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#48 治療が効かない不安障害

私の不安障害は、「不安障害の治療では治らない」ということを知ったので、書き残していきます。

2020年春頃から症状が出始めた不安障害。私の症状としては、「これを食べたら調子を崩すのではないか」「体にちょっといつもと違うところがある。病気に違いない」などなど、自分の体がどうにかなってしまうのではないかという病気不安が強く出ることが多いです。

ほかにも留守にするときには鍵を閉めたか、ガスは消したかと確認しに戻ったり、自分の行動が間違っていたんじゃないかとぐるぐると同じことを繰り返したり…。

365日ずっと不安が続くわけではなく、時折強く出るだけで、日常生活は送れています。「障害」という定義は「日常生活が困難であるか」が判断のラインのひとつなので、もはや障害とは言えないのかもしれません。

それでもそのたまに出る不安の強さが異常なのは明らか。一度不安になってしまえば病院に駆け込んで検査結果を見るまで落ち着かなかったり、何時間もネットで検索し続けたり、日常生活はそっちのけになります。

一年ほど精神科にも通い、心理療法も受けていましたが、それほど効果はなく。「過剰な心配性」と自分のことを片付けながら生活しています。


先日、お世話になっているカウンセラーさんに、不安症状について詳しく話してみたんです。すると、不安障害そのものよりも、自分の感情にOKを出す複雑性PTSDへのアプローチが効くだろうという見解を教えてくれました。

強いストレスで急性の不安障害になるのとは違い、私の場合は持続的なモラハラチックな環境で育った結果不安障害の症状が出ているらしく、薬や暴露療法、認知行動療法ではあまり効果がないだろうとのこと。


友人と食事をしている途中で食べられなくなってしまったときのことを一緒に振り返りました。

不安になったきっかけは、お店で食べていた鶏肉が生焼けっぽく見えたこと。以前、母と姉が鶏肉に中り苦しんだのをきっかけに、自身の体験ではないのにもかかわらず、「生焼け」に対して過剰に怖がるようになりました。

一瞬にして固まってしまい、それ以上食べ進めることができません。

でも、せっかくの料理を残すなんてもったいない。作ってくれた人にも、食材を育てた人にも、食べ物そのものの命に対しても、残すなんて悪いことだ。だから食べるべきなのに。私自身は食べ物で調子を崩したことなんてここ数年ないし、毎回不安になるだけなって、結局いつも平気じゃないか。どうしていつも私はこうなってしまうんだ。

私はいつもこうです。「食べるのが怖い」と不安・恐怖が出るのとほぼ同時に、「食べなさい」と自分で自分を説得しようとする。

カウンセラーさんは、ここに私の癖があると言っています。

不安障害の症状である脳の過剰反応は仕方がないこと。無意識に出てきた「怖い」という感情を、私は思考でねじ伏せようとしてしまう。不安に限らず、日々の生活のなかで常にやっているのがこの思考による感情の否定。

「食べるのが怖い」に対して「食べないなんてもったいない」は論点が違う。食べ物で遊んでいることに対してなら、「もったいない」と叱るけれど、「怖い」と言っていることに「食べなさい」と強制するのはさらに恐怖を強くするだけ。

「怖い」なら「怖いから食べるのをやめる」選択をしたらいい。同時に「残してごめんなさい」はあってもいい。どちらも私のなかに生まれる感情だから。

とにかく湧いてきた感情を否定しないこと。自分でできないのであれば、信頼できる人に言ってもらえばいい。「怖いならやめときな。やめたっていい。無理なものは無理なんだから」と。


だから私には、不安障害そのものの治療はあまり効果がないのだそうです。表面に出ている症状としては「不安障害」だけれど、絡んできているのは複雑性PTSD。思考と感情のズレです。

自分の感情を認知していくことが先で、不安障害への治療は後からついてくるもの。一口に「不安障害」と言っても、解決方法はさまざまなんだなぁと感じますね。

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