見出し画像

H.B.T. Mark X -人間戦車十号-/一話

【あらすじ】


 黒づくめに長い白髪、赤眼の大男・四十万重剛。『人間戦車』の通り名で恐れられる彼は、荒廃した日本に神威を伝導する神父にして、巨大な銀色の二挺拳銃を振るう殺し屋だった。十数年前、彼の住む日本はミサイル攻撃で一度滅んだ。少年だった彼もまた、ミサイル攻撃で爆死したが、義体技術の実験台となることで蘇った。日進月歩の進化を続ける義体技術の発展により彼の身体は絶え間ない改造を施され、人間戦車と呼ぶべき抗堪性を獲得して荒廃した日本の黒社会に悪名を轟かす。脳と中枢神経を除くあらゆる人体が模造品に変わっても、魂と名前と正義の心は変わらない。彼は今日も荒野を流浪い、神罰を執行する。進め、人間戦車・重剛!


【以下本文】


 ミサイル警報の不気味なサイレンが響いた時、少年は空を仰いだ。逃げる間もなく西の空から飛来したミサイル、その飽和攻撃で、日本は死んだ。


少子高齢化と移民によって統一国家の定義が意味を失い
グローバル化の果てに世界を連鎖的な金融不安が席巻し
弾道ミサイルの雨と絶え間ない地域紛争で諸国が荒廃し
忘れたはずの飢餓と疫病と暴力が再び人類を脅かしても
一回り小さくなった世界で生き残るために手段を択ばず
人類が再び宇宙を目指して技術発展を続ける近未来……


 ――十年後。日本連邦民主共和国、首都・中京都の辺境、西部市。

 吹き抜ける旋風が、宵闇の目抜き通りに土埃を巻き上げた。通りに犇めく人々が足を止め、口々に咳き込み、目を擦った。錆びたトラックや二輪車がクラクションを鳴らしながら、通行人の合間を縫って強引に走っていく。

 熱気盛んな夜市。ずらりと並んだ屋台、路上に並んだテーブル席、夕食を求める人々、けばけばしい明り、街頭のラジオから流れる歌謡曲、飲み屋の客引きが路辻で声を嗄らし、店の軒先で地べたに座る用心棒が通りに睨みを利かせ、路地の暗がりから立ちんぼが手招きする。生気に満ちた猥雑な街。

 粘っこい流体じみて通りを蠢く人波から、頭一つ抜けた巨体が見えた。

 闇に溶けるような黒いロングコート。その上には、暗がりの中でも目立つ長い白髪。前髪の狭間に、獣を思わせる赤眼が覗いていた。黒コートの襟を立て、顔半分を覆っていたが、凶悪な容貌が目に浮かぶ出で立ちだった。

 黒衣に銀髪の大男、四十万しじま重剛じゅうごうは、人波から吐き出され路地へ向かう。

「何だ手前は」
「ここから先は通さねえぜ」
「通りたきゃ通行料を払いな」

 路地のゴミ箱や壁にもたれて、手持ち無沙汰に屯していた少年ギャングの一団が、通行人を見るなり生き生きした顔つきで立ち上がり、道を塞ぐ。

「でっか……」

 立ち止まった大男・重剛に見下ろされ、誰ともなく少年が声を漏らした。

「手前、聞こえなかったのか! 通りたきゃ金を寄越しな!」
「餓鬼だって舐めてたら、命はねえぜ!」
「ぶっ殺されてえか!」

 少年たちは手にした木刀やバット、角材や鉄パイプを振り上げて喚いた。

「お前たちは、神を信じるか」
「……ハァ?」

 少年たちは言葉を失い、唖然として互いに顔を見合わせた。

「金だ! 金が、俺たちの神様だ!」
「金さえありゃ俺たちも神を信じるぜ!」
「そうだ! とっとと金出せ、金!」

 機転の利く少年の言葉に他の仲間がすかさず飛びつくと、重剛は溜め息をこぼして黒衣の懐を手探った。少年たちは棒を振り上げて身構える。重剛は一枚の紙幣を取り出すと、少年たちに突きつけた。少年たちが目配せした。

「おら、寄越せ!」

 少年ギャングの一人が歩み寄り、重剛の手から紙幣を奪い取る。

「じゅ、十万円!?」

 少年が紙幣を広げて呟くと、周囲の少年たちが口々に悪態をついた。

「何だこの野郎!」
「たったそれっぽっちしか持ってねえのか!」
「この貧乏人が!」
「袋叩きにしてやれ!」
「手前この野郎舐めやがって!」
「これっぽっちじゃ晩飯代にもなりゃしねえよぉーッ!」

 少年が十万円札を投げ捨てて踏みにじり、角材を振りかざして突撃する。

「逝ねやぁーッ!」

 重剛は避けなかった。角材の、大上段からの面打ちを、頭頂部で受けた。

 バキィッ。木片を撒き散らして二つに折れる角材。重剛は、その獣じみた赤眼で少年を真っ直ぐ見据え、打たれた頭を僅かに傾げるに留まった。

「あッ……?」

 少年は角材を振り上げ、重剛を袈裟に打った。角材は更に二つに折れた。

「なッ……!」

 少年は四分の一にちびた角材を放り出す。重剛は仏頂面で佇んでいた。

「うわーッ!?」

 重剛の片手が少年に迫る。少年は身を躱す暇も無く襟首を掴まれ、釣竿を投じるように軽々と投げ飛ばされた。重剛の視線の先、進路上を塞ぐように並んだ少年たちを、ボウリングのピンのように巻き込み、一投で薙ぎ払う。

「そんな棒っ切れじゃ俺は倒せないぞ」

 重剛は白髪を撫で上げて埃を払うと、低い声で告げて歩き出した。

「て、て、手前ェーッ……!」

 舞い上がる土埃の中から躍り出た一人の少年が、担いだ木刀の先端を握り抜き捨てた。中から白刃が現れる。それは木刀ではない、木鞘の日本刀だ!

「棒でダメなら、ヤッパで叩っ切ったらぁーッ!」

 少年が抜き身を閃かせて駆け寄ると、重剛は片腕で顔を庇った。刃が来る瞬間に半歩後退り、身を捻って剣筋をずらす。ザリッ、と鑢掛けするような奇妙な音を立て、真剣の刃先が黒衣を撫ぜると、振り下ろす勢いそのままに切っ先で地面を叩いた。重剛は片手で少年の腕を押さえ、刀身を蹴り折る。

 ベギン。

「へあッ……!?」

 発泡スチロールのように砕けた日本刀を放り出し、少年が両手を上げた。

「降参!」

 引き攣った笑みを浮かべる少年を、重剛の片手が吊り上げた。赤眼の顔が迫り、頭突き。鼻血を垂らして放り出された少年が、膝から崩れ落ちる。

「うわッ……」
「何だこいつ……」
「化け物かよ……」

 少年たちはどよめいた。刀で斬られたにも関わらず、重剛は無傷だった。

「命拾いしたな」

 重剛は軽口を叩き、束になって転がる少年たちに歩み寄った。

「ち、ちくしょう……」
「勝てねえ……」
「クソッタレ……!」

 少年ギャングたちは戦意喪失し、棒を放り出してへたりこんでいた。

「う、う、うッ……うおおおおおッ!」

 少年の一人が、薄汚い服のポケットから、三八口径の五連発リボルバーを抜いて重剛に構えた。拳銃を持つ両手は震えていた。重剛は歩み続ける。

「馬鹿! そんなモン仕舞え!」
「お前じゃ勝てっこねえよ!」
「殺されちまうぞ!」
「うるせええええッ!」

 少年は仲間たちに叫び返し、両目をギュッと瞑ると出鱈目にリボルバーの引き金を絞った。バゥン、バゥン、バゥンと銃口が火を噴き、黒いコートに一発、二発と銃弾が吸い込まれるが、重剛は我関せずと歩みを止めない。

 ガチガチと空撃ちを続ける少年の前で、重剛が立ち止まった。

「ワ……」

 大きな手が迫り、少年の手からリボルバーを奪い取る。重剛はもう片方の手で少年の襟首を掴むと、屠殺場の肉フックじみて少年を持ち上げた。

「ワ……ワワ……ワ……!」

 ドガッ。重剛はポケットリボルバーを無造作に握り、握把の底部で少年の額を叩いた。少年は額に歪な形の痣を浮かべ、白目を剥いて失禁した。

「お前たちは未来がある。悪を成さず、善く生きろ。それが神の道だ」

 重剛は敬虔な語り口で説教しつつ、少年を放り出して拳銃のシリンダーを開くと、空薬莢を叩き出してから銃を投げ捨て、恭しく十字を切った。

「アーメン」

 重剛はゆっくりとした足取りで歩き去る。少年たちは黙って見送った。


――――――――――


 大通りから外れた、ドブ川沿いに小さな店が犇めく飲み屋街。表通りとは異なり、ガラの悪そうな男たちが軒先に屯し、そこかしこの店から叫び声や乱闘の音が響く。重剛は、ガンを飛ばす不良たちを全く意に介さずに泰然と歩き続けた。積極的に喧嘩を売るような愚か者はいないようだった。

「んだおらぁーッ!」

 ガラスと木材の割れる音が鳴り、左前方の店の引き戸を突き破って、男が後ろでんぐり返しで転げ出る。重剛が気にせず直進すると、店から複数人のチンピラが足早に飛び出し、店から転げ出た男を囲んで襟首を掴み上げた。

「た、た、助けてくれええええッ!」
「手前この野郎!」
「かけ蕎麦三杯に酒を二合も飲んで、払う銭がねぇたぁどういう了見だ!」
「か、か、勘弁してくれ! 腹が減って仕方が無かったんでさぁ!」
「金がねぇならドブ川の残飯シチューでも食ってろ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
「ごめんで済んだら警察はいらんのじゃあッ!」

 食い逃げを図った男が背を丸め、チンピラに袋叩きに逢っていた。重剛は眼前で起こる暴行に眉根の一つも動かさず、避けることも無く直進した。

「アァッ!? 何だ手前は!?」

 道の真ん中で食い逃げ犯を蹴り回すチンピラたちが、悪態をついて重剛に振り向いた。彼らは驚いて二度見すると、蹴り足を止めて重剛に正対する。

「関係ねぇならすっこんでろ!」
「邪魔だ。退け」

 重剛がぶっきらぼうに言うと、数人のチンピラが拳を握って歩み出た。

「その言葉は聞き捨てならねぇな」
「手前、何様のつもりだ!?」

 重剛は足を止めない。

「止まれェ! 歯向かうなら手前も容赦しねえぞ!」
「構いやしねぇさ、やっちまいな!」

 言うが早いか、チンピラの一人、ガタイの大きい角刈りの青年がシャドーボクシングを見せると、ブラスナックルを嵌めた拳で重剛に殴りかかった。

「手前の前歯、全部圧し折ったらぁッ!」

 勢いを乗せた顔面狙いのストレート。すかさず、身体を捻って勢いを乗せ肝臓狙いのフック。常人なら顔面骨折と内臓破裂を起こしてもおかしくないクリーンヒット。だが重剛は動かなかった。トレーニングバッグどころではない、大黒柱でも殴りつけたような重い感触。チンピラの両拳が痺れる。

「んあッ……!?」

 鳩が豆鉄砲を食ったように、角刈りのチンピラは硬直。重剛はチンピラの襟首を掴むと片手で担ぎ、チンピラを背中から地面に叩きつけた。

「やりやがったな手前ッ!」
「ただで済むと思ってるのか!?」
「ぶっ殺してやる!」

 仲間をやられたチンピラたちが口々に喚くと、微塵の躊躇も無く、懐から伸縮警棒を抜き、バシャリと音を立てて展開し威嚇した。一人の例外も無く警棒の操作に慣れており、全員が警察あるいは警備業の経験者と思われた。

「お前ら気を付けろ! こいつ……サイボーグだぞ!」
「俺たちゃ、軍隊崩れのサイボーグだって伸したことがあるぜ!」
「機械だってよぉ、囲んで叩けばぶっ壊れるぜェ!」
「久しぶりに骨のありそうな喧嘩相手だ!」

 チンピラたちが枝葉のように散開しながら重剛へと駆け寄り、全方位から手足めがけて警棒を打擲した。スチール製の伸縮警棒が悲鳴を上げ、黒衣の上から重剛の肩や腕、膝や脛を打つ。急所を避けた執拗な打撃の雨あられ。

「ヤァーッ!」
「オラァーッ!」
「イイイヤァーッ!」
「ヒャッハァーッ!」

 重剛は殴られつつ視線を動かした。食い逃げ犯の男が、チンピラの注意が逸れた隙に、スタコラサッサと逃げ出していた。チンピラたちの伸縮警棒はものの数打でベコベコにひしゃげ、武器として使い物にならなくなった。

「余所見してんじゃねえ、オラァ!」

 くの字に曲がった警棒が、重剛の頭頂部を叩く。重剛は突き出された腕をおもむろに掴むと、チンピラの身体を振り回して数人を薙ぎ払った。

「グワアアアアッ!?」

 重剛はボロ雑巾と化したチンピラを放り、両手を叩くと一団を睥睨した。

「お前たちは、神を信じるか?」
「神様なんてクソ食らえだよッ!」
「大体、神なんているワケねぇだろッ!」
「神が居たとして、俺たちに何してくれるってんだ!」

 サムズダウンして血混じりの唾を吐くチンピラを、重剛は掴み上げる。

「神を蔑んではならぬ。神を疑ってはならぬ。神を試してはならぬ」
「うお、うお、うお……やめッ」

 重剛の両手がカタパルトめいて振るわれ、チンピラを通りの向こうに投げ飛ばした。一人、また一人、また一人と。チンピラが路上に転がされる。

「神を信じろ。アーメン」

 戦車のように障害を薙ぎ払って進む重剛の姿に、路上に屯する不良たちは言葉を失い、彼に道を譲って、その背中を見送ることしかできなかった。


――――――――――


 路地の奥の奥、うらぶれた裏通り。薬物中毒者が座りこみ、夜鷹や男娼が客を引き、麻薬の売人が目を光らせる危険地帯を、重剛は歩き続ける。

「旦那、ここはヤバいですぜ。いつ売人の抗争に巻き込まれるか……」
「旦那、もしかして女が買いたいんですかい? 俺いい店知ってますぜ」
「旦那、一体どこに行くつもりですかい? 何とか言ってくださいよ」

 かけられる言葉の全てを、重剛は無視していた。

「ねぇ、旦那ってばァ!」

 薄汚れた男がぐるりと回り込み、重剛の前に立ち塞がる。それは、先ほど居酒屋から摘まみ出された食い逃げ犯の男だった。重剛は眉根を寄せた。

「さっきから目の前をちょろちょろと。何なんだお前は」
「さっき、身を挺してあっしのことを助けてくれたじゃないですか!」
「別に、お前を助けたつもりはない」
「水臭いじゃないですか旦那! あっしは恩返しがしたいんですよぉ!」
「目障りだ。失せろ」

 重剛は片手で男を押し退け、歩き出す。重機めいた凄い力に、男は軽々と跳ね飛ばされるが、後ろでんぐり返しから鮮やかに受け身を取って、またも懲りずに重剛の元へと駆け寄った。皺くちゃのタバコを咥え、火を点ける。

「それともね、旦那。探し物ですかい? あっし、この辺には詳しいんで」
「なら、旨い酒が飲める店はどこだ。日本円が使える店だ」

 男が呆気に取られて口からタバコを落とし、慌てて拾うと土埃を叩いた。

「……まあ、あっしが行く店ですからね。旦那の口に合うかどうかは何とも言えませんが。大体、こんなトコにまともな飲み屋はありゃしませんぜ!」
「なら案内しろ。お前の行く店とやらにな」

 重剛が呆れたように言うと、男が無精髭の顔でニィと笑った。

「ヘッ、この西部ドブ川の虎吉にかかれば、お安い御用よ。ついてきな」

 巻紙に刻印が無い密造タバコの煙を棚引かせ、虎吉と自称する胡乱な男が得意げに先導する後を、重剛は黒衣をはためかせて悠然と歩いていく。

「それにしても旦那、本当に女は買わなくていいんですかい?」
「必要ない」
「必要ないってこたぁ無いでしょう。男なら誰しも本能にゃ抗えねえ」
「買ったところで、入れる物が無いからな」

 ぞんざいに告げた重剛の言葉に、虎吉は数歩進んだ後、足を止めた。

「戦争ですかい」
「まあな」
「……すいやせん。つかぬことを聞きやした」

 虎吉は振り返ってついと頭を下げ、黙って歩き出す。

「旦那、何者なんでい?」
「俺は神の僕だ」

 重剛が断言すると、虎吉は暫し紫煙を吹かして考え込んだ。

「神ですかぃ。そいつはこの街じゃ、とんとお目にかかれない上客でさぁ」
「見えるかどうかは問題ではない。信じるかどうかが問題なのだ」
「信じますとも。ここだけの話、あっしはガキの頃、神様の世話になった」
「お前、神を見たことがあるのか?」
「いえ滅相も無い。直接この目で見たことはありやせんけどもね」

 虎吉は、短くなったタバコをドブに放り捨て、新しいタバコを咥えた。

「あっしは見ての通り、うだつの上がらない盆暗でね。ガキの頃から不良に絡まれてイジメられたもんでさぁ。その日も、病弱な母ちゃんの薬を買いになけなしの金を握りしめ、薬屋に行ってたんです。そしたら運の悪いことに不良に絡まれて、母ちゃんの薬を買う金を巻き上げられちまったんですよ」

 虎吉は懐かしい記憶を思い出すように、溜め息がちに紫煙を吐いて語る。

「その日ばかりは、あっしも男を見せなくちゃいけない。それは母ちゃんを治す薬を買う大事な金なんだ、返せ! どうしても返せ! 何度殴られても立ち上がって不良に立ち向かうが、ヤツら力も強けりゃ数も多いもんだから逆立ちしたって敵わない。あっしは血だらけになって転がされたんでさぁ」

 虎吉は諦め混じりの、自嘲のこもった笑みをこぼす。

「ところがね。その時に来たんですよ、救いの神が。何だと思います?」
「喧嘩の助太刀……ほど都合の良いものではないか」
「ハハハ、まあ似て非なるもんでさぁな! 流れ弾ですよ、機関銃のね!」

 虎吉はからりと言った。重剛は眉根を吊り上げた。

「ヤクザ同士の抗争ですよ。連中、路地を車で追いかけっこして、機関銃の撃ち合いっこしてたらしくてね。不良の連中、その辺に突っ立ってたもんで蜂の巣にされた挙句、何人かは車にぽんぽこ跳ね飛ばされちまったっていう寸法で。いい気味だ! 盗られた金はソックリ取り戻せたし、全くあっしはあの時ほど、神様の存在を信じたことは、感謝したこたぁありやせん」

 虎吉は実に痛快そうに、からからと笑った後に溜め息を吐いた。

「……まぁねぇ。痛む身体を引き摺って、死ぬ思いをしてどうにかこうにか薬を買って帰った頃には、母ちゃんは仏さんになってたんですがね。こりゃどういう因果の巡り合わせか。人を呪わば穴二つ、って言うんですかねぇ」

 虎吉は夜空を見上げ、すぅはぁと紫煙を吐き捨てると、重剛を振り返る。

「それでもね、あっしは神様を怨んじゃいませんよ。あの時、どうしたって叩き潰されるしかなかった俺に、希望をくれた。その恩は生涯忘れやせん」

 虎吉は立ち止まってそう締め括ると、飲み屋の赤提灯を指差した。

「ここでさぁ旦那。ボロい店だが、酒は良い。噂話も入ってくる」

 居酒屋『かわらもの』。廃材の板を寄せ集めて造った粗末な壁に、徳利を持って酔っ払った河童のユーモラスなスプレーペイントが描かれていた。

「良いだろう、気に入った」
「へへッ、そうこなくちゃ」

 虎吉は建付けの悪い引き戸をガラガラ引き開け、重剛を手招きした。

「旦那、どうぞ中へ」


――――――――――


 ウナギの寝床のように狭苦しく、薄汚れたカウンターのみの店だった。

「おい虎吉ィ! 手前、金作ってくるまで出入り禁止だって言っただろ!」
「慌てなさんなって大将。今日のあっしにゃパトロンがいるんですから!」

 小柄ながらがっちりした体格の店主が、包丁と魚を両手にカウンターから身を乗り出して喚き散らすと、虎吉が得意げに胸を張り、重剛を振り返る。

「……お前」
「誰もタダで紹介するたぁ言ってませんよ。そうでしょう旦那」
「……まあいい」
「そう来なくちゃ。気前のいい男はモテますよ」

 虎吉は気心が知れた仲間のように重剛の肩を叩き、店の奥に歩く。

「今度はエライ木偶の坊を引っ張ってきたじゃねえか!」
「尻の穴でも売ったのか、エェ!?」
「ギャハハハハッ!」

 カウンターに並ぶ顔馴染みの酔漢たちに、虎吉が大手を振って見せた。

「控えろぉ! この旦那は凄い武闘派なんだぜ! 警察崩れの自警団どもにおいらが袋叩きに遭ってる時に颯爽と現れ、『待ちねぇ! 手前らの狼藉はどうにも見過ごせねえぞ! 成敗するから神妙にしやがれ!』 そう言って襲い掛かる自警団どもを剛腕で千切っては投げ、千切っては投げの……」
「また始まったよ!」
「ハイハイ分かった分かった!」
「どうせまたいつものホラ話だろ!」
「もういいから座れって!」
「カァーッ! ここからがいい話なのによ! 手前らはそうやって、いつもいつも人のことを嘘つき呼ばわりしやがってよ! 人を疑ってかかる!」

 酔漢たちが話半分で宥めると、虎吉が指差して怒り、重剛を振り返った。

「まあ、こんなんばっかですがね。取り敢えず座りましょうか」

 虎吉が目ざとく空席を見つけて指差し、重剛と隣り合って腰掛ける。

「こんなんって何だよ!」
「お前よりはマシだよ!」
「昼間は仕事だってしてるしよ!」
「ああーもう、うるさい、うるさい!」

 虎吉がハエを払うように平手を振るった。その隣で重剛がカウンター席に座ると、他の客より頭一つ飛び出した。酔漢たちが物珍しげに重剛を見る。

「何飲みますかい、旦那?」
「ライウィスキーを」
「悪いが、ライスウィスキーしか無いでしょうな」
「……構わん。ボトルで」
「あっしはビールと、つまみを貰っていいでしょうかね?」
「代金に見合った情報があればな」
「何だって聞いてください。ここに居るのは筋金入りの情報通ばかりだ」
「よし」

 虎吉は満足げな笑顔でパチンと手を叩き、カウンターに身を乗り出した。

「大将! 米焼酎ボトルで一つ! あと生を一杯と、刺身盛り一つ!」
「景気が良いねえ!」
「流石パトロンが居る男は違うね!」

 店主は胡散臭そうな顔つきでジョッキにビールを注ぐと、警戒心丸出しで二人の前に置いた。すかさず虎吉の手がジョッキを掠め取り、喉を鳴らしてビールを呷る。店主は埃を被った米焼酎の四合瓶と、製氷機から流し込んだアイスペール一杯の氷と、水差しとロックグラスを差し出した。重剛は懐を手探ると、輪ゴムで巻いた五十万円札の束を、カウンターに差し出した。

「おい、ドルでも元でもなく円かよ。っておい……こんなに」
「五十枚ある。これだけありゃ、今晩の飲み代には足りるだろ」

 店主は胡散臭そうに札束をバラすと、慣れた手で一枚ずつ捲って数えた。

「確かに。まあ、パトロンってのは強ち嘘じゃなさそうだな」
「そんなんじゃない」

 重剛はグラスに氷を落とし、米焼酎を開封してザバアと流し込む。そして箸をマドラー代わりにかき混ぜると、グラスを傾けて一息に飲み干した。

「うお、勿体ねえ!」
「ボトルなんて、俺たちゃ年に一回入れられるかどうかだってのに!」
「で、旦那。何が聞きてぇんですかい?」

 ビールをかっ込み、ほろ酔い気分いい気分の虎吉が、重剛に水を向けた。

「お前、さっきの連中、警察崩れがどうって言ってたな?」
「ええまあ。あの辺の歓楽街は連中が〆てますからね」
「この街は警察が強いのか?」
「警察ってか、警察崩れですね。ヤクザと連んでブイブイ言わせてます」
「元職とはいえ持ちつ持たれつの関係はあるだろ。違うのか?」
「この街で元って言うと、組織から弾き出されたはみ出し者ですんでね」
「仲は悪いのか?」
「悪いなんてもんじゃない。お互いの顔を見れば殴り合いが始まりますよ」

 虎吉がそう言って、酔漢たちをぐるりと見渡した。

「なあ、そうだよな?」
「違いねえ!」
「恨みを持って警察を辞めたヤツがよ、上司や同僚をつけて闇討ちしたとかぶっ殺したなんて話はよ、この街じゃ珍しいことじゃないぜ!」
「あんちゃん、街歩いてて気づかなかったか? 繁華街の中まで、制服着たポリ公は入ってこねえのよ! 機動隊の護衛でもありゃ話は別だがな!」
「あんなケツの青いシャバ僧より、ヤクザの方がおっかねえわな!」
「ああ違いねえ!」

 重剛はグラスに焼酎を注ぐと、酔漢たちの話に耳を傾け、酒を呷った。

「賄賂か?」
「まあそうなんですけどね。末端がどうこうより、上層部の問題でさぁ」
「上層部?」
「地域課も生活安全課も交通課も刑事課も関係ないね。課長職以上と有ればどこかしらから握らされてるって専らの噂だ。腐り切ってんですよ、我らが西部市警察は。末端の兵隊の中には、清く正しく頑張り通そうとする連中もいるみたいですがね、上にのさばってる連中があれじゃあ、やればやるほど現実に打ちのめされて……悪に染まるか、組織から出ていくか、死ぬかだ」
「酷い話だな」

 虎吉はビールを飲み干すと、空のジョッキをカウンターに突き返した。

「大将、生もう一杯」
「お前まだ飲むのか」
「まだ話の途中ですよ」

 虎吉は並々注がれたビールジョッキと、刺身盛りの皿に手を合わせる。

「……旦那もどうです? ここの魚は旨いんですよ」
「悪いが、ナマの食い物は消化器官に負担がかかるんでな」
「……すいやせん」
「何だ、あんちゃんサイボーグか?」
「脳と脊髄以外はほぼ全身」

 重剛が事も無げに言うと、ぞわ……と総毛立つような戦慄が店内に走る。

「すげえ」
「初めて見た」
「あんまり機械機械した見た目じゃないんだな」
「そりゃ腕っぷしが強ぇワケだ」

 重剛はグラスに氷をぶち込むと、焼酎を注いで口にかっ込んだ。

「……この街を経由して、武器と薬物と人間が行き来してる」
「あーあ。まあ、覚えがありそうな組織は片手じゃ足りやせんね」
「悪いのはヤクザか、警察か? それとも外から入ってきた麻薬カルテルやシンジケートのような物が力を握っている? 誰が権力を押さえてる?」
「何とも断言は出来ませんなァ。ここの悪党は緩やかな連合体なんですよ」
「連合体?」

 虎吉は皿に盛られた赤身に白身、エビにイカにタコの色とりどりの刺身を箸で示すと、端によそわれた大根のつま、山葵を示し、皿を囲って見せた。

「取り敢えず、何となく金を稼ぎたい連中が寄り集まって、お互いの利益で何となく繋がって、都合が悪くなったらトカゲの尻尾切りで生き延びて」

 虎吉は白身を抓んで山葵醤油に漬け、頬張ってビールで流し込んだ。

「天辺なんてあってないようなもんでさぁ。この刺身盛りと同じ」
「面倒だな。街ごと焼け野原にしろってのか?」
「止めてくださいよ、物騒な。旦那ならやりかねない」

 虎吉は薄ら笑いで応え、重剛を箸で指した。

「こいつは噂ですがね、西部市の裏で糸を引いてるのは……連邦保安局?」

 その時、居酒屋『かわらもの』の引き戸が、慌ただしく引き開けられる。

「連邦保安局だ! 屑ども、少しでも動いたら脳味噌ぶちまけるぞ!」


【H.B.T. Mark X -人間戦車十号-/一話 おわり】



頂いた投げ銭は、世界中の奇妙アイテムの収集に使わせていただきます。 メールアドレス & PayPal 窓口 ⇒ slautercult@gmail.com Amazon 窓口 ⇒ https://bit.ly/2XXZdS7