人類皆哲学者時代の到来

現代に生きる人々は、あなたを含めて、みな哲学者になりつつあるー。

そんなことを言われたら、驚くだろうか。
だが、これがあながち嘘とは言えない時代に、我々は生きている。


今や科学の進歩で、物質的な貧困は解消されつつある。
そして、物質的な課題が解消されると、我々の思考の矛先はどこへ向かうか。
精神的なものへと向かうのである。

「私という人間は、なぜここに存在するのか。」
「人はいかに生きていくべきか。」
「幸せとは何か。」

このような、昔であれば、暇を持てる限られた人間だけが考えていた問いを、今を生きる我々のほとんどすべてが心のうちに抱えている。
皆さんも上記のような問いや、それ以外にも答えがなんだかわからない問いで苦しんだ経験が、多少はあるのではないだろうか。

そして、これらの問いを考える、これらの問いを乗り越えてゆくうえで、とても重要なこと。
それは、自分自身で答えを創り出す、ということである。

なぜなら、その抱えている問題は、自分自身の課題なのだから。
そして、これらの問いに、客観的な答えなんてないのだ。これが、正しい答えです。だからもう悩まなくていいです。とはならないのである。


哲学者の國分功一郎氏が、著書でよく言っていることなのだが、問いを考えるうえで、答えを知る、のにはあまり意味がない。
問いを考えるうえで重要なのは、そのプロセス、つまり、考える過程で自分自身を納得させること、である。
だからこそ、自分の頭で、自分の経験や自分の感覚を頼りにして、自分自身の道筋で答えを作り出していく必要がある。

ただ、これがなかなかできない。
私たちが受けてきた学校教育を振り返ればわかることだが、今の学校教育では、自分の頭で正解を作り出す、という経験はほとんどしないからである。
テストを見ればわかるように、正しい答えがすでにあって、それを暗記することにほとんど終始しているのである。
いままでやってきたことがないことを、いきなりやるのは、一筋縄ではいかない。
正解を創り出す、ことよりも、既にある正解を探す、ことを我々はしてしまうのである。
そしてさらに恐ろしいのは、正解がない状態、に耐えられなくなってしまっていることである。
すぐに答えが知りたい、早く結論を教えてくれ。
このような態度では、物事に対して、じっくりと腰を据えて考えることは到底できないであろう。


すべての人に当てはまる正解を創り出そうと、完璧を求める必要はない。
まずは自分自身が納得できる正解を、自分の内から、自己との対話を通して紡ぎだす。
そういう経験を、重ねていく。

もしあなたの周りに、子どもがいるのであれば、正解がない問いを一緒に考えて、一緒に答えを創り出していってほしい。
自分たちが、満足できる答えを。
その積み重ねが、VUCAと言われる、不確実な未来を切り開いていくささやかな、しかし確実な種となっていくだろう。

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