人とは違う鋭い視点をもつためには、自己肯定感に頼らずに認知的不協和を解決しなければならない

賢いと言われる人は様々なタイプがいると思うが、多くに共通するのは「他の多くの人よりも正しく物事の因果関係を捉えられる」ということではないだろうか?分析能力とか、本質を捉えるのが上手いとか、人と違った見方ができる等と表現される人だ。物事の構造の捉える方というのは、その人が認知的不協和に陥った時にどのように解決する習慣があるかに由来すると最近考えている。

認知的不協和とは心理学の用語でwikipediaを引用すると、「人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態」を指す。このとき人は不快感を感じ、それをなくそうとする行動をとるとレオン・フェスティンガーが主張した。この行動は人によって異なり、それが今回の記事で注目したいポイントである。

例えば、現役で合格しようとするも大学に受からず、一浪した結果大学にたった今合格した人がいるとする。この人は合格したことを喜ぶだろう。ここに認知的不協和を見出すことができる。彼は高校生の頃、浪人することについて「現役で合格しないと不幸だ、もう一年間勉強ばかりの生活を過ごすなんてごめんだ」と考えていたはずである。しかし浪人したにも関わらず、たった今喜びを感じているということは先程の考えに一見矛盾する。このような矛盾する認知に陥った時、人は自分を納得させるための何かしらの説明を構築し始める。

一つの説明の仕方はこうだ。

「今嬉しいってことは、浪人して良かったってことだ。浪人することによって、現役で入った奴らよりもきつい思いをした。このことによって僕は人の気持ちをよりわかるようになった。浪人することで成長できたしね。」
つまり、高校生の頃の浪人に対する悪いイメージが間違っていたとすることで矛盾を解決する方法だ。確かにこうすれば矛盾は解決できるだろう。

しかし、ここで考えてみて欲しい。もしこの人が合格していたのではなく、不合格していたとしたらどうだろうか?きっと、「浪人してよかった、成長できた」とポジティブになれるだろうか。僕の周囲の人を見る限りそんな人はいない。きっと「浪人は辛い、早く合格したかった」と思うだろう。つまり合格したかどうかで浪人に対するイメージが変わってしまっているのだ。後の行動によって浪人中の辛いと感じていた事実が消えるというおかしなことが起きている。これは「今嬉しいと感じている」→「自分の行動は正しかった」という法則をこの人が適用しているためである。認知的不協和の解決のために、過去の自分の考えを容易に捨て自己肯定する習慣がある人が陥りがちな論法だ。こうした人は何か嬉しいことや悲しいことが起こる度に考え方をコロコロ変える。

では上の例とは違うタイプの認知的不協和の解決方法をあげてみる。

「今嬉しいのは、不合格になってもう一年浪人することになったらどうしようという不安から解放されたからだ。」
こちらは「高校生の頃から浪人は嫌だと思っていた事実」と、「今嬉しい」という事実に矛盾しない説明をつけるために「喜びの原因は不安から解放されたからだ」と新たに考えを進めた。どのような説明を導くかは様々であろうが、事実を安易に曲げずに理解しようとすることで、自己肯定感に立脚するよりもより強靭な考えが新たに生まれるのだ。これが習慣として積み重なっていくことで、その人固有の鋭い視点というものが出来上がっていく。

みんな各々異なる世界の見方をしているが、誰しも今までの考え方では理解できない事象に遭遇することがある。そんな時に、自己肯定することで安易に解決を計ろうとせずに、状況を先入観なく整理して、それらを矛盾なく説明できるような理論を構築していくことができる人が、鋭い視点、強靭な分析力を身につけていくのではないだろうか。





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