた問題で、そのせいで私が今本当に感じている葛藤や恐怖も、それほどのものだとは伝わっていないのだろうと思います。

「大丈夫」に見えてしまう。「大丈夫」に見せてしまう。だから伝わらない。

カウンセラーさんからも友人からも、もらう言葉は今の私にははるかに難しいことばかりで、さらにはそれに無理矢理に取り組もうとしてしまうから、ふっと切れて動けなくなった。そんな状態なのでしょう。

相も変わらず、毎日のように親や元恋人の夢を見ます。行きたくもない地元や元恋人と過ごした場所の景色がふと頭に浮かんできます。どんどん引き戻そうとしてきます。

だから一旦、休憩することにしました。

自分の感情が大きく動くものからは距離を置く。仕事をして、好きなドラマや映画を観て、掃除をして洗濯をして、とにかく淡々と日々を送る。そうしないと、またすべてを切ってしまいそうな気がしたんです。それは、治療をやめることを意味します。

カウンセラーさんに出会って、治療を始めて3年半以上。涙が止まらなくて叫びたくなるような激しい苦しさではない、動けないという苦しさ。今までにはなかった感覚です。

複雑性PTSDの治療は、人によってかかる時間が大きく異なるそうです。私はいつ、終わるのでしょうか。ちゃんと終えることができるのでしょうか。それも考えたくないので、やっぱり淡々と過ごすことにします。


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