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ジェド・マロース 終末の郵便屋 #パルプアドベントカレンダー2022

 皆殺し戦争が終わり、永い冬の時代が始まった。英雄になどなれなかった一兵士の俺は、故郷にも帰らず、一人で当てもなく放浪の旅を続けていた。

 飢えと凍えに怯え、相争い、緩やかに壊れていく終末の世界を。


――――――――――


 20XX年、ユーラシア大陸。かつてロシアと呼ばれた国のどこか。

 道路から外れた山の中。痩せた針葉樹の木立を分け入り、スノーシューと両手の杖で雪を掻き分けひたすら歩く。新雪は柔らかく、木立のこちらから山の奥に向かって、人の物ではない先客の足跡が点々と刻まれている。

 背負った木製フルストックのボルトアクション銃が、ガラリと揺れた。

 針葉樹林の中に風はない。零下の空気が、ただしんしんと、分厚い着衣を貫通して肉と骨を責め苛んでくる。人に出来るのはただ耐えることだけだ。

 歩きながら脳裏に過るのは、抗い難い口寂しさだ。酒にタバコ、何よりも朝な夕なの食事。食料の調達は最優先だ。極寒の大地では、物理的に元気が出ないと物理的に死ぬ。生物なまものは尽き、乾パンも尽きかけている。保存が利き熱量を素早く摂れる戦闘糧食レーションは、最終手段だ。手を付けるにはまだ早い。

 物事には、踏むべき段階というものがある。

「ハァーッ……」

 密度の薄い木立。両手の杖に体重を預け、全周囲を見渡す。灰色の世界の彼方で、何か生物の影が蠢いた。狼の大きさではない。頭上に角。双眼鏡が無くとも、慣れてくれば見えるようになる。心の目とでも言うのだろうか。

 俺は両手の杖を紐で結い、交差して雪に突き立てると、手袋を着けたまま背中のウッコ・ペッカ m/39ライフルを引き寄せた。スコープは取り回しが重くなるので付けない主義だ。杖を用いた即席の二脚の又に銃を委託するとボルトを90度回して往復、7N1狙撃弾薬を装填してストックを肩付けした。

 鹿の角が動いた。気づかれたか。ラダーサイトは距離200mで調整済み。獣の影の角の辺りにピタリと照準を定め、俺は慌てずトリガーを絞った。

 甲高い銃声。影は素早く反応、逃れようと跳ねたが、即座に崩れ落ちる。俺はボルト操作で次弾を装填すると、構えて残心しつつ白い息を吐いた。


――――――――――


 ザクザクと雪を踏みしだく。150mほど歩いたか。獲物を射殺した地点に到達した。雪に半ば埋もれるようにして、小ぶりな三又角が突き出ていた。角を掴んで雪から引っ張り出す。若いオス鹿だ。首の貫通銃創で一撃。

 腰に下げた鞘から、鍔の無いプーッコ・ナイフを引き抜く。俯せに倒した鹿の背中の毛皮を切ると、本を見開くように左右へ剥いだ。脊椎に沿わせて切れ目を入れると、背中の左右を片側ずつ切開し、骨から引き剥がすように背ロースを切り取って袋に納める。まるで外科医になった気分だ。下半身の毛皮を剥がし、尻肉を切除し、腿肉を筋膜に沿って引き剥がし、切り取る。

 袋の中は食いでのある若いオス鹿の肉で見る見るうちに満たされていく。

 俺はふと気配を感じ、プーッコを動かす手を止め、周囲を見渡した。

「狼だ。獲物を横取りしに来やがったな」

 木立の合間に一頭また一頭と狼が姿を現し、露店の肉屋と化した俺の姿を遠巻きに見ていた。余り長居しない方が良さそうだ。俺は腰の辺りへ慎重に刃を入れると、腸を傷つけぬよう押さえながら、体内の肉を掻き出すようにプーッコを切り込んだ。小さなヒレ肉だ。反対側の腰からも貰うとしよう。

「まあ、欲しい肉は大体手に入れたからな。残りはお前らにくれてやるさ」

 俺は鹿肉で膨れた紐の口を縛ると、銃を背負って両手に杖を持ち、足元に肉の袋を引き摺りながら歩き、元来た道を取って返した。旨い肉はあらかた取り終えたとはいえ、内臓とか脛とか肩とか、肉は大量に残っている。舌を採れなかったのは悔やまれるが、俺が狼の獲物となることに比べたら些細な問題だ。戦争も狩猟も強欲は命取りだ。大人しく獲物を渡して引き下がれば群狼に追われることもない。際限を弁えることが長生きするためのコツだ。

 ふと足を止め、背後を振り返る。鹿の残骸を、狼の群れが貪る様が朧気に見えた。あの集団にも強烈な縦社会のヒエラルキーがある。俺に集団行動は合わなかった。ならば俺は独りでに銃を取り、一人で一個の軍となろう。

 俺は耳を澄まし、感覚を研ぎ澄ませ、森を歩き、歩き、歩き続けた。


――――――――――


 森の外れに一筋の道。木立の合間から、路上に放置された青塗りのバンが見えると、狩りの疲れが体にどっと押し寄せた。その直後、森の向こうから遠雷めいたエンジン音が数台聞こえ、俺の精神は瞬時に集中力を取り戻す。

 今から車に急いだとして、逃げ切るには間に合わないだろう。下り斜面の途中で、俺は木の裏に身を隠すと、銃を手にして車を見守ることにした。

 雪道に小さな移動体が現れた。スノーモービルが三台。航続距離の長さを考えれば、近場に拠点があるに違いない。黙って通り過ぎてくれ……と思う俺の心も虚しく、スノーモービルは俺の車の前で、ピタリと停まった。

 俺は視線を三人組に向けたまま、手探りで銃の弾倉の底蓋を開いて残弾を抜いた。上着の胸ポケットから五発クリップを取り出す。弾頭先端が黒赤に塗られたB-32 徹甲焼夷弾薬だ。機関銃用で精度は今一つだが、車両には強い効果を発揮する。銃の弾倉の蓋を閉じ、クリップを挿して弾を押し込んだ。

 車は俺の商売道具、あるいは命そのものだ。奪うつもりなら容赦しない。

 俺はボルトを静かに戻し、戦闘態勢となったm/39を木の枝の又に預けると狙いを定めた。スノーモービルを降りた連中の背中に、AKの木製ストックの独特な造形が垣間見える。三人組はタバコに火を点けると、周囲をじろじろ見回してから暫く車の周りをうろつき、ドアノブをこじ開けようと試みる。

 近くの木蔭から俺が狙っているとも知らずに。

 リヤハッチ前に立つ一人が、AKを逆手に構えストックの台尻で窓ガラスを叩き割ろうとした。手つきが慣れてやがる。俺は警告の一発をお見舞いしてAKのストックに火花を散らした。野郎、ビビッて引っ繰り返りやがった。

「誰だ!」

 ボンネット前に立った一人が、空に向けてAKを連射した。引き下がるなら見逃してやったんだが。銃に次弾を装填する。警告は一度しかしないぜ。

「どこから撃たれた!?」
「奇襲とは卑怯だぞ!」

 三人組が殺意を剥き出し、そこらじゅう出鱈目にAKを撃ちまくる。やっぱそうなるか。俺は無駄撃ちはしない。やるなら不意討ちの一発で決める。

「大人しく出て来やがれ!」
「今なら命だけは助けてやるよ!」
「……嘘つけ」

 出来るだけ車は傷つけたくない。ボンネットを盾にして顔と銃だけ出した野郎を狙い撃つ。分厚い帽子に包まれた頭部が小爆発を起こし、脳を噴く。

「舐めやがって!」
「ぶち殺せ!」

 連中は咄嗟にしゃがみ込み、車の下に潜り込むと、手にしたAKを断続的に撃ってくる。ヤツら戦い慣れてやがるな。ひょっとすると、第二次冬戦争のどこかの戦線で会ったことがあるかも知れねえ。俺の周囲の木立にも銃弾が飛来して、斜面や針葉樹を穿っては不気味な音を立てた。あれが敵の車ならタンクに徹甲焼夷弾をお見舞いして、車ごと火達磨にしてやるんだがな。

 俺は銃のボルト操作で空薬莢を弾き飛ばし、隠れて気配を殺した。

「何かヤバいよ! 逃げよう!」
「手前それでも男か! こちとら、仲間ァ殺されたんだぞ!」
「何も、相手に有利な状況で戦うこたぁないだろ!」
「敵に背中から撃たれてえのか!? だったら手前が囮になれ!」

 連中が反撃の手を止めて口論をしている隙に、こちらも場所を変えようと動き出す。背後でボコンと木を叩く気の抜けた音が響き、ゴロリと重量物が地面に転げ落ちた。俺が咄嗟に倒木の裏に転がり込んだ次の瞬間、ドカンと発破の強烈な爆音が炸裂した。雪と土が滅茶苦茶に捲れ上がって雨のように頭上から降ってくる。息もつかせぬAKの激しい連射が後に続く。俺は何だか懐かしい気持ちになった。できればもう思い出したくない、戦場の記憶。

「出て来やがれ! クソが、森を丸裸にしてでも炙り出してやるぞ!」

 打楽器みたいな木の打撃音が反響して、続く手榴弾の爆発。余り長引くとじり貧だ。戦争では銃より爆弾の方がおっかない。榴弾砲の至近弾を浴びて滅茶苦茶に千切れた死体を始めて見た時は、飯が喉を通らなかったものだ。

 さっきから車のケツに隠れて、ちょろちょろ撃ってくるウザイ野郎の顔に一撃をぶちかます。手応えが浅い。耳を掠めただけか。やっぱ機関銃の弾はここ一番の精度が弱いな。俺は次弾を装填すると、狙撃弾薬の残りを左手の指に挟んで再装填に備えた。のろいと機を逃すが、急いては事を仕損じる。

「……も、もう嫌だ!」
「あ、手前逃げんじゃねえ!」

 痺れを切らした一人が、AKを横薙ぎに撃ちまくりながらスノーモービルに駆け寄る。俺の狙いは野郎を飛び越し、スノーモービルへ定められていた。

「戻れ!」

 トリガーを絞る。バイクのようなけたたましいエンジン音。身を躍らせたスノーモービルが爆炎を上げ、出鱈目に突っ走って道路脇の木に衝突。

「チクショーッ!」

 残った最後の一人は、気が狂ったようにAKを乱射した。そんなに撃ったら当然、直ぐに弾が切れる。マガジンを交換し、出鱈目に連射。俺はボルトを開いた銃に弾を押し込みながら、木の間を縫うようにして接近する。野郎は弾切れの銃を抱えて、地べたを無様に這っていた。ボンネットの向こう側で死んだ仲間のマガジンを確保して、まだ戦うつもりなのだろう。全く健気なヤツだな。俺は腰の鞘から銃剣を抜くと、ライフルの銃口に着剣した。

「見つけたぞ!」

 ボンネットから身を乗り出した男の顔面を目掛け、俺は一瞬立ち止まってスナップショットした。手応えが弱い。やはり百発百中とはいかんな。

「ウワーッ!」

 野郎は処女みたいに泣き叫び、拳銃を撃ちまくりながら引っ繰り返った。俺は山の妖怪ペイッコみたいに斜面を駆け下りて雪路に飛び出すと、再び車の影から飛び出した拳銃を狙い撃った。今度は右手ごと吹き飛ばしてやった。

「クソッタレ! 手が、俺の手が!」

 俺はライフルを槍のように握り、車を回り込む。仲間の死体を漁る野郎の背中に立つと、野郎がハッと振り返った。その顔面に銃剣をお見舞いした。

 交錯する視線。刃を伝わる死の振戦。脳髄を貫く恐怖、征服、至福。

 ……ああ、俺たちはこんな世界になってまで、まだ殺し合いをしている。

 銃声はもう一発もしなかった。雪道は元の静けさを取り戻し、森の遠くに鳥の鳴き声だけが微かに響いていた。俺は銃剣を引き抜き、息をついた。


――――――――――


 四輪駆動バンの運転席に座り、俺は口つきタバコに火を点けた。運転席の横に突出したエンジンカバーから、騒音が聴こえる。おかげでオーディオが無くとも音楽には困らない。ガソリンの香水まで楽しめるおまけつきだ。

 ここに来た時は空っケツだったガソリンタンクの針も、今や満タン近くを示している。盗人連中の乗り物から、ガソリンを拝借したからだ。そろそろ予備のジェリ缶から給油しようと考えていたので助かった。これでもう暫く燃料の心配なく走り続けられる。長距離の旅において、燃料は食料や寝床と同じぐらい大事だ。道の穴にタイヤを取られ、車が振動して灰が落ちる。

 リーフスプリングが音を立てて軋み、えっちらおっちら雪道を進み行く。

 俺の足車はロシア製のUAZ-452で、ロシア郵政の真っ青なバンだ。特別な速さも乗り心地の良さも無いが、重荷を積み込んで悪路を長く踏破するには相応しい、驢馬のように忍耐強い乗り物だ。ラジエーター液が凍る環境では不凍液を抜いてでも走れるし、バッテリーが上がった時はフェンダーの穴にクランク棒を突っ込んでエンジンが始動できる。タフなアナログ野郎だ。

 金持ちはパジェロやランドクルーザーに乗るんだろうが、幸い軍用車両の送迎に慣れた俺は、泥臭いロシア車でもそれほど苦も無く乗り続けられる。

 俺は三角窓をほんの少しだけ開けて、車室に充満した紫煙を外に流した。


「ユーリ・コンスタンティノヴィチ・ヴラディミーロフ」
「その名で俺を呼ぶな。俺はユリヨだ」
「貴様、なぜフィンランド人の真似事をする!」
「真似事じゃねえ。俺はフィンランドで生まれたフィンランド人だ」
「この祖国の面汚しめ。貴様にロシア人の誇りは無いのか!」
「馬鹿馬鹿しい。誇りで飯が食えるか」
「誇りが無ければ、生きていく意味が無い!」
「意味なんかどうだっていい。最後に生きてる方が勝ちなのさ」
「頑張ってフィンランド人を真似ても、貴様は結局ただのロシア人だ!」
「そうだ。俺が一番よく知ってる」
「私を助けろ、ユーリ! 私もお前を助ける!」
「助け合いの精神を謳う人間に、碌な奴は居なかったぜ。信じるとでも?」
「祖国の土を踏めば、お前も信じるさ。私と共にロシアへ帰ろう!」
「帰るだと? 何を世迷い事を」
「そうすればお前は、味方を裏切ってでも同胞を助けた祖国の英雄だ!」
「違うな、同胞を裏切った敵国の逃亡兵だ。所詮、捕まれば銃殺刑さ」
「この分からずや! 私の親切がなぜ理解できない、この悲観主義者め!」
「そういうお前は理想主義者だろ。そう何もかもうまくいくはずがない」
「どうして決めつける! 試してみないと分からないだろ!」
「信じられるか。そう何もかもうまく行くはずがない」
「だったら、いっそ逃げるのも悪くないさ、ユーリ」
「逃げるだと?」
「そうだ。私と逃げよう、ユーリ。どこへでも、どこまでも」
「逃げてどうする? 逃げた先に何があるんだ?」
「生きるんだ、ユーリ。生き続けるんだよ、お前と私と!」

 

 運転しながら物思いに耽っていた俺は、唇の焦げる熱さで我に返った。

「あちっ」

 短くなったタバコを唇から毟り取り、灰皿に捻じ込む。二本目のタバコを咥えて火を点けようとしたところで、ぐうと盛大な音を立てて腹が鳴った。

「そういや、昼飯まだ食ってなかったな……」

 火の付いていないタバコを咥えながら、曲がり道に沿ってハンドルを切り走っていると、曲がり道の終わりで路上に人影がふらりと横切った。

「なん――」

 咄嗟にギヤを一速へ落とし、エンジンブレーキと併せてフットブレーキを利かせる。タイヤの滑り始めを予期してブレーキから足を放し、ハンドルを切って人影を回り込むように回避。車は斜面へ片輪を乗り上げると、夥しく雪を巻き上げながらエンストして停止、事無きを得た。どうだ上手いだろ。

「ハァーッ。クソ危なかったぜ」

 俺はクラクションを鳴らす気力も起きず、マッチでタバコに火を点けると数回深く吸って気持ちを落ち着けた。懐のラハティ拳銃を抜くと、ボルトを引いて初弾を装填。車を降りる。右手は拳銃を握り、左手は銃剣の柄に。

 道のど真ん中に人が倒れている。俺は咥えタバコで機関車のように紫煙を吹くと、足を止めて逡巡した。行き倒れを装った強盗の可能性も有り得る。近くに仲間が潜んでいるかも知れない。俺は全方位を油断なく確認しながら人影に歩み寄った。厚着しているので分かり辛いが、身体の線が男にしては細い気がする。ますます怪しい。俺は視線を下げ、銃の装填を再確認した。

 ガバッと唐突に人影が身をもたげ、俺は驚いて一発撃ってしまった。

 人影のすぐ横を弾が飛び去り、雪が捲れ上がって土が飛び散る。どうにか銃口を逸らすのが間に合い、内心ほっとした。出会い頭に射殺したら俺様の神業ドライビングテクニックで避けた意味が無いからな。命は大事だ。

「お前、何だってこんな所で倒れてやがる?」

 女だった。死人のように血色の悪そうな真っ白い肌で、鮮やかな青い目をパッチリと開いて、抉るような眼差しで俺を凝視して押し黙っていた。

「そんなにじっと見られると穴が開くぜ」

 無言。ロシア語が通じないのか? フィンランド語か……いやまさかな。

 俺は銃口を女に向けたまま、目だけ動かして周囲を見回した。取り敢えず今の所は、武器を持った仲間が飛び出す気配は無い。俺は警戒を緩めない。

「……何してるの?」

 うわ喋った。俺はびっくりして、また一発撃ちそうになるのを堪えた。

「そういうお前こそ、ここで何してんの? 行き倒れ? 自殺願望?」

 女は不思議そうな顔で俺を見返す。何を考えてるか分からないヤツだ。

「強盗だったら止めとけよ。俺は黙って殺されるほどヤワじゃないぜ」
「何のこと?」

 何かやり辛いな。少なくとも物盗りではなさそうだ。俺は銃口を上げると腰を下ろし、咥えタバコで女と視線を合わせた。肌の具合は若いようだ。

「お前な、道路に飛び出したら危ないって、学校で教わらなかったか?」
「……学校」

 反芻するように女は言った。何かヤバい感じだ。反応がマトモじゃない。

「お前、麻薬でもキメてんのか?」
「……麻薬」

 俺の脳裏に咄嗟に浮かんだのは、直前に滞在した街で聞いた噂話だった。


「お前さん、東に行くのか?」
「まあな。ハバロフスク、ウラジオストク……ちょっと極東まで温まりに」
「そりゃまた気の長ぇ話なこって」
「何しろ自由な時代だ。狩猟あり、気兼ねなしの一人旅。のんびり行くさ」
「羨ましいようで、羨ましくねえな。石器時代に戻ることもあるめえ」
「人の中で暮らすのはもううんざりなんだ。戦場を思い出すからな」
「お前さんも戦争帰りの口か。まあ人生はそれぞれだからな」
「このサーロ旨いね。キャビアも久しぶりに食ったよ」
「ありがとよ。ウォッカ、もっと飲め」
「どうも」
「東へ行くなら気を付けろ。あの一本道は魔女が出るってんで有名なんだ」
「魔女?」
雪女スネグラーチカだよ。あの道で行き倒れがいても、絶対助けちゃいかんぞ」
「雪女ってあれだろ? 雪男ジェド・マロースと一緒に居る女の子」
「普通の言い伝えではな。この辺りでは、人を攫う恐ろしい美女だ」
「攫われるとどうなるんだ?」
「永遠の冬の国で、雪女の召使の雪人形になって一生こき使われるんだと」
「ハハッ、そりゃ傑作だ」
「ワッハハハ! バカげた迷信だと思うだろうが、俺たちゃ大真面目だぜ」
「攫われた奴がいるのか?」
「そりゃもう幾らでも。両手足の指じゃあ、数え切れないぐらいにな」
「このヴィネグレット旨いな。ホロデーツもほっぺが落ちそうだ」
「だろ。ウォッカ、もう一杯どうだ」
「堪らんね。ご馳走さん」


 極寒の森に蛇行して伸びる、一筋の雪道を走り続ける。隣には女が居た。

「お前、名前は」
「覚えてない」
「あんな所で何やってたんだ」
「分からない」
「分からないこたぁ無いだろう」
「でも、何も思い出せない」

 女はそう言ったきり押し黙り、例の青い目で俺をじっと見つめた。陳腐な言い種だが、サファイアのように深い蒼。抉り出して、クリスマスツリーの飾り物にしたいぐらいだ。余り人間味が感じられず、それが却って魅力的。

雪女スネグラーチカね。まさかな……」

 女は無言で俺の横顔をじっと見つめている。

「腹減ってないか? さっき鹿を獲ったばかりでな。ヒレ肉はどうだ」
「肉は好き。心臓は特に好き。血の滴るような肉の味……」
「血の味は素人の証拠だ。腕の良い猟師は血が抜けるように殺すもんだぜ」
「心臓は特に好きよ」
「悪いが、心臓は置いてきちまったよ。狼に狙われてたんでな。背ロースに尻肉、腿にヒレ肉、お好きな部位を何でも食べ放題だぜ。贅沢だろ?」
「でも、私は特に心臓が好きなの……」

 女はそれきり前を向いて、黙り込んでしまった。鹿の心臓が好きだなんて変わった女だな。俺はあのゴムみてえな食感が今一つ気に入らねえが。


――――――――――


 凍りついた川を渡り、中洲の小高い丘。木の合間を縫い、草を踏みしだき茂みの奥へ。小休憩のキャンプに良さそうな、雑木林の小さな空き地。

 女をデートに誘うには最悪な選択だが、人間嫌いな男と人間味の無い女の組み合わせには丁度良いだろう。車を停めると、女が無言で視線を向けた。

「飯にしようぜ。遅すぎる昼飯だが、早すぎる晩飯だか知らんがな」
「肉?」
「獲れ立ての肉」
「肉は好き」
「心臓は切らしてるけどな」

 フクク……と野獣が喉を唸らせるような低い声が鳴り、俺は暫くしてからそれが彼女の笑い声だと気づいた。面白い奴だ。暫くは退屈しないだろう。

 俺は運転席を降り、リヤハッチを観音開きにした。食料、嗜好品、燃料に狩猟道具、キャンプ道具に寝床まで積んだ、狭苦しい男やもめの居室だ。

 薪と古新聞と96度の火酒スピリタス、携帯型ウッドストーブとロシア式の湯沸かし器サモワール、刃渡りが24cmある山刀スクラマを取り出した。折り畳み椅子を広げると女が飛んできて、尻が磁石のように吸い寄せられて不動の意思を見せた。

 まあいい。こういうのは大体、男の仕事と相場が決まってるからな。

 手始めに地面を均し、山刀の分厚い刃でバトニングして薪を割る。割った薪は山刀の根元で表面をこそいで毛羽立て、フェザースティックを作った。

 ストーブに薪を組み、フェザースティックを何本か投入。古新聞を絞ってスピリタスを塗し、マグネシウム棒のファイヤスターターを山刀の背で削り火花を飛ばす。爆発的な炎がウッドストーブの薪に移り、種火が起きた。

「茶でも飲むか。寒いだろ」
「寒い」

 俺は優勝カップみたいな形をした湯沸かし器サモワールの蓋を外し、ドーナツみたく中空のタンクに水を注ぐと、中心の炉にはストーブから燃えた薪をパクって投げ込む。山刀で薪を割ってどんどん投げ込み、下の空気穴から息を吹いて火を強めた。後は蓋を閉じて、水が沸くまで待つだけだ。一仕事終えた俺はタバコを咥えると、ウッドストーブの薪を取って火を吸いつけた。

「どうだ上手いもんだろ」
「あ、鳥」

 女は俺の言葉を無視して明後日の方向を指差し、言った。俺は不貞腐れて紫煙を吐くと、手にした山刀を横合いの木に投げる。山刀は三回転ほどしてドスッと突き刺さった。腰からM/39銃剣を抜き出すと、銃剣の背面を親指と人差し指で挟んで、カードを持つように垂直に捧げ持って木に放り投げた。銃剣は吸い込まれるように突き刺さる。いわゆる軍隊の半回転打法ミリタリー・ハーフスピンだ。

「サーカスでも見せてくれるの?」
「フィギュアの間違いだろ。ザギトワだって目じゃない花びら大回転だぜ」

 女の視線が俺の腰へと伸びる。スオミの魂、プーッコだ。俺は人差し指で額を叩いた。これを投げろだって? 俺はプーッコを引き抜き様、雷めいたサイドスローで木に投擲。こいつはスカンフの応用で、腰の捻りが大事だ。

 女は面白くなさそうな無表情でまばらに拍手した。俺は肩を竦め、UAZの開いたリヤハッチに腰掛ける。こうやって誰かと火を囲むのは何時ぶりか。野外の訓練場で凍えながら火に当たった、新兵の訓練時代を思い出した。

「貴方、出身は? モスクワ?」
「もっと西」
「ペテルブルク?」
「もっと北」

 女は訝しげに眉を細めると、やがて理解したようにハッと目を見開いた。

「国境の向こう側だよ」
「フィンランドから来たの? それにしてはロシア語がペラペラだけど」
「親父もお袋もロシア人だからな。ソ連崩壊で食い詰めて引っ越したんだ」

 俺はタバコを弾き捨て、m/39ライフルを手繰った。心なしか、女の視線が咎めるような冷たさを宿した。俺は気にせず、銃からボルトを引き抜いた。

「それは?」
「旧ソ連時代の弾を使ってるからな。雷管が腐食性だからよ、弾は撃ったら掃除しねえと銃身が錆びちまう。スオミのライフルは精度が命だからよ」

 俺はコップを差した燻し銀のコップホルダーポトスタカーンニクを取り出した。


――――――――――


 サモワールの蓋を開いて覗くと、いい感じに湯が沸いている。蛇口を捻りコップに沸騰した湯を注ぐと、コップから銃腔に直で湯を流し込んだ。女の呆れたような吐息。きっと理解できない物を見る目で眺めているだろう。

「火薬の残留物で塩が出るんだ。熱湯で洗い落とすのが一番手っ取り早い」

 俺は銃身にフーッと息を吹き込み、銃口から白んだ湯気を噴き出させる。車に銃を立てかけると、ボルトを簡易分解してサモワールの受け皿に並べ、湯をぶっかけて拭き上げると、防錆油を引いて組み戻す。銃腔に油を噴いて紙パッチの洗い矢を何度か通した。銃を組み立て、弾を込めれば完成だ。

「慣れてるのね」
「商売道具だからな」

 俺は二人分の銀ホルダーのコップにサモワールの湯を注ぎ、紅茶パックと角砂糖を二つ入れた。茶葉はロシアンキャラバン、ラプサンスーチョンとかプリンスオブウェールズの親戚みたいな物で、スモーキーな味が俺好みだ。

「ブランデーは?」

 俺の秘蔵のアララット20年、アルメニア・ブランデーのボトルを掲げると女は無言で頷いた。アララットの栓を開け、酔わない程度に垂らす。俺のはちょっと多めに入れた。俺は一杯頑張ったからだ。女にコップを手渡す。

「ありがとう」

 剥き出しの生っ白い指が俺の手に触れた時、凍りつくように冷たかった。

「ウォッカじゃないんだ」
「行商の売り物にはいいけどな。俺自身が飲むのはあんま好きじゃねえワ」
「変わってるね」
「ロシア人らしくないだろ? よく言われる」

 俺はウッドストーブに金網をかけると、袋からヒレ肉を出す。プーッコで食い易い大きさに切り分け、ストーブの金網において直火にかけた。

「俺はフィンランド生まれで心はスオミだがよ、血は100%ロシア人だからスオミにも馴染めねえ。スオミとしても半端、ロシア人としても半端……」

 威勢の良い音を立てて肉が焼け、癖のある鹿の脂が金網を伝って落ちる。

「俺は何者なんだ? 俺は何者かになりたかった。だから軍隊に入った」

 ブランデー紅茶を口に含み、甘い匂いが鼻に抜ける。

「結局、軍人としても中途半端だったな。狙撃の腕は一流だったけどよ」

 片眉を吊り上げておどけると、女が氷の笑みを浮かべて鼻を鳴らした。

「貴方、名前は?」
「ユリヨ。ロシア語風に言うとユーリだ」
「そっちが本名でしょ」
「どっちだって構わないさ。俺が本名だと思った方が本名なんだ」

 紅茶を呷って喉を鳴らすと、じわじわ焼けるヒレ肉に目を凝らした。

「狩りはどこで覚えたの?」
「うちの近くに、スオミの爺さんが住んでてさ。冬戦争でソ連軍とバチバチやり合った世代でさ、ロシア人大嫌いだったんだけど。友達いなかった俺が毎日のように通ってたら、可愛がってくれるようになってさ。銃の使い方を教わったり、狩りとか連れってくれたりさ。色々とお世話になったもんだ」

 俺は女にトレーとフォークを手渡し、焼けたヒレ肉を取るよう促した。

「ある時、爺さんが言ったんだ。お前が本当のスオミになって、皆に仲間と認められたいなら、軍隊に行って奉公しろって。その時は感激したよ。俺も頑張ったらみんなの仲間になれるんだって。親父もお袋も反対したけどさ」

 俺は鹿のヒレ肉のバーベキューに塩を振り、齧りつく。獲れ立ての赤身はワイルドな血の味が混じり、よく叩き、よく熱を通してもなお硬かった。

「戦争なんて起こらない、公務員みたいなもんだって説き伏せて。それでも何の因果か、俺が兵役についてる時にまた戦争が起こった。俺もまた戦争の世代に、戦争の当事者になった。戦争が終わったら……世界が壊れた」

 女は底知れない湖の水鏡じみた蒼い瞳で、真っ向から俺を受け止めた。

「世界人類皆兄弟ってな具合に寒くなってよ。散歩するにゃいい日和だ」


――――――――――


 日は暮れ、肉は焼け、酒瓶が開いた。女は言葉少なで、呆れるほど食い、呆れるほど飲んだ。アララットが空になり、車の隅に転がっていた10年物のポーランド産スタルカも空になった。ヒレ肉は瞬く間に消滅し、背ロースを切っては焼いて、腿肉を叩いては切って焼き、胃袋の中に納めてしまった。

「……あれ?」
「どうしたの?」
「いや、どうしたのって、これ」

 男やもめの寝床は、行きずりの女と身を寄せ合う愛の巣に。

「こういうの、マズいだろ」
「何で? 貴方、近くで見たら結構いい男じゃん」

 雪女スネグラーチカがふと口にした言葉が、俺の記憶をまた一つ呼び覚ました。


「私を軽蔑するだろう、ユーリ。誰にでも股を開く尻軽女だと」
「そんなこと」
「お前、ロシアの女が生き残るためにどうするか、知ってるか?」
「どういう意味だ? なぜそんな話を今するんだ?」
「より強い男の側につく」
「……」
「10人のチンピラの性奴隷になるか、1人の強者の愛人になるか。どっちがマシだと思う? 私が選んだのは1人の強者だ。あの薄らデブの小隊長め」
「マリーヤ……」
「ユーリ、だけど信じてくれ。私がお前と寝たのはそんなんじゃないんだ」


 寒さで目が覚めた。目が覚めると、女は隣に居なかった。俺は慌てて服を身に着けると、ぬいぐるみを抱く子供の用に両手の寂しさを感じ、本能的にm/39ライフルを手繰り寄せる。そしてタバコを咥え、車のハッチを開いた。

 ともかく、暖を取らないと凍死してしまう。外に出ると、辺り一面が白い靄に包まれていた。兵どもが夢の跡のように放置されていたはずの、昨夜の宴会ので使ったウッドストーブもサモワールも、空の酒瓶も影も形も無い。

 180度、頭を振って見渡す世界は、何もかもが白に埋め尽くされ、自分の見ている世界が夢の続きなのかそれとも現実なのか、あるいは凍死した後に辿り着いた死後の世界なのかは分からない。マッチを擦って、タバコに火を点けて気分を落ち着ける。目を閉じ、深呼吸と共にタバコの紫煙を吸い込み鼻から吹いて、くらくらするような強い酩酊感に身を委ねる。

 そうだ、迎え酒でも飲んで正気を取り戻そう。俺はそう考えて意を決し、目を開けて背後を振り返った時、俺の車はもう無かった。ただ何もない白の世界だけがあった。タバコが唇から転げ落ち、靄の中に消えて失せた。

「落ち着け、ユリヨ。何が一体どうなってる。俺はまだ夢を見てるのか?」

 銃剣を抜いて、掌を浅く切った。ピリリと痛みが走り、蚯蚓腫れのように切り傷の血が横線を描く。この痛みが夢なら、一体何が現実だと言うのか。俺は銃剣をライフルの銃口に着剣すると、顔に血が付くのも構わず、左手で目頭を揉んだ。目を覚まさせるように、顔を何べんも手で拭って目を瞬く。

 そして何も変わらなかった。白い靄の世界は最初からそこにあったようにそこにあり続ける。とにかく寒い。動き出さねば。身体を動かして熱い血を巡らせねば、何も成せぬまま凍え死んでしまう。観念して足を踏み出した。

 土でも砂利でも雪でも、コンクリートでもアスファルトでもない、足元は変な触感だった。俺は銃剣付きのm/39ライフルをマンモス狩りの槍じみて捧げ持ち、固唾を呑んでただ前進した。どこに進んでも同じな気がしたが、背後に戻ると靄に呑み込まれてしまいそうで、恐ろしくて、叶わなかった。

 突然、ごうと寒風が吹きつけた。目も開けていられないぐらい激しい風が吹き荒び、俺は姿勢を低めて腰だめに剣先を構えるのが精一杯だった。

 目を開くと、そこは崖っぷちだった。夜明けだった。眼下の恐ろしいほど低い場所に広がる、地底のように低くなだらかな平地を、雲が流れていく。

 天国というのがもしあるのだとすれば、こういう景色のことを言うのか。

 だが、待ってくれ。天国というのは遠くにあって、羨望の思いに焦がれてただ眺めるだけの楽園であり、俺はそちら側には行けないということか?

 足元にライフル銃が転げ落ちた。俺は唐突に理解し、そして落胆した。

 確かにそうだ。戦場の泥を這い回り、木蔭に銃を構え、スコープを覗いて脳天に血の花を咲かせ、いったいどれほどの人を殺してきたというのだ。

 一体なんだって俺が天国に行けるだなんて思いこんでいたんだ?

 ああ、辛い、辛い。俺だってそちら側へ行きたかった。お前たちのようになりたかったんだ。教えてくれ。生まれてきたことが間違いだったのか?

 俺は力無く項垂れると、自分が丸裸であることに気づいた。

 同時に気づいた。俺の胸に穴が開き、心臓が無くなっていたことに。

 何だそうか。とっくの昔に、あるべき場所にあるべき物が無かったんだ。

 それでも日はまた昇る。黄金の夜明けだ。最高級の紅茶を注いだカップの縁に見られるような、この世の何よりも美しいゴールデン・リングだ。

 俺はこの上ない精神の深い幸福と充足を感じながら、一歩を踏み出した。

 落ちていく。身を裂くように冷たい白の世界をどこまでも、どこまでも。

 ああ、許してくれマリーヤ。君を守り切れなかった僕の不甲斐なさ――


――――――――――


 目を覚ますと、そこは鄙びたアパートの一室だった。古びたサモワールが湯を沸かしていた。俺の隣にはマリーヤが居て、膨らんだ腹を擦っていた。

「そろそろ産まれそうだね」
「本当言うと、まだ信じられないんだ。私のような女がこんな幸せを――」

 俺は人差し指を立て、マリーヤの唇にそっと押し付けた。

「それは言わない約束だろ」

 壊れそうな幸せを優しく掻き集めるように、彼女をそっと抱きしめた。

「そろそろ行かなきゃ」
「寂しいよ、ユーリ」
「そんなこと言われると、離れられなくなるだろ」
「分かってる。気を付けて」

 言葉が次第に冷たい色を帯びていく。俺の手にはラハティ拳銃があった。両手を話してマリーヤから離れた。マリーヤじゃなかった。湖の水鏡じみて深い蒼の瞳。誰だお前は。女が腹を捲ると、どさりと赤い塊が落ちた。

 そうだ、それは夕べたらふく食わせた鹿の肉だ。三又角の若いオス鹿。

「フクク……怒った?」
「俺の中を覗き見するな」

 俺は苦み走った顔になって、拳銃のトリガーを引く。一発、二発、三発。

「ユーリ……どうして……」

 身重のマリーヤが心臓から血を噴き、俺に手を伸ばして息絶えていた。

 罪無き者たちの悲鳴が聞こえる。断罪者たちの断末魔が聞こえる。

 教えてくれ、俺たちはどこから間違えていたんだ?

 母親の腹の中に宿ったところからなのか?

 意識が次第に遠ざかっていく。

 もう何も見えない。

 許してくれ。

 ……。


――――――――――


「患者が目覚めました」
「血圧安定。心拍数正常値。脳波、問題ありません」
「分かりますか? ユーリさん」

 これは一体どの夢の続きだ。そう言おうとした俺の声はビックリするほど嗄れ果てていて、今の気持ちをとても言葉に出来そうもなかった。

「貴方はユーリ・コンスタンティノヴィチ・ヴラディミーロフですか?」
「ああ……」
「結構です。もう大丈夫ですよ」

 大丈夫だと? 大丈夫って、一体何がどう大丈夫なんだ。

 真っ白い世界に、白い服を着て駆ける者たち。ここも戦場と、さもなきゃ天国と、そう大して変わりない世界だ。もしくは、また消えるのか?

「ユーリさん、お薬の時間ですよ」

 寝台に横たわる俺を、白衣の看護婦が冷酷な笑みで見下ろした。湖みたく深い蒼の瞳。ああ、またか。一体どこまで俺をつけ回せば気が済むんだ。

「貴方が私に完全に屈服するまでだよ」

 氷のように冷たい指が、俺の頬を撫でた。身動きが出来ない。革ベルトで体がベッドに拘束されている。俺は逃れようともがき、叫び声を上げた!


――――――――――


 雪の道。クラクションの音が遠来のように轟き、痛みに意識が遠退く。

雪女スネグラーチカ……」

 蜘蛛の巣上に割れたフロントガラスの前に、冷たい笑みを浮かべた美女がふらりと現れ、万華鏡のように無限の像の広がりの中で輝きを放つ。

「見ぃつけた」

 俺は全身の痛みを堪え、懐のラハティ拳銃をコックし、頭に突きつけた。

 どんな死に方をするかぐらい、俺にだって選ぶ権利ぐらいあるだろうぜ。

「お前の好きにはさせねえよ」

 お前が雪女なら、俺は雪男ジェド・マロースさ。

このクソ阿婆擦れめスーカ・ブリャーチ!」

 俺はトリガーを弾いた。


【ジェド・マロース 終末の郵便屋 おわり】
【#パルプアドベントカレンダー2022】

【おことわり:この物語はフィクションである。】

From: slaughtercult
THANK YOU FOR YOUR READING!
SEE YOU NEXT TIME!

【このお話は、#パルプアドベントカレンダー2022の12月17日投稿作です】

【明日・12月18日は、桃之字さんの投稿日ですよ!】
【題名は未定なんだって、どんなお話が読めるか楽しみだね!】
【それでは、お目汚し失礼しました】

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